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霧の宴    ミラノⅣー2        うたげ               La Boheme

*スカラ座の<ラ ボエーム>をメインに、いつもの仲間たちとのオペラ談議に花が咲く。
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 その夜、思いがけず山のサナトリウムのジョルジョやエミリァに会えたので、マリアムはたいそう幸せであった。
「どうだい、今シーズンは久しぶりにスカラ座の<ラ ボエーム>が、マエストロC.クライバーの棒に決まっているが、大丈夫かい?また山に来ることになるかもしれないぞ」と笑いながらジョルジョが言う。
「<ラ ボエーム>だったら、何も起こらないでしょうよ、たとえMo.C.クライバーでも、、、、、」とマリアム。
「まあ、今から心の準備をしておくことだなあ、振り回されないように」
「胸がかき乱されて、涙をこぼす程度にはなるでしょうね、、、」とマリアムが言うと、ジョルジョとエミリアは声をそろえて笑った。
「クライバーの<ラ  ボエーム>を僕たちはウイーンで観たんだよなあミリーミレルラ フレーニとルチャーノ パバロッティで、、、、この二人は僕の好みではないが、あの夜はちょっと忘れられない素晴らししい出来だった。ミリーは大泣きしたんだよなあ、あの時」
「まっ、余計なことを言うんじゃないの!自分だった真っ赤な目をしてたんじゃないの?」
「いや、あの日は僕は風邪を引いていたのさ」
「風邪とは関係ありませんね」
相変わらず、この二人の間には仲の良い言い合いが絶えない。

 スカラ座のその年のシーズンの演目にMo.C.クライバーで
<ラ ボエーム>が組まれているのを見た時から、マリアムの心は少しざわついていた。
数年前、スカラ座が初めてオペラシーズンの幕開けの演目にG.ヴェルディの傑作<オテッロ>の初日を全世界にT.V.で生中継したが、Mo.C.クライバーのイタリアものとの出会いはマリアムにとっては、それが初めてであった。
彼女の好みから言えば、決して最高のキャスティングとは言えなかったのにも拘らず、身体の震えが止まらない程感動したのであった。
しかし、イタリアのオペラリリカであっても、G.ヴェルディのような堅固な骨組みを持つ男性的な作品とは対照的な、多分にセンティメンタルで女性的なメロドラマの世界を得意とするG.プッチーニを、Mo.C.クライバーはどのように調理して見せるのか?
 凡庸な指揮者の手にかかると、G.プッチーニは表面的で、少女趣味になり陳腐な演奏に陥ってしまう恐れがある。
 一方、Mo.H.von カラヤンの棒の下で観た<ラ ボエーム>は、生きた人間の心臓の鼓動を無視したようなテムポのゆるさもさることながら、真面目くさった、全てがマエストロの独裁的な統治下に整然と整えられてはいるが、個々の登場人物の個性の彩が薄く、所謂<Gesto  Vivo>をマリアムは感ずることができなかった。つまり、共感共生の空間が無かったのである。
では、Mo.C.クライバーは如何に?
 このあまりにもポピュラーな、巷のエピソードをテーマにした<ラ ボエーム>というメロドラマを、Mo.C.クライバーは、どのように活き活きとした人間のドラマとして蘇生させて見せてくれるのであろうか?
 マリアムの心のざわめきは、Mo.C.クライバーの格調高いARTEに心酔する故ならではのことなのであった。
 果たして、このメロドラマに対するマリアムの負に傾く嗜好感覚を覆すことができるだろうか?
「クライバーがエキセントリックな男であることは世間にも知られているが、それにしても、その変人ぶりにも念が入っているんだ」
と、ジョルジョが思い出し笑いをしながら云った。
「僕たちがウイーンで観た<ラ ボエーム>も、その年のシュターツ オーパーのスケジュールには組まれていなかったのさ。如何してそうゆうことになったかと云うと、たまたまM.フレーニとL.パヴァロッティがほかの出し物でウイーンに居合わせた。で、パヴァロッティがウイーン近郊にあるクライバーの自宅に挨拶の電話をした折に、フレーニも一緒にいるから<ラ ボエーム>をやろうじゃないか、と云ったら、あの難しい人が、どういう風の吹き回しかパヴァロッティのプロポーズを快く受け入れたんだって。そりゃ素晴らしかったよ!僕は世界中の劇場で千回以上は観ているね、このオペラを。でもあんなに凄いのは観たことがなかった。クライバーの息のかかったヴェテラン揃いのキャスティングで、しかもリハーサル無しのぶっつけ本番だったのさ。
その条件が特別な緊張感を生み出し、劇場内にビシビシと伝わり広がった。
歌手もコーラスもオルケストラも聴衆も、劇場全体が、まるでクライバーの魔法にかかったように、一期一会のあのメロドラマを生きていたのさ。
あのなかなか難しい男も満足したらしい。あまりの素晴らしさに、シュターツ オーパーが、次のシーズンに同じメムバーで正式にプログラムを組みたいと云ったら、<あの時は最上の出来栄えだったから、もうやる必要はない>と言って断ったそうだよ。僕がL.パヴァロッティから直接に聞いたんだから本当の話だよ」

