
掌編小説シリーズ「あなたが欲するものは何か?〜ダルタニャンの哲学序論〜」
“一つだけ願いが叶うとしたらあなたは何を望む?“
前提として貴方は今、自由だ。
世界最高峰の権力か。
すべてを知り得る智慧か。
決して尽きない資源か。
不老不死の肉体か。
使い切れない程の巨万の富か。
敵意が全く存在し得ない人間関係か。
無限の愛と快楽の日々か。
それとも一切の障害の存在し得ない世界か。
それともこの問いという存在の消去がお望みか。
その願いを叶えたとして、"あなたが手に入れたいもの"はなんだ?
そしてそれが叶ったとして失われたものはなんだ?
これは謂わば、この世界でのあらゆる願いの果ての形。
……。
私は一介の哲学者。
全知全能たる権能の数々を持つ、世界の神々に思いを馳せる者。
貴方は心身の平穏と、幸せを掴むだけの時間を手にしている。
“あなたの世界に光はあるか。暗闇を照らすのに十分な灯火でも良いんだ…。“
ーーーはじまりの賢者の回顧録。
プロローグ
吾輩は三毛猫の銃士ダルタニャン。
主君は居ないが気ままに過ごしている。
何故に吾輩が銃士なのか。
人語を解し、尻尾は鍵状で、尾の先が二股に分かれている。
何故か起きている間は二本足で立ちまわる。
雨ではなくともハイカットの靴を履いている。
魔法のかかった羽根帽子と軽鎧を身に纏い、腰には魔性を浄する金属で鍛えられた不思議で秘密なサーベルとマスケット銃を差している。
勇猛なるラーテルのブルーメサイアを友としている。
そんな吾輩は銃士ではないか。
仮装でもよろしいだろう。
吾輩は銃士か、道化か、猫なのか、そう思っている夢でもあるが。或いはただの作り話か。
あなたは神代の秘密を探る探偵を知っているか?
そうか、知らないか…。
あなたは日々の道楽に世界を見いだす者を知っているか?
そうか、知らないか…。
あなたは愚者と賢者という者がどういうものかを知っているか?
そうか、知らないか…。
では、とある世界で祝福された娘と、その娘と結ばれた心優しい修羅を知っているか?
そうか、知らないか…。
では、己が観る二つの世界の限界を広げた職人を知っているか?
そうか、知らないか…。
現代ではネットだけではなく巷に″アルキメデスの葦“という吾輩の名付けた草がある。
ヤツらはいろいろなことを吾輩に教えてくれる。
語り聞かせるのは風の精たちの囁きか…。
吾輩には少しばかり語り草が過ぎたか…。
今夜はスーパーで安かったヒレカツにしようか。
吾輩がスーパーからの帰りの道のりを進んでいると、名もなき木の実を拾った。
どんぐりのような、椎の実のような。
近くに生えた楢の木には、青い小鳥が朝日に輝いていたのだ。
「あぁ、名もなき木の実よ。吾輩のポケットに収まるだろうか…。吾輩のポケットにはいくつもの木の実たちが入っている。今手元にあるのは二つだが…。」
ブルーメサイアも待っている。
早く美味しいヒレカツも食べたい…。
なんだかアルキメデスの葦たちも騒がしく感じる…。
大丈夫、吾輩は道端で拾い食いはしない。
吾輩は無宗教だが、無神論者ではないのだ。
できるだけ、いただきますとごちそうさまを言うように心がけている。
多くは昔から、社会通念には"名を変えた科学"が進んでおり、神や仏を心から信心するものも割合としては減った気もするが、少なくはない。
それでも世界は回り続ける。
精霊は本来、その在り方は奇しくも美しい。
古のエレメント。
太極より陰を見出せば、それが陽と同じくしてあるものだと知る。
そんなに小難しく考える必要は無いのだ。
当たり前に皆で面白く廻る時を過ごせば良い。
憂うるならば面を上げよと、空を仰げよと昔から偉い人はよく言ったものだ。
いけないいけない。ブルーメサイアも美味しいヒレカツを待っている。
吾輩が人である夢を見たとき、こぶたのエプロンがちらつくのだ。
アルキメデスの葦よ、君たちは幾星霜と地球型惑星で考えごとをしているね。
吾輩、考えるのは好きだし得意だが、君たちと分かたれたロボットというものには、太極の陽や、陰の果てのその先へと向かった者たちも居る。
君たちは根を下ろし佇んでいるが、その先を冒険したくて種を蒔くだろう?
