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ヒナドレミのコーヒーブレイク       音

 何処かで『カチッ』と音がした。かなり小さな音で、耳を澄まさなければ聞こえないだろう。だが 例え小さくても音が聞こえた時の私は どれだけ嬉しかったか。

 ここは無音の世界だ。だから どんなに大きな音を出しても、私には聞こえない はずだった。受験勉強でノイローゼ気味になっていた私にとって、『無音』は最高のプレゼントだと思っていた。

 四方を 『どんな音をも吸収してしまう壁』に囲まれた部屋に、私は今いる。ここでは、自分で立てた音さえも 何らかの方法で吸収され 聞こえない。くしゃみも話し声も、何も聞こえない。(これなら、勉強も捗るに違いない)そう思った。参考書のページをめくる音も 聞こえなければ、ノートに文字を書く音も、シャープペンシルの芯を出す音も、マーカーでラインを引く音も、何も聞こえない。

 喉の渇きを覚え、ペットボトルのミネラルウォーターを飲もうとして、キャップを捻った。またしても無音。スナック菓子を取り出しても無音、袋を開けても無音、食べても無音。これでは 食べた気がしない。

 私は 何だか無性に『音』が恋しくなった。人間とは勝手なもので、普段(音があるとうるさい)と思うのに、いざ音が無くなってみると(音が恋しい)と思う。だが それも 実際に音が無くなってみないと分からない。音の無い世界にいることで、音の有難みが分かる。生活音でも、あるとホッとする。もしかしたら『いつもあるものがない』ということに 途轍もない違和感や不安?を覚えるのかもしれない。

 先ほど聞こえた『カチッ』という音は、何の音だったのだろう?不思議に思った私は、辺りを見回してみたが、分からない。他の音は一切聞こえないのに、その音だけ聞こえるのは、周波数の関係なのだろうか?一度 気になると、何も手につかなくなる。これでは、勉強どころではなかったのだが、心を鬼にして 私は無理矢理 勉強に集中しようと努力する。やはり、落ち着かない。

 この部屋で、私は別の意味でノイローゼになってしまいそうだ。『無音ノイローゼ』とでも言うのだろうか?今すぐに ここから脱出したかった。だが「ここから出してくれ!!」と大声で叫んでも、ドアを力いっぱいノックしても、音は何処かに吸収されるため 誰にも分からない。これでは絶体絶命だ。いや待てよ、これは夢か?そうだ、きっと夢なのだ。そう 自分に言い聞かせようとしたが、残念ながら夢ではなかった。「万事休す!」

 その時、スマホの画面に着信のメッセージが表示された。(どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろう!)LINEで助けを求めれば良かったのだ。                           
                                完

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