 その年のスカラ座の<ラ ボエーム>は、I.コトゥルバス、L.パヴァロッティの組み合わせであった。マリアムは、I.コトゥルバスに好感を持っていた。確かに、ラテン系の歌手特有な声そのものが聴衆を魅了する密度の濃い肉声を誇れる歌手ではないが、演劇人のマリアムにとっては、ほっそりとした容姿の彼女の舞台上の美しい佇まいが彼女の音楽的な正確さと相まって、納得がゆくのであった。
 声の美しいM.フレーニの舞台姿は、出身地のエミリア地方のおばさん風で泥臭く、ブッファな雰囲気を感じさせるのには何時も興ざめであった。演劇の基礎的訓練が成されていないせいで、彼女の演ずる悲劇的なヴエネツィアの貴婦人<オテッロ>の妻デズデモナなどは、目を覆いたくなるほどの幻滅を感じさせられる。同じようなことが、同じくエミリア地方出身のR.スコットにも言える。マリアムは数年前に、R.スコットの素晴らしい声に魅せられて< ラ トラヴィアータ>を観に行き、最初から最後まで目を閉じたまま舞台に目を向けることなく、脳裏にバランシン振付けのM.フォンティンのマルグリットを思い描きながら、その美声だけに酔った。
 H.von カラヤンの<ラ ボエーム>でM.フレーニはミミを演じたが、もう少し演技が何とかならないかねえ、と一緒に見ていた友人とため息をついたのだった。違和感がなかったのはG.ドニゼッティの<愛の妙薬>の田舎娘アディーナで、これは、無理なくはまり役であろうと思われる。
 傑出した美声の持ち主とは言えないI.コトゥルバスではあったが、アクターズアカデミーの出身だそうで、舞台上の演技が的確に整理されているところが、マリアムが彼女に好感を持った所以である。
 
 思いがけなく、スカラ座の資料室に務める知人からゲネプロのティケットをプレゼントされた。彼女は、マリアムがC.クライバーに心酔していることを、よく知っていたのである。
 その日は、朝から何も手につかず、期待と騒めく心を抱えて不安の入り交ざった奇妙な感覚で、一日中落ち着かなかった。
 午後になってアンドレアが電話をかけてきた。彼もその夜のゲネプロに行く、とのことであった。
「君が落ち着いていられないのを感じたから、電話をしてみたのさ。今からそんなに興奮していたら、夜までもたないのに、、、、落ち着いて、落ち着いて、、、」と、柔らかい声で云った。
 マリアムの席は、プラテーアの中央から少し左寄りで、殆ど指揮者の手に届きそうな最前列であった。
 初日を公共放送Raiがヴィデオ撮りするので、所々にカメラが備え付けられていた。既に報道関係者たちが詰めかけていて、異様な雰囲気に包まれていた。極端なメディア嫌いのMo.C.クライバーから、少しでも何かを引き出そうと、彼らも必死の様子である。
 そして、あの奇妙なマリアムの不安は、何時もそうであるように、無造作としか思えないマエストロの右手の指揮棒が振り下ろされた瞬間、見事に跡形もなく消え失せてしまう。
 切れ味の鋭い躍動的なリズムの流れが、自由に生命体の動きの様に操られてゆく。そこに繰り広げられているのは、疑いもなく十九世紀から二十世紀初頭にかけてのリリカ イタリアーナの魅力であり、G.プッチーニの魅惑の世界であった。
Mo.C.クライバーの生み出す連鎖する音の流動の変態は、今や殆どの音楽家からもなおざりにされてしまっている音楽におけるリズムの本質、古代ギリシャの哲人ヘラクレイトスやプラトンの思考を完全に立証していると、マリアムは得心した。
 一幕を終わって、マリアムは第一ヴァイオリンの友人シモーナを楽屋に訪れた。マリアムが口を開く前に彼女は言った。
「素晴らしいでしょ、マエストロ!」
「素晴らしいなんてもんじゃないわ、奇跡的ね!オルケストラのメムバーが何時もと違うんじゃないかと思うくらいよ」
「そりゃ、マエストロ クライバーなんですもの、神経の使い方が何時もとは全然違ってくるのよ!何しろ例のクライバーグラムが毎回配られているし、彼が其々の楽器から引き出そうとしている彩に応えようと、皆最大の努力をするのですもの。だから、彼の身体から発せられるメッセイジに応えて、その音楽に和すると、その中に私達も彼と一緒に生きているのを感ずるのよ。唯一無二ね、彼のような指揮者は、天才とは彼のことよ!」
 その<ラ ボエーム>で、I.コトゥルバスは期待通りマリアムを満足させてくれたが、まるで予想もしてなかったルチア ポップ演ずるムゼッタの圧倒的な素晴らしさに驚愕した。
 後になって、L.ポップがウイーンのフォルクス オーパーの出身であることを知ったが、その声も音楽性も容姿の美しさも、神経の行き届いた演技すべて、マリアムがそれまでにお目にかかったことのない見事なムゼッタであった。ムゼッタというペルソナ―ジュは、演劇の基礎的訓練が成されていない人には非常に難しい役柄である。残念ながらリリカの分野では、演技はそれ程重要視されていないのが常であるが、その時のL.ポップのムゼッタには、十九世紀末から二十世紀初頭における、ある種のパリの女の匂いが漂っていた。あくまでも想像でしかないが、マリアムは密かに、このメロドラマの登場人物の中でG.プッチーニが最も愛した人物はムゼッタではなかっただろうか、と思う。
 譜面を表面的に読んだだけでは見逃してしまう、怪しげな商売をしながら生きるためにはしたたかだが、単純で人情家で魅惑的な、イヴェット ピアフが歌うようなパリの下町の女の生き様を、Mo.C.クライバーはL.ポップから曳きだし、彼女は見事に演じてみせる、しかもたいそう美しく、、、。
 同名のオペラを、R.レオンカヴァッロは同じくG.ジャコーザの台本で作曲しているが、こちらはムゼッタが中心人物となっている。おそらく、それはヴェリズモに属するR.レオンカヴァッロが、当時パリのカッフェシャンタンやカバレなどで作曲演奏活動をしていたことを考えると、たいそう興味深く、納得できるのである。
         つづく


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