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移ろう時の襞の合間に 3

 鈍色の空から、湿った雪片が舞い降りている。
書斎の窓越しにぼんやり眺めながら、香料の効いたホットワインをすすっていると、12月7日、ミラノはSant'Ambrogio の日だったと記憶が脳裏をかすめる。スカラ座の公式オペラシーズンの幕開けの日でもある。
 1976年12月7日、あの衝撃的なC.クライバーの<Otello >(G.ヴェルディーA.ボイト)、気も狂わんばかりにスカラ座は沸きたったのだ。演出のF.ゼフィレッリは「マエストロ、貴方でなければこのヴェルディのオテッロは実現できなかったでしょう!」と興奮し、普段は煩い天井桟敷の熱狂した連中が「これこそが、我らがヴェルディのオテッロなのだ!」と、声が枯れるまで延々とブラーヴォを叫び続けカーテンコールは終わることが無かった。
今はP.ドミンゴ以外、Mo.C,クライバーも、F.ゼフィレッリも、M.フレーニも、P.カップチッリも、もはやこの世を去ってしまった。
 遠い遠い過ぎ去った日の出来事である。 
 雪が止んだ。鈍い午後の光りが、おずおずと半分雪を冠った落ち葉に降り注ぐ。12月、ドロミーティはもう深い雪に覆われているだろう。
既に30年になろうか、初めて真冬のドロミーティに足を運んだのは、、、。
過分に暖房が効いたスキーバスを降りると、マントをぐるっと縁取っている黒いフォックスの胸元の毛先に、一瞬にして吐く息が霜が降りたように真っ白に凍り付いた。
私を冬のレジデンスに招待してくださり、迎えに来てくださった侯爵家の当主に丁寧なご挨拶をしなければならないのだが、頬の筋肉が寒さにこわばって笑顔も作れず、ただ無言でロボットのように右手を差し出すばかりであった。侯爵は凍り付いている私に「今日は暖かい、マイナス22度ですよ」と言い、雪の中でからからと笑う。気さくでユーモアのセンスも抜群な、白髪がエレガントな紳士である。
 グラーツでの公演を終えてミラノに帰る途中、常日頃私を贔屓にして下さっている侯爵家の招待を快く受けたのだった。
 嘗て、ハプスブルグ家の皇妃シィシィが冬に滞在したことのあると言われているこの地方には、その頃建てられたホテルに双頭の鷲の紋章がみられ、彼女の足跡が残されていた。


 クリスマスイヴ、漆黒の闇の斜面を、燃え盛るたいまつを片手に掲げ、凍り付いた雪を蹴散らして豪快に滑り降りて来るスキーヤー達、教会の鐘が鳴り、凍てつく深夜のミサが始まる。そして素朴な<清しこの夜>は、ドイツ語であったり英語であったりイタリア語であったりフランス語であったり、それぞれ勝手に母国語で歌うのであった。
ミサから帰って、振舞われるホットワインで冷え切った身体を温め、生姜入りのビスケットをかじり、クリスマスの正餐(25日昼食)を大いに期待し、早々に自分の部屋に引きあげる。
私の部屋にも飾られている樅木の枝には、この地方独特の、様々なフィギュア―をかたどった、手製の生姜パンがぶら下がっていたっけ。
                  Buon Natale !



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