
戸原さん
マンションの二階下に、戸原さんというお婆さんが住んでいた。
戸原さんは、双子が小さい頃寝かせ付けに、双子用ベビーカーでエントランスを散歩させている時によく声をかけてくれた優しいお婆さんだった。
特に次男が懐いていて、戸原さんのお家にまで遊びに行くようになっていた。
戸原さんは、京都に染め物の工房を営んでいて、時々京都に行って2.3週間滞在して帰ってくることを繰り返していた。
京都に行くと必ずお土産を買ってきてくれた。
男の子のものだと、次男だけではなく、長男の分も必ず買ってきてくれた。障害がある子にも理解があって優しく声かけをしてくれた。
障害児を育てていると、時々、長男が空気のような存在に扱われる。例えば次男の幼稚園バスに乗せる時に、長男を連れていっても、みんな見て見ぬふりをする。「おはよう」と声をかけてくれたら、もしかしたらおうむ返しでも、「おはよう」と言うかもしれないのに、挨拶さえしてもらえなかった。
戸原さんは、長男が目を合わせなくてもいつも優しく声をかけてくれた。赤ちゃんの頃可愛がってくれて、障害がわかると空気になってしまった人も何人も見てきた。それが悪い訳ではない、それも普通、戸原さんも普通、正解は多分ない。
そんな戸原さんは、旦那さんと2人で住んでいた。
ある日旦那さんが突然倒れて意識不明になった。
戸原さんの看病も虚しく、半年後に旦那さんが亡くなってしまった。
それから数ヶ月後、戸原さんが引っ越すことになった。旦那さんと住んでいたマンションは、私には広すぎると言って引っ越しを決めてしまった。
大好きな戸原さんが居なくなる。他人なのにこんな無償の愛を注いでくれる人はなかなか居ない。ありがたかった。お金があるから出来ることだったかもしれない。昭和の世界ではあったかもしれないけれど、次男にとって、かけがいのない存在だった。
引っ越しが決まってからも、次男を家に呼んで、手作りのピザや、アップルパイを一緒に作ってくれた。
手作りほど美味しいものはない。戸原さんが大部分作ったであろう、料理を私が美味しそうに食べる姿を次男も嬉しいそう眺めていた。
引っ越ししても、遊びに行きますと言ったのを最後に、戸原さんとは2度と会うことはなかった。
引っ越す時の戸原さんの、痩せた姿、病魔にむしばられたなんて、思っても見なかった。。。