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イボガ マイクロドージング体験編  45.5日目~46日目

この記事は、イボガという植物とシャーマニズムについて、これから触れる人のために書いていますが、体験者としての記録であるため、正確性に欠ける部分が見られるかと思いますので、正確な内容が知りたい方は、Earth Medicine Center(http://www.iboga.jp/)へアクセスしてください。

45.5日目~

2023年2月11日。昨晩は、摂取をしないで良いという気分だったので、摂取を休止した。

45.5日目~ 元・彼女のSさん(Sさんの記録は最後)

約束を数日前に取り付けておいて、昨晩、元・彼女のSさんと一緒にご飯を食べに行った。
彼女が約束の時間に現れず、何か用事でもできたのかもしれないし、気が変わったのかもしれないと思い、来れなくなったら、それで大丈夫なので、教えてくださいとだけLINEをした。結局、30分、約束時間を間違えていたのだが、すごく忙しくしていて、付き合ってた時からよくあったことなので、懐かしいなと思いながら待っていた。

今回の目的は、自分の中で、Sさんのことは全て赦せたので、Sさんのことは丸ごとOKになっていたのだが、6~7年もお付き合いしたのに、最後はLINEで数度やり取りしただけで喧嘩別れしたような形で終わってしまって、先日お会いした時にごめんなさいとお互い謝ったのだけれど、5分程度しかお話できなかったので、一度、きちんとお話をしておこうと思ったのだ。

最初は、何を話して良いのか分からず、お互いに緊張したけれど、途中からSさんは、別れた頃のことやそれからのことをずっと喋っていたし、自分はうんうんと聞いていたしで、あー、このやりとりの感覚懐かしいなぁと思いながら、聞いていた。
あなたに依存していた。現実から目を逸らしていたことに気がついた。申し訳なかった。とか、諸々と謝ってくれていた。(念のため、不倫関係じゃない)
ただ、自分の中では、Sさんのことは丸ごとOKなので、謝ってもらったこと自体には御礼を言葉で伝えるものの、もう大丈夫なのだとお伝えした。こちらも怒りを途中でぶつけたりしたことを謝ったりした。
そして、Sさん、あなたには1年半以上怒りを抱えていたけれど、もう、全て解けました。もう感謝しか残っていない。本当に、本当に、ありがとうとお伝えした。
言葉にすると、本当に、心からの感謝の気持ちが溢れてきて、涙が次から次へと出てくるし、鼻水も出てくるので、鼻をかみながら、涙を拭きながらで、少しずつ少しずつ、何度も何度も本当に感謝しかない。ありがとう、ありがとう、ありがとうとお伝えをした。
彼女は彼女で、愛の自己完成を違う角度から目指しているので、この溢れる涙がどういう種類の涙なのか、頭では理解していたと思うけれど、少しきょとんとした顔をしていたのが印象的だった。
振り返ると、あれも伝えてない、これも伝えてないという言葉はあるけれど、一番大事な、心からの感謝を伝えたことで、わだかまっていたものが全部解けて、本当に、全部終わった感がある。
Sさん、人生の厳しい数年間を、寄り添いながら、お互いの存在が居ることで、一歩一歩進んでくることができました。しばらくの間、人生の旅の同行者で居てくれたこと。本当にありがとうございました。

また、何年かに一度はこうやってお話できるといいですねと言われたのだが、Sさんとは今後も会うことはあるだろうけど、二人で食事をするのは、これで最後だなという気がして、なんとなくあいまいにうなずいておいた。
自分でもなぜかなと思っていたら、帰りの道中で、死んだらあの世でたくさんこれまでの人生のことをおしゃべりしましょうね、Sさん という言葉が浮かんできて、それが何故か妙にしっくりきた。
あー、今世で解決すべきSさんとのことは、全て完了したんだなと思った。

帰りの車中のBGMは、やっぱり、中島みゆき 糸

人生の絡まった糸が解けて、織りなす糸が一つの美しい絵を作り出してくれたことに、帰り道も、ただひたすらに、ありがたくて、ありがたくて、泣きながら運転をして帰った。

人生は、美しい。
心から、そう感じる。
抱えていた怒りの認識を書き換えてくれて、美しい見え方に変えてくれたイボガの精霊の働きに、心からの感謝を。

46日目

2023年2月12日。昨晩、半量摂取。
もうマイクロドージングMAX用量は必要ないように感じる。2カ月前はMAX用量でも少ないんじゃないか?と思うくらいだったのに。着実に終わりは近づいていると思う。

