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続 アンダーヘアについて考察してみよう
アンダーヘアは要るのか要らぬのか。昨日はそれについて散々に考察し、その結果、明確な答はつかむことが出来ずじまいであったが、私としては、「やっぱり無い方がいいのでは……?」という気持ちがやや勝っている気がする。
ルネサンス期の絵画には「それ」が描かれていないことや、みんなワキは容赦なく伐採するくせに何故にそこは置いておくのか疑問に感じたところに最近の脱毛ブームの波、そして、布面積の恐ろしく小さな下着を身につける際の、「それ」の収納のことを考えると、「無い」方が理想なのではないかと思えたわけだ。
アンダーヘアは無い方が美しい。
そう仮定してみよう。何故に「無い」ことを「美しい」に結びつけるかというと、女の原動力の源は総じて「美の追求」だからである。
ヘアを無くすにはどうすれば良いか。
根こそぎ一掃する。
これ一択でありましょう。
剃る! という手段も無くはないが、これはチクチクと皮膚の下の毛が、タワシかヤスリのように主張し、果ては下着の布地をも通り抜けていってしまうことになり、誠にもって具合が悪い。美を求めてカミソリを手にしたはずなのに、仕上がったその姿は情けなさに涙が溢れるものになる。
これではいけない。こんな本末転倒にならぬように、やはり「除毛」ではなく「脱毛」と参りましょう。
知人に、脱毛機器を導入している脱毛サロンの店長がいる。
パンツの中エリアの脱毛とはどのようにしてやるのか、彼女に聞いてみる。
「お客さんには紙のパンツを履いてもらって、必要に応じてズラしながらバシバシ照射していく。お客さんには『見えてませんよー』とか言うけど、まー、具は見えるわな。こっちは気にしてへんけど」
とのことである……。「具が見える」とは、なかなかインパクト大な言葉ではありますまいか……。
さらに彼女は続けた。
「サロンに来る前には予め自分で毛は剃ってきてもらう。剃り残しは施術前にこっちで処理する」
ということはもう、どうあっても白日の下に晒されることからは逃れられぬということか! ぐぬぬぬぬ……
で、ではあれはどうだ。ブラジリアンワックス!!
「あー、あれな。一気にツルツルになるけどあれは紙のパンツも無しちゃうか? で、ベリィッ……とやった後、取りこぼした毛を一本ずつ抜かれる。股間はガン見になるわな。やる側は気にしてへんやろうけど」
…………………。
彼女は事もなげに言ってのけたが、想像しただけで何だか哀愁漂う光景ではないか。
斯様にアンダーヘアとの闘いは過酷なのであると思い知らされる。乗り越えるべき山は高く、その覚悟のほどを問われているようだ。
もしかしたら有るか無しか白か黒か、の決着をつけたがる者は、少数なのかもしれない。または、有るか無しか、を考えたけれど、「これで間違いなし」と太鼓判を押せる答がつかめないので、白と黒の間を取ってグレーという人が大多数なのかもしれない。
「やっぱちょっとは残しておきたい」というやつですか。
「ある」けど、布面積の小さい下着もいけちゃうよ、というぐらいに刈り込むやつ。
私は初め、それを「ずるい」と思った。なんというか、潔くない! と感じたのだ。
しかし、ちょっとは残しておきたい派の者たちとて、プロの手によって整えようとなると、結局は同じ屈辱のステップを経ることになるわけで、そのことを考えると「ずるい」と糾弾するのはあまりにも浅はかな行為かもしれない。それだけみんな悩んでいるということだ。迷走しているということだ。
アンダーヘア問題。この正解はどこにあるのだろう。何が理想なのであろうか。
完全に「無し」にした者向けには、アンダーヘアの「付け毛」なるものもあるようだし、この問題はまだまだ続きそうである。
「誰が何と言おうと私ゃコレが最高なの!」
と言い切れるだけの理想像を、各自が持てると一番良いのだろうが、それもまた難題なのである。
隣の芝生は青い、というように、「隣のヘアは美しい」に違いないのだ。