
【読書記録】阿部敏郎・雲黒斎『あなたが知らないあなたの話』【自分なんていない】
自分が思い込んでいる常識、というのはいつから染みついてしまっているのでしょう。
その常識って、本当に、本当に正しいことなのでしょうか?
子どもの頃から思い込んできた常識を否定する内容でした。
でも、この本を読んで気が楽になる人、たくさんいると感じます。
この内容が本当かは、死んだ時に分かるのかもしれません。
本当かどうかより、自分が楽にこの世を生きられる方法を選択したいと思いました。
以下、心に残った部分を引用します。
あなたが「わたし」と呼んでいるもの。それは私の名前であり、人格であり、容姿や性格であり、生い立ちであり、獲得してきた知識や経験であり……といったものです。
それらは、あなたそのものではなくて、あなたを構成する要素です。
(中略)
それらはすべて「あなたそのもの」なんかじゃなくて、言ってみれば「あなたの付属品」です。
(中略)
「いのち」も同じです。あなただけのいのちって、ほんとうはないんです。
いのちは境目なく全体に広がっていて、全体の一つのいのちなんです。
同様に、「成功」も「失敗」も、自分の解釈の中で紡ぎだされた物語です。
「失敗」なんて、本来しようがないんです。起こっている出来事はすべて、あなたの目の前にいまそういう現象が起こっているというだけのことです。それに「失敗」というラベルを貼りつけているのは、あなたの思考の中だけです。それは架空のことなのです。
わたしたちは、「自分が見ている」と思いがちです。でも、「自分は見ない」と決めても、見ないことはできません。
要するに、「自分が見ている」のではなくて、「見せられている」のです。あるいは、「見る」という行為・現象だけがそこに立ち現れていると言えばいいでしょうか。
(中略)
わたしたちは、自分の人生は自分で生きているように思っていますが、じつは「生かされている」のです。人生を生きているというよりは、そういう人生が、いま起きている。
たとえば、職場に「イヤな人」がいるとします。
明日も会社に行くと、あの「イヤな人」と顔を合わさなければならない……そう思うと憂鬱でたまらなくなります。
でも、いまこの瞬間、「イヤな人」とはどこにいるのでしょう。えっ?「その人の家にいる」って?違います。あなたの心の中にいます。あなたの心の中にしか「イヤな人」はいませんよね。
たとえ翌日になって、職場でその人と出会ったとしても、「ああ、イヤな人だ」という感情が起こるのはあなたの心の中です。目の前にいる人が「イヤな人」なんじゃなくて、あなたの心の中で「イヤな人」という感情が起こっているんです。
ジタバタするからクリアできるんじゃない。「来たるべき時が来たから、クリアできた」ということなんです。どのみち、なることはなる、ならないことはならない。
「自分」を握りしめる生き方は、とても過酷です。
世の中いろんなことが起こります。何から何まで「自分で」対処しなければならないとしたら、疲れ果ててしまいます。
失敗してはいけない。道を間違えちゃいけない――この先の人生も、ずっと「自分が」ハンドルを握って運転しなきゃと思っていると、不安で押しつぶされそうになります。
それもこれも、運転しているのは「自分」だと信じているからです。
運転しているのは「あなた」じゃない。
いままでも自動運転だったし、これからも自動運転です。
起きることが起きる。
それ以外はけっして起きない。
こうなればよかった、こうならなければよかったと思ってはいけない。
それ以外はけっして起きなかったのだから。
「わたし」が「わたしの人生だ」と思っているもの――それは夜、寝ているときに見る夢と同じです。目が覚めた途端に、すべて消えてなくなります。
どんなにひどい夢を見たとしても、目覚めてみれば、「わたし」は何一つ傷ついていない。だからなんにも心配しなくていい。
(中略)
夢とわかれば、もうどうってことはありません。
夢の中の問題が解決してもしなくても、夢の中に出てきたモンスターが退治されてもされなくても、もうどっちでもいいはずです。
そんなものは、はじめからなかったのですから。
「いまを生きる」とは、いま目の前のことに対して、いっさいの判断が消えている状態のことです。
わたしたちは、日々いろんな気分を味わいながら生きています。
いい気分のときもあれば、イヤな気分のときもある。できればいい気分で過ごしたいと、誰もが思いますよね。
いつでもいい気分でいることは、誰もが可能です。(中略)
誰も裁かないこと。もちろん、自分も含めてです。たったそれだけで、一日のムードが大きく変わります。
もし、いま自分の境遇に不平不満を抱いていたり、他人に対して不快感を持っているとしたら、まず間違いなく自分のことを「被害者」だと考えています。「何か」を「誰か」のせいにしているということです。