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移ろう時の襞の合間に(1)

  あの故郷には、わたしはもう帰らないであろう
全てが蜃気楼のように虚ろになってゆく                             
研ぎすまされた鋭い刃物のような美の感性の底に、何処か鄙びた野暮ったさを秘めている、それが私の愛するイタリアだった。
もう随分昔のことになってしまった  飛行機のフライトを心配しなけばならなかった恐ろしい真昼の濃霧、ミラノ
今は、その霧でさえ二千年の垢を覆い隠す薄汚れた街並みの冬のミラノを
見捨ててしまった、とか、、、、久しぶりの古い友の便り
第四日曜日には必ず出かけていたグランカナルの我楽多市、今はどんな様子になっているだろうか、、、。掘出し物など有るはずがないと自分に言い聞かせながらも、意地汚く素知らぬふりをしながら密かに期待した、、、今はただカナーレに面したペドゥローリのアトリエで買い求めた一枚の絵が、わたしの居間を飾っている。マエストロは元気にしているだろうか?
 運河の脇を歩きながら、L. ダ ヴィンチの考案によると言われている水位の落差の仕掛けが現在も使われているとは、五百年の間、一体どれほどの船がドゥオーモ建設の石材を運ぶ為に行き交っていたのだろうか?と、遠い時に想いを馳せる。実に、ドゥオーモの建設には六百年を要したのである。    コーン型に丸められた古新聞の入れ物に、ぼそっと入れてもらった焼き栗をかじりながら、ふと、レオナルドも五百年前、今わたしがしているように、焼き栗をかじりながらこの水門の視察に来たのではなかったかと、ばかげた想像をしてみた。
 

レオナルドが描いた女性像と云えば、先ず<ラ ジョコンダ>通称モンナリーザであろうが、へそ曲がりのわたしは、<チェチリア ガッレラーニ>通称アーミンを抱いた女が好きだ。当時のミラノ公国の城主ルドヴィーコ 
イル モーロの寵姫であったそうで、妊娠しているとは思えない程十五歳の少女の顔には、あどけなさが残る美しさである。残念ながらこの未完の肖像画は、今はポーランドのクラコヴィアの博物館所蔵となっている。
 レオナルドと云えば、何やら寡黙な人類最大の天才というイメージだが、おそらくその生い立ちが彼の一生に影を落としているようである。婚外の子どもであることから、正式な教育を受けさせてもらえなかったようで、ある程度の社会的地位の父親(公証人)であったのにも拘らず、当時の良家の子供としては珍しくラテン語の教育を受けていない。
 レオナルドはたいそうな美男であったそうで、若かりし頃はその服装も華美で<Il bello di Firenze>(フィレンツエの美男)と称されたと、或る本には記されている。同時代のフィレンツェはデ メディチの加護の下、あらゆる方面の、後に天才と称えられる芸術家たちが押し寄せていたが、その中の一人、あのミケランジェロ ブオナッローティとはそりが合わなかったようである。猛々しいミケランジェロの挑発に、物静かなレオナルドも丁丁発止と議論を戦わせることがあったそうだ。議論と云っても、おそらく、お互いを罵倒し合うなじり合いに違いない。トスカーナ人と云えば、性別を問わず現在も穏やかさなど微塵も持たない人種で、どうでも良いことでも、虎視眈々と人をたぶらかす隙間を狙い、自分が優勢に立とうとする傾向がある。したがって子供から年寄りに至るまで、つまらぬことから大事なことに至るまで、兎に角嘘をつかずにはいられない。大なり小なりマキャヴェリズムは脈々と今に至るまで、トスカーナ人の血の中に引き継がれているのである。
 M.フィチーノを長としたプラトンアカデミーの全盛時代、人文哲学、文学、神学等の文化人や造形美術などの芸術家たちを加護したロレンツォ デ メデイチではあったが、レオナルドが限りなく興味を持ち研究を深めていた科学、力学、工学などの分野には興味を示さなかった。
失望したレオナルドは、可能性の伸展を求めて、より強力なスフォルツア家が君臨するミラノ公国へ目を向け、イル モーロ宛てに書状を送った。其れには、自分はより効果的な新しい武器の設計や戦場計画、建築、更に彫刻、絵画に至るまで全てお望みとあれば実現させることが出来るetc,、、、と書かれている。
 フィレンツェ時代、工房の師匠A.デル ヴェロッキォにその筆を折らせたと言われているあの優雅な美しい天使や、数えるほどしか残さなかった人物像に見る繊細で優しく高雅な作風から想像するレオナルドとは裏腹に、現実的かつ理論的で、実に冷酷なほど冴えた知性の持ち主であったようである。
 絵画は、レオナルドの計り知れない才能のほんの一部でしか過ぎない。
男色であったらしい彼はしかし、常に美しい少年をモデルとして手元から離すことなく侍らせ、悪行三昧のその少年に苦々しく舌打ちしながらも、その美しさ故に見過ごしてやったようである。それは、レオナルドがその悪童を溺愛したのではなく、ただその美しさを傍らに置きたかっただけなのであろう。 レオナルドは彼の感情的な記録を残していない。実母の死の記録にも無味乾燥に<カテリーナを埋葬した>とだけ記している。おそらく、彼は当時としては異端の、<神の存在を無視した>鋭い現実的実存のみを重視する生き方をした自由人ではなかったか、とわたしは推測する。
 最近になって、実母カテリーナはコーカサス地方出身の奴隷であったという説が出てきたが、もしそれが事実ならば、レオナルドの自由な発想自由な思想、そこを源泉とするユニヴァーサルな天才ぶりに納得がゆく。


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