Never Let Me Go
毎朝、朝食を食べながら新聞に目を通す。
さーっと眺めて気になる記事があれば食後、歯磨きをしながら精読する。
あるいは夕食時に読み返したりする。
本も新聞も電子版は苦手だ。
紙でないと内容が頭に入らない。
それに紙の新聞はめくっていると思いがけず面白い記事に出会うことがあるから新鮮だ。
さて爽やかな朝ルーティンの書き出しだが、ここから少し重くなる。
2024/6/19の日本経済新聞一面に驚愕した。
それは難病治療のために体外受精で「救世主きょうだい」と呼ばれる弟か妹を誕生させ幹細胞ドナーにする病院がタイ・バンコクあるという。
これってカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」ではないか。
記事によれば、その病院では既に13人もの「救世主きょうだい」が誕生したそうだ。体外受精で人工的にできた数十個の胚の中から免疫の型が適合するものだけが選ばれ、不適合の胚は処分された。
ショックで朝食が喉を通らなくなった。
もちろん僕のnoteを読んで頂いている方の中にも色々な価値観を有しているので一概に是非善悪を論ずるつもりはない。たとえば難病をかかえる我が子を何としてでも救いたいという親心は、独身の僕には当事者意識が欠如しているから理解しがたいという批判もあるだろう。
あくまで僕自身の感想ということで以下は読んで頂きたい。
ニーチェに影響を与えたとされるショーペンハウアーの思想に「盲目的な生存意志」がある。すなわち世界の根底には「盲目的な生存意志」がはたらいていて、それらは絶えず満たされず、人間のあらゆる欲望は生存意志を満たすために尽きない。
したがって
・「芸術」への没頭
・仏教を通じた抑制・解脱
などによって苦しみを緩和し「盲目的な生存意志」を免れるほかない。
というのがショーペンハウアーの大まかな主張だ。
過去に「意志と表象としての世界」の通読は挫折したものの、白水社の「孤独と人生」、「存在と苦悩」など比較的読みやすい著書もあるので興味があれば参照して頂きたい。
生きる苦しみを受け容れること。
たとえテクノロジーが進展して移植に適合したドナーにできる「救世主きょうだい」を生み出すことができたとしても命の選別はあってはならない。
僕はそのように考える。
運命を引き受ける勇気をもつこと。
単純な量的功利主義は美しくない。
今日も皆様にとって良い一日になりますように。
誰かの役に立たなくても命は存在するだけで尊い。
僕はそのような考え方に共鳴する。