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”あそび”のある社会

電話をかけることがめっきり少なくなった背景にはZoomやTeamsなどオンライン会議ツールが発達し、ホワイトボードやチャット機能など話しながら内容をまとめることが容易にできるようになったことも考えられるだろう。

画面越しで相手の表情も分かるから果たして自分の発言が理解できているのかどうかも確認することができるから非言語的な部分のコミュニケーションも補完されるといえる。

そんなことを考えながら先日、ある大学で数学を教えられている先生とTeamsで話をする機会があった。

事務的な話し合いは終わり、打ち合わせ後の雑談の際に僕が以前参加した寿都町の講演会の話をした。

ドイツでの市民参加型の議論プロセスを紹介したら

ドイツ人って、数学者と似ているところがありますね。
部分的には精緻で正しい主張をしているのだけれど全体をまとめる際に、最後の最後で大きな間違いを犯してしまう。
(あくまで個人の感想ですが)
物理や化学、工学などの大学内で他分野の先生と会議をする時、数学の先生は体系的に一つ一つ整合性のとれたロジカルな主張をしていて、「正しい」のだけれども、最後の結論が会議の方向性とオーバーラップしないために他の参加者から煙たがれ、結局「この人の言うことは聞き流しておこう」と無視されることが往々にしてあります。

という数学者の悲しきエピソードを教えて頂いた。

余談だが、数学者の思考方法をジョークにしたものをいくつか見つけたので気になった方は下記を参照して頂ければ幸いである。

https://www.comm.tcu.ac.jp/~math/hnakai/math/others/jokes/index.html

会議の場では何らかの結論を出すために意見を収束させる必要がある。
その収束段階で部分最適よりも全体最適が求められ、ある種結論ありきの会議だったりすると変な方向に持って行かれるのを阻止したい機運が高まるのかもしれない。

さきのドイツ人の話の続きで、その先生曰く、ドイツでは意外と電車が遅れるそうだ。

運行ダイヤグラムや時刻表を作成するためにドイツ人は数学者など理系人材を登用しているにも関わらず度々遅延が生じる。

それは、時刻表を精緻に作りすぎてしまった結果、思わぬ事象(事故、ハプニング、災害)が発生し一か所が機能不全になると全体に波及し支障をきたすからだという。

よほどのことがない限り遅延することがないということは、実はすごいことで、日本の鉄道運行が世界的に評価されるのもうなずける

先生の話を聞いて、ある種どこかで不測の事態に対して緩衝作用となるバッファーが存在して調整機能が働いているのかもしれないと思った。すなわち効率を考えれば無駄に見えるようなことでも、緩衝材が存在することによって、何らかの外的ショックに対しても適応できる。そのような「あそび」の部分が近年、少なくなりつつある印象を受ける。

それは社会全体が余裕をなくし、早く効果をあげたいがために部分最適の罠に陥っているのかもしれないな。

今日も皆様にとって良い一日になりますように。

「あそび」ということで、ちょうど一年前(2023/9/2)にどんな記事を投稿したのか最後に載せておこう。


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竹内康司
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