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マラルメ「蒼穹」とそこから連想した歌詞

第42回_うっすらとした願望_さっぱり分からん!「マラルメ全集」感想_2024.12.1|耽楽的音声記録より。詩なのに全然音楽性が感じられないので素人が音読してみる試みをしてみました。さらにマラルメの影響を感じるラッパーの詩を引用。

ステファン・マラルメ「蒼穹」(渡辺守章訳「マラルメ詩集」より)

永劫変わらぬ 蒼穹の 晴朗なる 皮肉は
打ちのめす、 花々の如く 美しく 無頓着に、
無力な詩人を、己が天才を 呪いつつ
苦悩の 不毛なる砂漠を 横切っている男。

遁れつつ、眼を閉じても、 感じている、見ているのだ、
打ちのめさんばかりの 後悔の 激しさで、
虚ろな わたしの魂を。 どこへ 遁れる? いかなる
凶暴な夜を 千切っては 投げる、胸を抉るこの侮蔑に?

霧よ、立ち昇れ! 撒き散らせ、単調なお前の灰を
棚引く襤褸の 靄もろともに、 空に注げ
秋の 鈍色の沼が、溺れさせようと言う、
だから造れ、広大なる沈黙の 天井を!

それと、お前、忘却の河の 沼地を出でて、拾うべし、
来がてらに 水底の泥と 色褪せた 葦とを
親愛なる倦怠よ、塞ぐのだ、疲れを知らぬ その手によって
鳥たちが 悪意を籠めて穿った 巨大なる 蒼い穴を。

またか! 倦むこと知らず 陰鬱な 煙突は屋根に
煙を吐き、かくして 煤の牢獄が 宙に漂い、
消してくれるように、その棚引く黒い 煙の恐怖に、
地平線上、黄ばみつつ、死なんとする 太陽を!

―空は、死んだ ―お前の方へ、 わたしは駆け寄る! おお、物質よ
与えてくれ、残酷理想と の忘却とを
人間どもという 幸せな 家畜どもが 眠っている
寝藁を 分かつべく やって来た この殉教者に、

いかにも わたしは望む、つまり結局 この脳味噌は
壁際に転がっている 白粉瓶さながらに、 空っぽで
飾り立てる術もない、 涙にくれる 詩想でさえも、
暗い死の方角に、不吉極まる 欠伸をする それだけだ…

無駄なのだ! 蒼穹は勝ち誇り、聞こえてくるのは、その凱歌、
鐘楼の鐘の響きに。 我が魂よ、蒼穹は さらに我らを
恐怖せしめんものと、 悪意に満ちた 勝鬨を挙げる、そして
活き活きとした 金属からは 響く、蒼い色の お告げの鐘が!

それは昔と変わらずに、霧を渡り、刺し通す、
お前の 生まれながらの苦悩を、短剣のごとくに。
いずくへと遁れる、無益かつ倒錯した 反抗のなかを?
取り憑かれている、 わたしは。 蒼穹に! 蒼穹! 蒼穹! 蒼穹に!

マラルメ「蒼穹」


8th wonder「反乱」(『ヴァルハラ』(2009))の終盤の一節より。「蒼穹」を踏まえると明らかにマラルメを踏まえてる気がします。詩を書く事自体を歌った曲が多い8thはまさにマラルメリズムの体現者では。

2度目の深呼吸で現実が降りてくる 取り巻く暑さと寒さと渇きの中で言語中枢を拷問すると 今日もブルーノートでつぶやく
限界はここにはない 空にある
すべての1行のために死んだ99行がある 一条の影に99行が咲く

8th wonder「反乱」


自然生 ~何処へも行かず此処で踊れ~ 志人 ZYMOLYTIC HUMAN : 発酵人間より。

さあお前のやる番だ
答えは遥かなる空にはなく お前の心の内にある
振り乱す武器を土に還す
窮地に立つ時にこそ無私になる
口に出す愚かな言葉は諸刃だ
澱まない言葉達を胸に
虚心坦懐 童心に還ると同時
惜しみなく鳥になる夢のうねりを打て
その心で
まっすぐに真新しく貴方らしく

志人「自然生~何処へにも行かず此処で踊れ~」(『Zymolytic Human~発酵人間~』(2012))

当時は自然派になっていった志人のある意味無敵な余裕ありげな態度を良いと思っていたものでしたが、今となっては勝ち逃げされた気がしてあまり好きではないのも確かです(笑)

埴谷雄高「死霊」自序より

一種ひねくれた論理癖が私にある。胸を敲つ一つの感銘より思考をそそる一つの発想を好む馬鹿げた性癖である。極端にいえば、私にとっては凡てのものがひややかな抽象名詞に見える。勿論、そこから宇宙の涯へまで拡がるほどの優れた発想は深い感動からのみ起ることを私は知っている。水面に落ちた一つの石が次第に拡がりゆく無数の輪を描きだす音楽的な美しさを私は知っている。にもかかわらず、私は出来得べくんば一つの巨大な単音、一つの凝集体、一つの発想のみを求める。もしこの宇宙の一切がそれ以上にもそれ以下にも拡がり得ぬ一つの言葉に結晶して、しかもその一語をきっぱり叫び得たとしたら―そのマラルメ的願望がたとえ一瞬たりとも私に充たされ得たとしたら、こんなだらだらと長い作品など書きつづらなくとも済むだろう。私はひたすらその一語のみを求める。けれども、恐らくその出発点が間違っている私にはその一つの言葉、その一つの宇宙的結晶体はつねに髪一筋向うに逃げてゆく影である。架空の一点である。ついに息切れした身をはたと立ち止まらせる私は、或るときは呻くがごとく咏嘆し、また或るときは限りもなく苛らだつ。そして、ついにまとまった言葉となり得ぬ何かがそのとき棘のような感嘆詞となって私から奔しり出る。即ち、achとpfui!私にとって魂より奔しり出る感情はこの二つしかなく、ただそれのみを私は乱用する。

埴谷雄高「死霊」自序

マラルメは日常語から選び出した語を様々な意味に解釈される偶然性を排除して、詩句として用いる上で絶対的、単一的でいて日常語からかけ離れた意味で用いようとした。そういった語だけで構成された「絶対の書物」を書く事の不可能性を理解しつつもそれを目指そうとした模様。埴谷雄高もまた宇宙規模での「存在の革命」、それを全て示す「その一語」を求める不可能な形而上学的な経緯をあっは、ぷふい!を乱用しつつ「だらだらと長い作品」を書き続ける様もまたマラルメ的とも言えるかもしれない。

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