日記・果たして?
きのうの朝、夢うつつで「お告げ」みたいなものがあった。
『北辰一刀流にするか示現流にするか』というもので
それは剣術の流派なのであり、また
今書いている作品で、主人公は剣道をやっていましたので「それに反映させよ」というのかも知れません。
ただその〝夢〟にはビジョンはなく、〝言葉〟だけがあったのです。
またきのうは心霊講話会に参加し
そのことを「霊」の作用かと質問しようとも思ったのですけれど
何故かためらわれて、そのままにしました。
その講話会では
何らかの霊を見たり感じたりする霊媒体質の人が全体の7~8割いる、ということで、代表の講師Yさんが霊と精霊を召喚し、「こことこの間を通ってみてください」と言うので
私も左手をかざしてみたところ、少しピリッと来ました。
また、精霊は火のそれを召喚し
会場の一部が火照るのを感じました。目には見えませんでしたが。
作家のジョン・ミルトンは「失楽園」の中で
「この世界では目には見えない霊的存在者たちが数多く歩き回っている」としています。
私たちはとかく現実的なもので、物理的な、肉眼でしか確認できないものを信じがちですが
目には見えないものにこそ、真実が隠されているような気がしてなりません。
「真面目でやさしい人ほど心を病みやすい」と言いますが
それは形になって見えますか❓
逆の「不真面目で、人の心を屁とも思わない人がこの社会の上に立っている」といくら口を酸っぱくしても
「その過程は形になっていないからわからない」という人もいるでしょう。
『思いやり』というのは、行動に移さないとわかりませんね。
霊道というのも存在し
電信柱にそれが集まりやすいとのこと。それは送電線、電話線、インターネットケーブルが集中し、電氣が流れていますからね。
魔道というのもある。
PCやスマホの01のデジタル世界は魔界だそうで
いっしょうけんめい取り組みすぎると心を病むそうです。
魔界からのストレスを受け続けると、たとえばウツになって療養が必要になると、安静が求められるのは、ごく当然の防禦反応なのかも知れません。
私たちは誰でも霊を背負っているといいます。
それから発せられる念が障害を負いますと、念症・念障ということになり、身体の各所に症状が出てくるというわけです。
代表のYさんは「ウツの患者1,500人を治した」とも言ってました。
彼もまた波乱の人生を送っており
幼少期から毒親の実の父から引っぱたかれ、ハイティーンの頃に家出をし、一時はヒモの生活をしていたそう。
霊能力には若くして目覚めたようです。
ある教師を念視したところ「念の矢」が多く背中に突き刺さっていたそうです。教壇上から生徒たちを指導する中で、邪なものも含めてまとわりついてきたのでしょう。
また一方では
霊能者は能力を行使したぶん、代償を払わなければならず
借金したままでは必ず不幸になるとも述べていました。
それにしても「剣術のお告げ」は霊的存在者が仕掛けてきたのでしょうか❓
これについてわかる方がいたら、是非コメントを残していってください。
感想でもいいです。
人間は霊・肉体・精神の三位一体の存在なのです。