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こだわりをさっさと棄てる

精神疾患になると、どうしたことからか、こだわりを持ってしまう人が多い。


人により、いろんなこだわりがある。


よくありがちなのが、創作系。


詩とか小説とか音楽とかをつくってしまう。


で、成りきってしまうんだよね。才能あるプロの芸術家にでもなったような気分になってる。


ま、誇大妄想の症状なんだ。


その症状が長〜く続くと、もう社会との接点がなくなって、家族とも町内会とも縁遠くなっちゃうんです。


それを隠喩では牝牛と呼ぶ。


頑固になってる当人は、すっかり芸術家気取りで、芸術家にはない自尊心や虚栄心を特有に抱くことになる。


したがって、当人の短気は、周りから理解されないくらいにひどいものとなる。


病気です。


私は、文学を《鑑賞する》ものだと思う。文学は基本的に《読む》もので、思い上がりの自尊心や虚栄心から《書く》選択をしないほうが聡明なのだと理解している。プロの芸術家から何かを学ぼうとするならば、慎ましさが必要で、「わたしには、才能がある。自信がある」といった謙虚さのカケラもない読者だと、読解力はガクンと下がってしまう。



裸の王様になってる人が珍しくないのは、残念なこと。



なんであれそうだけど、恩師や師匠や先輩や先生から何かを学ぼうとするなら、相応しい態度や姿勢が本来あって、それさえなく自尊心や思い上がりを以って接しようと《巧妙に企む》ならば、おそらく諸先生は何一つそんな人に与えはしない。


生意気な人は、貧乏くじをひく。


私は、芸術のみならず、こだわりをほとんど持たない。こだわりをもつほどの自尊心や自信はないから。


ブログでは、自称詩人や自称作家などの人たちとは距離を置きたい。その人たちがやがてプロになれれば、岩波文庫や新潮文庫などからの執筆要請があればいいんだけど、どうやらそんな例は聞いたことがない。


全て、病気の症状。こだわりをもたないのが、正しい。

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