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rin_muranaka
【読書記録】寺地はるな『ほたるいしマジカルランド』【夢の国】
夢の国の住人だって人間だ。
皆等しく悩み、苦しみ、それでも働いている。
時折背筋を意識して伸ばしながら。
以下、気づきを箇条書きとする。
コンプレックスは誰にでもある。それを自覚しているかどうか。
他者を先入観なく、フラットに見て、接することのできる人がどれだけいるだろうか。私のようなひねくれた人間は、フラットな接し方のできる人と遭遇すると多分身構えてしまう。警戒してしまう。
自分の本心を見透かされるようで怖いのだ。自分と向き合うのが怖いのだ。
自分が汚いことを知っているから。汚い自分を見たくないのだ。
そこを目をそらさず、向き合えた時、自分のことも他者のこともフラットに見ることができるのだと思う。
人は誰でも「何者かになりたい」「必要とされたい」「代替不可の存在になりたい」と願うが、社会としては「代替可能」でなければまわっていかない。代替可能だからこそ、助け合い、いつでも抜けたり戻ったりできる。代替可能な部分と不可能な部分があるからこそ、チームで補い合える。
結局「ないものねだり」。端から「ある」ように見えても「ない」こともある。
自分の良さは自分では自覚できない。本人にとっては「できて当たり前」のことだから分からない。周りから特にほめられなければ自覚のしようがない。生きてるだけでえらい。
遊園地ってなんのためにあるんやと思う?今朝、佐門にそう訊ねた。でも答えは、どうでもよかった。「なんのために」なんて、くだらない。
ともに生きていくものに、重要な意味なんかなくていい。価値なんかなくていい。
食べて寝て働いて。ただそれだけ繰り返して死んでいくなんてあんまりだから。
なんのためにもならないものが、ごくあたりまえに存在する。存在することを許されている。それこそが豊かさだ。市子はそんなふうに思う。