46日目 実はまだ解けていないことにようやく気がつく

昨晩、とても静かな心境になり、一つ山を超えて、先に一歩進んだという感覚があった。あんなに涙を流して、受け入れが済んだのだと思う。愛の自己完成は、次のステージに進んだのだと感じた。

量子瞑想をしていると、あくび一つで、微妙に、そして着実に、認識が書き換わった感じを覚えた。いろいろな方にお世話になってきたこと。「法の書」により自分の正義を振りかざし、皆様にご迷惑をおかけしてきたことに申し訳ない気持ちが湧いてきた。大泣きするようなことはなく、静かに湧いてきた気持ちを、静かに感じて、受け止めた。
静かな心で、私は、ここに居る。 という思いが湧いてきた。今までよりも、より深くグランディングしたのだと思う。

そして、ふと振り返ってみると、心が解決すれば、アトピーの症状は解決するのではないかと思っていたが、一向に解決していないことに、ふと疑問を感じた。
唐突に気がついた。父母に怒られたことや元彼女のことを始めとして、心に残るもやもやをたくさん書き換わってきた。かなり楽になってきた。でも、自分自身を受け入れ、赦すことを、全くしてこなかったことに気がついた。
過去から解放され、生きるのが楽になってきたが、自分で自分を苦しめている思考の癖と感情は、依然として残っているのだ。

イボガの精霊は、絡み合った糸をほぐしてくれて、自分の気持ちを素直にしてくれる。自分の気持ちを受け入れる土壌を耕してくれるのだと思うが、この先は、自分との向き合いが必要なのだと感じた。自分が何に囚われているかが分からなければ、量子瞑想での認識の書き換えもできない。自分で自分を捕えている鎖を、一つ一つ確かめて、外していくプロセスが、たくさん残っている。
自分を嫌いではなくなったが、自分の事を愛していると言えるまでの道は、まだまだ長い。愛の自己完成は、まだ始まったばかりなのだと気がついた。

46日目 昨夜の飲み会

昨日の飲み会では、経営者のお仲間二人と飲んだのだが、思いのほか楽しく飲むことができた。会社経営に対して興味は無くなってきているが、経営のことを、それぞれが好き勝手、こう思う、こう感じると喋って楽しい時間を過ごすことができた。
LINEでのやりとりから、精神的に落ちている状態だと思われて、自分を元気づけるために、場を設けてくれたのだそうだ。やる気が落ちているのとは違って、興味の先が愛の自己完成に変わってきているだけなのだが、そんな話をしてもしょうがないので、その心遣いがありがたく感じて、帰り道で手を合わせた。(本人に向かって手を合わせるのは、ちょっと違和感があるだろうからね)

46日目 ギザギザハートの子守歌

昨日はあるワークショップに参加して、1~3歳くらいの子ども達がウロウロとしていて、ときおり騒いでいたので、講義の内容が聞きづらいタイミングもあった。以前は、そういう子どもが居ると、こんなところに子どもを連れてくるなよ‥という批判精神が湧いていたのが、昨日は特に腹が立つこともなく、内容が聞き取りにくいなと思うくらいだったので、イボガの精霊の働きで心が落ち着いてきてると、改めて感じることができた。

子どもはちょっとしたことですぐに全力で泣き喚き、すぐにけろっと忘れて笑顔になる。
全力で泣き喚くから、嫌だと思った感情を残さず、使い切る。イヤな感情を残さないから、楽しむ時も一瞬で気持ちが全開。とても微笑ましく見えた。最近、子どもがかわいく見えてきた。不思議だ。

そんなワークショップの帰り道、ギザギザハートの子守歌が頭に浮かんできた。懐かしい。。。

そんなに俺が悪いのかと、何度も繰り返す、この曲。俺は悪くない、俺は悪くないと「法の書」を振りかざす曲だ。

お前が悪いと言われた時、そうですか。ごめんなさい。今まで気付かずにごめんなさいと言えることが、素直な心なのだと思う。そんなに俺が悪いのかと言いたい気持ちも十分に分かるが、それこそが、積み重ねてきた鎧「法の書」なのだと思う。

あの子達のように、素直に気持ちを出し、全力で笑い、全力で泣き、人生を精一杯生きれるようになると良いなと思った1日だった。

ということで、ここで公開。

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