
イボガ マイクロドージング体験編 6~7日目
この記事は、イボガという植物とシャーマニズムについて、これから触れる人のために書いていますが、体験者としての記録であるため、正確性に欠ける部分が見られるかと思いますので、正確な内容が知りたい方は、Japan Iboga Center(http://www.iboga.jp/)へアクセスしてください。
マイクロドージング開始 6日目
12月7日。昨晩は、マイクロドージングMAXを摂取。
23時に摂取して、3時~4時くらいに一度夢から覚めたので、ちゃんとピークアウトして、量子転換が終わってる感じです。
昨晩の夢は、細かいところは思い出せないけれど、私が、状況的にせざるを得なかった犯罪行為をしてしまい、罪を償えと追い込まれてひたすら逃げ惑い、自分の状況の正当性を主張しつつ、どんどん追い込まれるという夢でした。
ディテールは全然違いますが、昔、よく見た、逃げ惑う夢シリーズです。
いつも捕まる瞬間に目が覚めて、あー、夢だった。良かった。怖かったと思いながら、起きます。
自分の「正論・正当性」を、常に主張したい自分のエゴ
逃げたいけど、逃げられない袋小路の精神状況を、イボガの暴露療法で見せられています。
昨日、イボガセンターより、イボガの精神活性効果に、ビジョンを見る段階と内省を促す効果の2段階がありますっていう記事が、改めてシェアされていて、「あー、確かに」って思った。
夢(ビジョン)は、夢の意味は理解できても、夢を見ただけで解決はしないので、夢は自分の思考・感情の癖を再発見するフェーズなのかなと。
夢(ビジョン)で浮き出された課題をしっかりインテンション(集中)することで、現実の現象面でシンクロニシティ―が見えたり、感情が湧いてきて、内省が促されるという流れかな。
ということで、自分にある思考の癖を解決しようという意志が大事なのかなと改めて思った。
インテンションがぶれてるのか、大峠を超えたからなのか、イボガの精霊により癒される感覚が湧いてこない。もっとストイックなディエタが必要なのかもしれないとかも思ったり。(忘年会が挟んでる)
センターより、1.5カ月~2カ月のマイクロドージングを推奨されたので、悩んだけれど、まずは1か月の追加をすることにした。
昼も問題なさそうなので、朝、夜で、半分ずつにしてみる。
次回の配送分は、イボガのオス・メスの配合が変わるそう。そういうのも含めて、その人の修復がどれくらい進んでるかを見ながら、決めているみたい。
日中、車中で講演の音声配信を聞いていたのだけれど、最近人気のどうすれば開運できるかというタイトルで、開運アドバイザーの方のお話で、自分が満たされていない(分離感)があるから開運できないんだ(引き寄せのお話)という話があり、がちがちのスピリチュアルな世界だけでなく、自己の分離感が全ての原因という世界観が、集合無意識的に広く知れ渡りつつあるのを感じた。
マイクロドージング開始 7日目
イボガの修復の大きな山を超えたと思われますというセンターの見解で、夢(ビジョン)での暴露ではなく、日常のミラーニューロンのシンクロニシティの発生を促進するためだと思いますが、今日からは、昨晩半分、朝に半分というタイミングに変更。
夜は明晰夢ばかりで夢の内容を覚えている感じだったが、量を減らしたので「眠った」感は強くなったものの、夜に見た夢はすっかり忘れてしまった。。。ま、いっか。
ビジョンと修復の2段階で、イボガの精霊が発動すると信じよう。
センター曰く、「祈りが、量子転換のトリガーです」とのアドバイスあり。
何回か聞いた言葉だけれど、今日は、なんだか、心に残った。
祈りは願いとは違う。
願いは、誰かすごい人に、自分の想いをかなえて欲しいと頼む、二元性・分離のある世界観
祈りは、意に乗ること。私たちの根源の集合意識に、個の(ように感じている)意識を集中し、自我を明け渡し、大いなる流れに身を任せること。
全ては一つの一元性の世界。
量子瞑想は、少しできるようになった気がする。相変わらず、何か見えてる感じはしないけれど。体感で15~20分くらいの感覚なのに、1時間近く経過しているのが、ここ何回か続いている。座ったまま寝ている感覚とは違うので、ただ寝ているわけではないと信じたい。
朝の体感では、少しふわっとした感じがある。ただ、思考も明晰なので、仕事に支障があるわけではない。この感じなら、朝摂取して、仕事しても大丈夫そう。ちょっとだけ眠けがあるが。。。
ちなみに眠気は、イボガの精霊が脳のミラーニューロンの修復に力を使っているとのこと。愛の自己完成に至る前に、マイナスのものを0にするのに、力を取られている状態だそうです。いろいろ溜め込んでいるだな、自分。
昨日は日中に、色々な気づきがあった。
夜の明晰夢よりも、日中の方がシンクロニシティを体験する上で良いように感じる。特に、風景と化している日常よりも、ちょっとだけルートを変えるとか変化を起こしながらの方が良いような気がする。
日中、半量でも問題なしな感じ。
昨日は仕事の関係で久しぶりにとある場所に行ってきた。元・彼女とよく通ったお店の近くを通り、とても懐かしい思いがよぎると共に、一抹の寂しさを感じながら、あることを思い出した。
「彼女が自立できるといいのにな」 と、自分は思っていたことを。
彼女は、シングルマザーで、仕事もして子どもも育てている立派な社会人だったけれど、普段忙しく動いて気が張り詰めているが故に、「子供はカワイイけれど、あなたと2人の時間がとても気が休まるし、あなたが居なくなったら寂しいし辛いし、とても耐えられない」
というような事を、何度も口にしていた。
「あなたが居ないと」という事は、「あなた」(他人)に依存しているということ。「あなた」が居ても居なくても私は大丈夫と心から思えるくらい精神的に自立できると良いなと思っていたことを思い出した。
彼女がどういう経緯で「あなたと一緒に居たいとは思わなくなった」という言葉を出したかを知っている自分には、「自分が願っていたように、彼女は、自分が居なくても大丈夫だということに気が付いて自立したのだ。彼女が自立できるといいのにな」という自分の願いは叶っていたのだと気が付いたのです。
昔の願いの答え合わせがやってきました。
これもミラーニューロン革命かな。
私自身が抱えている寂しさが共振して、寂しさを抱えていた彼女を引き寄せたということ。だから「彼女が自立できると良いのにな」と他人事のように思っていた自分が、彼女に依存されて、寄り掛かられて、自分の寂しさを誤魔化して、自分は大丈夫だと思っていたこと。彼女との関係性の話ではなく、自分が根本的に寂しさがあり、自立していないということは、これはまだ残っている自分の課題。
インテンション、インテンション。
7日(1週間)分が過ぎたので、明日からは配合が変わって、朝にMax用量で、日中のミラーニューロン革命を促進する方向に。
まだ2日間だけど、以外と文量が増えたので、ここで一旦、公開。