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移ろう時の襞の合間に 2
多分十代の初めの頃であった。五歳年上の頭脳明晰な姉は英語の勉強のためとかで、様々な洋画のリブレットを本棚に並べていた。終戦後から、時はそれ程経っていなかったのだが、戦時中抑制されていた外国文化への憧れが堰を切ったように日本中に湧きあがり、ヨーロッパやハリウッドの映画が怒涛のように輸入された。姉は特にフランス映画に魅せられ、フランス語の勉強も始めているようであった。
わたしはというと、防空頭巾にモンペといういでたちから解放されて、姉のお下がりではあったが、華やかな花柄のワンピース(私には全く似合わない)を着る喜びを満喫していた。ほっそりと長身でしなやかな立ち居振る舞いの姉とは正反対な、よく言えばボーイッシュつまりは不細工なわたしには、姉のお下がりなど似合う筈もなかったのだが、、、。それにしても、姉の本棚に並んでいる洋画のリブレットに見る外国の女優たちが纏っているコステゥームに目を瞠り、外国人は皆こんなに美しい夢のような衣装を着ているのかと、羨ましかった。
姉が収集し ていたリブレットの中に<The Student Prince 学生王子>というのがあり、ハリウッドの映画であったがドイツ ハイデルベルグを舞台にした<身分を隠した某国の王子様と下宿屋の娘のラヴストーリー>で、これまたお決まりの悲恋物であった。ストーリーには全く興味はなかったが、リブレットを読んでいくうちにハイデルベルグ旧市内の古い大学町にわたしは惹かれていった。第二次世界大戦で戦火を免れた数少ないドイツの町で、古い大学都市として知られている。
大人になってヨーロッパに行くことがあったら、是非ハイデルベルグを訪れてみたいと、夢見た。リブレットの中に感じとられる歴史的な旧い街並みに繰り広げられる生命力あふれ、青春を謳歌する若い学生たちのイメイジが私の頭の中に活き活きと躍動したのである。
そして、二十世紀半ば、大人になったわたしはイタリア国ミラノに留学することになった。ミラノ中央駅からは国際列車でヨーロッパ中(東欧を含む)の国々に行くことが出来る。実際に、その後わたしは欧州の国々を旅したが、プロフェッショナルな仕事以外は全て(その頃は未だユーロスターが開通していなかった英国を除き)国際列車を利用した。趣味でヨーロッパを旅する時は鉄道に限る、と今でも思っている。その方がいろいろな人達との出会いがあり、思いがけない楽しいアクシデントあり、車窓を過ぎてゆく美しい田園の風景が満喫できる。
ある時ドイツ人の友人が、彼の生まれ故郷のローテンベルグを語ってくれた。例によって好奇心旺盛なわたしの頭に即ラムㇷ゚が点いた。
「そうだ、ミュンヘンーニュルンベルグーローテンベルグーハイデルベルグを一週間の予定で鉄道旅をしよう」
たまたまK.リヒター率いるバッハの公演を聴きにミュンヘンに行くという知人がいたので、それならばわたしもミュンヘンでバッハを聴こうと同行を申し出た。ミュンヘンの後ニュルンベルグで玩具の博物館を見に行くという彼のお供して、わたしは、かの有名なA.デューラーの<野うさぎ>を見に行くことにした。
そして知人はミラノに発ち、わたしはローテンブルグに向かった。やはり旅は気ままな独りに限る。
期待しすぎたせいか、ローテンブルグは,城壁に囲まれた旧い可愛らしい町であったが、わたしの心を揺さぶるほどではなかった。ただ見知らぬ東洋人のわたしに、土地の人々が道ですれ違うたびに「Gruss Gott ! こんにちは!」と挨拶をしてくれるのが印象的であった。
前夜かなり激しく雨が降ったらしく、色づいたた木々の葉が道路に打ち付けられていて、その日のハイデルベルグはひっそりと晩秋の中に佇んでいた。日曜日であったせいか、想像していたほどの賑わいがない。理由のない違和感をわたしは微かに感じた。普段は若者たちの賑やかな会話が飛び交うであろう質素なカフェにも、人は疎らであった。
わたしは古城を対岸に、ゆったりと流れるレッカー川の川岸で、水面に浮かぶ数羽の白鳥に餌をやっている老人の姿をぼんやりと眺めていた。
少女の頃耳にした、あのマリオ ランザが歌うStudent prince の一節がしきりに頭の中に甦る。
昨日のひっそりさとは打って変わり、月曜日は自転車で通学する若者たちがそこかしこに溢れ、見違えるように活気に満ちている。わたしは古本屋を数件回り、ワグネルに関する本を数冊買い求めた。そして心の底で、ハイデルベルグに来るのには、わたしは年を取りすぎている、とため息をついた。