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読書録 「もしも、私があなただったら」2011/2023

白石一文「もしも、私があなただったら」(光文社)

目に見えないものの大切さをテーマにした連作小説集「どれくらいの愛情」のあとがきに本作が紹介されていたので読んでみた。

表題の通り自分が相手の立場になったら何を思い、どのように行動するのか、相手の立場に立つとはどのようなことなのかに主眼を置き物語は進んでいく。

「人間の愚かさはいつの時代も止まることを知らない。むしろこの世界では、そうした愚かさを身をもって演ずることこそが人生の目的なのではないか、と近頃の啓吾は考えるようになった」(p69)

「そして、人が愛する人に何かをするということは〈もしも、私があなただったら、こうしてほしい〉と願うことでしかないのだ。(中略)自分が相手のためにしたいと思うことが、そのまま相手が自分に対してそうしたいと願うことと重なるとき、確かに二人の心は通い合っていると言えるのではないか。そんなことは当たり前と言えば至極当たり前のことだ。たとえば、『あの人に会いたい』と思うことは、『あの人に会ってほしい』と思うことであり、同時に『あの人に会ってあげたい』と思うことに他ならないのだから」
(p133~134)

「疑うことも、憎むことも、信ずることも、愛することも、所詮は一枚の布地の裏表であり、人間というのは、強い風にはためく薄っぺらな布切れのようにそうした愛憎を風に吹かれるままに周囲に撒き散らし、それでかりそめの満足を得たり、死にたいほどの苦しみを味わったりする。だが、そうやって自分を翻弄しつづける当の風の存在や、その風を吹かせている更に深遠で巨大な存在に対しては、不思議なほどに無頓着だったりするのだ。誰かと関りを持つというのは、相手と繋がった瞬間にその相手を裏切り始めることでしかないのかもしれない。人と人との関係は本質的にそういうものなのだ。裏切りのない愛もなく、愛のない裏切りも恐らくない。つまりは、いつの時代も恋人や家族との関係は、人間にとって最大の生き甲斐であると同時に最大の苦痛の種でもあるのだ。だからこそ、人の不幸のほとんどすべてが愛すべき家族たちとのあいだに生まれてくるのだろう」(p163~164)

人間の弱さや愚かしさを切実に描写する場面が多く見受けられた。
反面、弱いからこそ、人とつながり、相手を思うことで自分の望みを満たそうと模索する姿もうかがえた。

「裏切りのない愛はない」とは、愛とは裏切りを前提としたものである、ということか。すなわち愛すべき相手に対する全面的な信頼、献身を傾ける一方で、相手との関係性を維持するために自分自身を、他の多くの人々を、さらには相手の意向までも裏切らなければ、ならないのだろう。

本書では「誰に対する」裏切りであるかについては触れていないけれど、僕は恐らく自分自身を裏切る場面が増えてくると思う。
人を愛する、とはある程度、自分を犠牲にしなければならない。

元々は他人同士の人間がつながるには、自らを変え、時に望まないことも甘受する必要がある。もちろん、これは否定的なことばかりではない。例えば、朝焼けの海岸を眺めるように相手との経験を共有し感動することは相手がいるから、もっと言えば、相手と同じ目線に立つよう無意識的に自らを合わせているから可能になるのだ。

「心が通い合う」ということも自らの願望に相手の願いを付け加えたり、更新することで初めて成立する。つまり、自分だけ自己中心的な立場のままでは誰かとつながることは難しい。

自分を犠牲にすることで得られる幸せが愛の持つ素晴らしさとして強調されるけれど、本質的には自分自身を裏切り続ける行為に人は傷つき、苦しむのだろう。それは自分を裏切った結果、本来手に入るはずのものが手に入らなかったり、自己犠牲感を強く感じた場合、生じる。

「こんなにしてあげたのに、どうして応えてくれないの」という一見、自分勝手に見える苛立ちも「自分は自分自身を裏切って君を想っているのだ」、ということの裏返しではないのか。

自分の行為の背景に潜む相手の存在が色濃くなると自分が望む、望まないに関わらず愛すべき対象を経由した帰結を導かなければならないため自分の感情に即した反射的な行動が難しくなる。そのことに、もどかしさや歯がゆさを覚えるのだと思う。

すなわち相手の存在を無視すれば単純な問題になるのに、と感じることは往々にしてある。また自分自身を裏切る、とはひどく不自然な行為であるはずだ。今まで確固として貫いてきた主義・スタイルを相手の存在(から受け取る愛の恩恵)によって変容するのは不完全な人間を象徴している。

良い意味、悪い意味で愛する人から影響を受けることで変容する人間の営みについて想いを馳せた。

冴えない顔で泣いちゃった夜を重ねて
絶え間のない暮らしを今日も重ねた
良くなりそうな明日に期待する度に
何度も今日を鏡台の裏に隠した
映る私は何回も瞬きしては
変わる心に簡単に動揺したわ
だけど意外と目を瞑った瞬間に
悪くないなって思いながら明日を悟ったんだ

私以外私じゃないの
当たり前だけどね
だから報われない気持ちも整理して
生きていたいの
普通でしょう?

ゲスの極み乙女。「私以外、私じゃないの」

今日も皆様にとってよい一日でありますように。
「私以外も私」、それはまやかしの雨。

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竹内康司
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