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ヒナドレミのコーヒーブレイク   『天津甘栗』の露天商

 「コト」っという音がして、歩道の脇の空き地に イガ付きの栗の実が一つ落ちた。見上げると大きな栗の木が 幾つもの実をつけていた。イガのついている栗を見るのは 久しぶりだった。私は、しばらくの間 ぼんやりと栗の木を眺めていた。その時、私の頭の中にはある光景が浮かんでいた。数分も そうしていただろうか。私は 徐(おもむろ)に歩き出した。

 もう何年前だろうか?あれは まだ私が田舎町に住んでいた時のこと。人通りの少ない駅前の路地に、甘栗の露店が出ていた。店主は70代だろうか?もしかしたら 私と同年代だったかもしれない。笑うと目が無くなってしまうほど 細くて優しそうな目をした男だった。

 私は、何十年か前に食べて以来 甘栗を口にする機会がなかった。だから、その『天津甘栗』の赤い幟(のぼり)を見た時 とても懐かしい気持ちになった。それと同時に、甘栗の 甘くホクホクとした食感が蘇ってきた。そして気がつくと、私は店主に「甘栗一つ」と声をかけていた。

 すると店主は「毎度あり」と言って、私に甘栗の袋を手渡してくれた。私は(毎度と言っても、ここで買うのは初めてだけど)と思いながら、袋を受け取った。昔ながらの 赤い紙袋の上から、栗の温もりが伝わってきて、心まで温かくなる。

 「いつから ここで売っているんだい?」と尋ねてみると、一週間前からここで売っていて、あと一週間ほどしたら また違う町へ行くのだと店主は言った。「今は、甘栗の露店はおろか、甘栗自体も 見かけなくなったねぇ」と私が言う。たまに甘栗が食べたくなって スーパーの菓子売り場を覗くことがある。そこで『むき栗』を目にすることはあっても、何となく味気ない気もする。甘栗の醍醐味は 皮をむいて食べるところにあると 私は思っている。  
 「今は、需要も減ってきたから 供給も少ないんですよ」と店主は言う。「それでもね、 ちょっと前までは 懐かしがって 買って行くお客さんもいましたけど、最近じゃあ全然」とも言った。そして「今 巷には 食べるものが溢れてて、 選びたい放題でしょ。これじゃ 商売上がったりですよ」そう言った時の 店主の顔が、全てを物語っていた。

 今でも ふとした時に、店主のあの寂しそうな顔が浮かぶ。

 今 彼は、どうしているのだろうか?まだ 露天商を続けているのだろうか?それとも、引退して 悠々自適の生活を送っているのだろうか?どちらにしても おそらく もう彼と会うことはないだろう。

 今夜は 店主の人懐っこい笑顔を思い出しながら、栗ご飯でも食べるとしよう。 
                                完

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