【エッセイ】見えていたはずの見えなかったもの。余裕と豊かさについて。
久しぶりにこの駅に降り立った。
平日の夜、わざわざ仕事終わりにこの駅に来たのは、気になる作家さんの本のサイン会のためだった。
私は大学時代、毎日この駅を利用していた。
定期も持ってたし、馴染みの駅だった。
近くの居酒屋でバイトもしていたので、あの頃4年間で1番過ごした時間が長い土地と言っても過言ではないかもしれない。
それくらい私にとっては特別な場所だ。
そう思っていた。
サイン会が終わり、駅へ向かう。
せっかくだからと働いていた居酒屋までのルートを少し歩いてみることにした。
地下鉄の入り口を何個か通り過ぎて、前に歩いていた道を同じように歩いてみる。
目線を上げて、注意深く色々なところを観察してみる。
立っているビル。入っているテナント。広告。など。
(あれ?ここに何があったっけ?)
売り出し中の文字が書かれているテナント。
道の外れの脇道を覗いてみる。
見覚えがあるようなないような店があった。
そんなことをしてるうちに元バイト先だった居酒屋の跡地に到着していた。
私の働いてた居酒屋はなくなっていた。それは数年前、人づてに聞いて知っていた。
その変化を除いたら、季節ごとにとんでもないスピードで変わる大型広告が変わっていることくらいしか、違うところを探しあてることはできなかった。
なんとなくケンタッキーがあったことと、ジュエリーショップがあったことは覚えていた。
でも、変わってないことで覚えているのもそれくらいだった。
(私、全然覚えてない。)
自分が本当に4年間この土地に通っていたのかと疑わしくなった。
確かにあの4年間、私の生活の基盤になっていた土地はここ(表参道)だったはずなのに。
この街の多くの変化が私には分からなかった。
寂しさと共に恐怖が襲ってきた。
(そっか。私、何も見えてなかったんだ。)
その時、あの頃の私はどれだけ何も見えていなかったのかということに気づいた。
周りから見たら豊かだったのに、全然豊かではなかった。
いつも、何かを求めて。何かを恨んで。何かに追われていた。
多い時にはバイトを3つ掛け持ちし、扶養を超えるギリギリの時間で勤務。
稼いだお金は楽しくもないサークルの参加費にあて、
トレンドに必死についていくようファッションやメイクに貢いだ。
そんな私は、あの道を歩いている時間をただの目的に行くための手段として通っていた。
なんなら前を歩いている人の速度の遅さや広がって歩いている人にまで苛立って、邪魔だと思っていた。
この時間をできる限り短縮したいと願って。
何かしていないと不安で、何かをしない時間は無駄な時間だと。
それくらい、私は余裕がなかった。
そういえば、あの頃結構な頻度で気分が悪かった。
何か一つでも自分の思っていたことと違うことが起きると、それから何日間はその気分を引き摺っていて、それが日常茶飯事だった。
(誰にも言われてなかったのにな。誰も私を追い詰めてなかったのにな。)
久しぶりに降り立った思い出の地では色んなものが見えた。
はしゃぎながら歩く学生、腕を組んで幸せそうに歩くカップル、暗くなったおしゃれなカフェ、通り過ぎる鮮やかな車の色。
余裕がないことは怖いことだ、見えているはずのものが見えなくなってしまう。
知れるはずのことが知れなくなってしまう。
豊かさを失ってしまう。
豊かさとは何かを感じることで、余裕が豊かさを生む。
これからは、五感をフルに使って逃さないようにしたい。
何かに追われるんじゃなく、ちゃんと捉えられるように。
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