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【実質無料記事!】湯河原・小田原・熱海の楽しみ方(歴史/自然/文化を満喫):イメージと現在のギャップを楽しむお城・小田原城 (神奈川)


こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。




【はじめに:小田原城の基本情報】

今回は、関東の難攻不落のお城として有名な小田原城を紹介させて頂きます

城をテーマにする時の下記出しでいつも通りですが、小田原城と言うと皆さんは、何を連想されますか? 私は、以下の感じです。

  1. (後)北条氏の居城として有名だが、築城者は別 (土肥氏一族の小早川氏が築城し、これを大森氏が奪い、更に伊勢氏(後の北条氏)が奪った形と理解) 

  2. しかし、(後)北条氏5代100年の城である事は事実 (早雲(伊勢宗瑞)、氏綱、氏康、氏政、氏直) 

  3. 日本三大奇襲の一つとして有名な河越夜戦」をやってのけたのは、3代・氏康 (日本三大奇襲河越夜戦河越夜戦跡に関しては、別記事で紹介しています) 

  4. 4代・氏政の時代に、後の上杉謙信(1561年)と武田信玄(1569年)が小田原攻めを行うが、落城しなった (「上杉謙信の場合は、小田原攻めの後、川中島に向かい、信玄と第4次川中島合戦をする事になり」、「信玄の場合は、三増峠の戦いで北条氏と一戦交えています」また、信玄の小田原攻めに関しては、別記事で考察を加えております) 

  5. 土の城として有名だが、一番有名なのは、日本最大城郭とされる ”総構え”  

  6. 秀吉による小田原征伐で、秀吉の天下がなった地 (豊臣方の支城で残ったのは、別記事で紹介した、忍城のみと言われている)  

  7. 現在の小田原城の形は「江戸時代の遺構がほとんど」と言われる…

といった感じでしょうか?

小田原城全体図
秀吉の小田原征伐時の布陣
総構えのMap

北条5代・100年の城」、と言われ、難攻不落として有名な小田原城ですが、そもそも「北条」と言う名前は、2代・氏綱の頃からの様で、初代の頃は「伊勢」を名乗っていたそうです。勝手な理解かもしれませんが、「関東でブランドのある、鎌倉幕府の執権であった、北条の名を得る事で『身内感を出したかった』ので、勝手に『北条』を名乗った」と言う事でしょうか? 故に、北条早雲は、後世の人がそう呼んでいるだけであって、あの世で本人は自分の事だと思っていないかもしれません… (真田信繁が、後世の講談で、幸村と言われて、それが定着したような物なんでしょうか?)。

いずれにしても、(後)北条氏5代のお城であったことは、事実のようで、川越市民として、北条氏の名前を最も耳にするのが、河越夜戦(日本三大奇襲の1つと言われ、8倍の兵を相手に勝利し、北条氏の関東進出を確固たるものにした戦いと理解)。更に、上杉武田の攻めをしのぎ、秀吉攻めも数か月しのいだと言われているので、小田原城のすばらしさもですが、北条氏は武勇に優れた一族であった事は事実だと思っている次第です。

小田原城の様子①
小田原城の様子②
小田原城の様子③
小田原城の様子④
小田原城の様子⑤

【戦国時代の小田原城と今の小田原城】

そんな小田原城ですが、”総構えの難攻不落な城”、であったり、”土の城”、なんて言われたりする事があるのを、、、



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