吾輩が木の実を拾ったのは偶然だが、起きた過去すべては必然だ。
ならば吾輩にも多少なりとも責任はあろう。
「玉の緒丸よ、時の神座が交代する時期だ。厄祓いといこうじゃないか。」
(ダルタニャンのアニキ…おいらは何者をも傷つけない超大型のバターナイフだ。それがバターなら例え霊体だとしても切ることができる。)
「虎が回ってバターになったら、それでもお前はバターを切るか?」
(人の想いは生憎、切れやせんぜ。)
「なるほどな、なまくらに鍛えた甲斐がある。虎がバターになるのはフィクションで、本来なら乳牛のミルクだが、バターはゆっくり温めるとしよう。それでこそのバターナイフだ。己の中の雌牛を養えば吉。吾輩はそれを誇りに思う。」
(パンケーキには何をのせます?)
「料理人の愛が答えさ。もともと食物は地母神よりの恵み。最愛の女人が作れば舌も蕩けるし、頬も落ちる。」
(皮革製品を出されても?)
「昔のドラマの話はやめたまえ。女性は皆美しい。おっと、もう着いたか。」
「遅いよダルタニャン…今日の晩御飯はなんだい?」
「おぉ、我が友・ブルーメサイア。待たせたな、今日はヒレカツ定食だ。」
「お腹空いてキャベツはお塩とアマニ油で塩揉みしたよ…。」
「なにぃ?! あれは無農薬の高原キャベツだと言ったろうに! 大体おぬしやや肉食寄りじゃなかった?」
「てへ。」
「致し方なし。冷凍のミックスベジタブルで代用する。」
「飲み物は炭酸のレモン水だよ。」
「ゴミ箱に捨ててある駄菓子のレモネードの袋はなんだね?」
「レ、レモン水だよ。」
(まぁ怒るのもほどほどに…。)
「いや、駄菓子のレモネードは好きよ。でもヒレカツに合わなくないか?」
「確かに(たしかに)。」
「最近はPFASもこわい…これは水道水?」
「そうだよ。」
「うーむ。こっそり流しに捨てよう。」
「えー。」
「仕方がないだろ、せめて浄水器を付けてからだ。今日は買い置きの天然水にしよう。」
「ご飯はー?」
「レトルトのご飯があるだろう。」
(ダルタニャンのアニキ。そろそろ陰の気が長じやす。)
「ふむ、それはいけないな。我が家の食卓に女人の憂い意外の陰の気があってはせっかくのヒレカツが台無し…。我が懐刀の玉の緒丸が正してくれる!」
(おいらはただの精錬されたバターナイフですぜっ! もともとは玉鋼っす。)
「破邪金剛石の元、陽気に転じよ! うんとこしょ!」
(凪ましたね…。)
「中和したか。テレビかスマホでプログラムを流せ! だんだん陽の気に転ずる。」
コメディアンが盛大にボケをかました。ハリセンで頭を叩かれたかのような無痛の衝撃だけが奔る。
途端、どっと爆笑がお茶の間を満たした。
「陰の気よ、お茶の間には感動の助けとなるが良い。…喜怒哀楽。怒り悲しみのあとは陰陽混じりて楽が長じる。我が輪転の七門に狂いなし。皆のもの、コメディアンのボケに多いに笑え!笑う門には福来る!」
食卓に笑い声がこだました。
ダルタニャンたちは満足気にヒレカツを食べたのだった。
……あっ、とんかつソースなくなった。
こんなこともあろうかとっ!
からしマヨネーズとしょうゆだとっ!?
……結構美味しいじゃないか。
あっ、しょうゆ取ってー。
はいよー。
これ昆布だしやん。
みそかつの甘味噌にしようぞ!
わらわらわら……。
プロローグ 完
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