僕らは縄文人の子孫
長岡の実家から徒歩で10分ほどのところに火焔式土器が出土した縄文時代の遺跡がある。小学生の頃から歴史や課外学習の授業で何度も遺跡に足を運び再現された竪穴式住居の中に入って遊んだ。
たしか新潟県立歴史博物館の先生が話されたと思うが、
君たちは縄文人の子孫なんだよ
という言葉が今でも忘れらない。
先日(2024/6/25)参加した自啓共創塾では「地球環境の保全・人類の共生を支える『日本のこころ』」というテーマだった。話題提供者の一人は求職活動中だった頃、僕の現状を知って携帯に連絡をくださった方だった。
もともとは4月に東京で開催された人文知応援フォーラム分科会で、たまたま席が隣同士で頂いた名刺に(無職で名刺がなかった)僕がメールを送ったことがきっかけで知り合った。
畏れ多くも電話で温かなお言葉を頂き、世の中にはこんなにも篤実な方がいらっしゃるのだなと感じた。
だから先日の塾は非常に楽しみな回だった。
「日本のこころ」の源流は縄文時代にあって自然と共生しながら約一万年以上もの間、縄文人は自給自足の生活を続けてきたという。近代社会は高々数百年であるに対して縄文時代の期間は、ものすご~く長い。
それは地震や台風など古来から数多くの天変地異を経験し、自然の中で生かされていること、自然の恵みへの感謝から、自然を崇めようという畏敬の念をもって暮らしていたおかげかもしれない。自然の中のあらゆるものに霊性が宿るとするアニミズムの思想が生まれたのも自明だろう。
対立ではなく共生。
自然には敵わないので人間同士で争っても仕方がない。
だからたとえ自分とは異なる存在だとしても違いを違いのまま受け容れる。
たしか前々回のテーマは「習合」だったな。
参加者同士で交わされたグループダイアログの中で「禊や祓いの身を清める思想の中にも、水の流れのように澱まないものに日本人は清浄を好む性質がある」という話を聞いた。
鴨長明の「方丈記」ではないが水の流れのように万物は移り変わっていく。自然の流れに逆らわず、ゆく川の流れにしたがっていく。
自分勝手で不自然なことをするから淀みが生まれて「人災」が発生する。
できる限り素直なこころでシンプルに暮らすことができれば、皆心穏やかになり他者とも自然環境とも共生できるのではないかな。
そんなことを考えた。
今日も皆様にとって良い一日になりますように。
縄文人の子孫として今日も持続可能な社会のためにできることをしていこう。