読書録「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書」
「売上増加により収益性は改善する」、「生産性が良くなるので効率性は高まる」、「リードタイムが改善され納期遅延を起こさず顧客満足度が高まる」・・・etc
中小企業診断士試験の2次試験の答案や実務補習の診断報告書に何度、上記のようなお決まりのフレーズを書いてきたことだろう。書くたびに「何か違うな」と違和感が心の奥底に沈殿していった。
常に成長し続けなければならない、効率を高めるべきだ、という成長至上主義の言説を絶対化し、上昇志向のワンパターン思考回路に陥ることで、そこから逸脱したものや資本のロジックでは説明できないものを価値がないと切り捨ててきた。
あの時、言葉にすることができなかった違和感の正体を本書は教えてくれたと思う。本書によるとケアとセラピーは不可分で本来優先順位を付けられるものではないのだけれど、社会は分かりやすく効果を測定できるセラピーを重視する傾向にあるそうだ。
変化をもたらし、効果があり、価値を生み出すことを、会計の声は求める。正論ではある。限りある財源なのだから、効率よく使用されるべきだ。成果のあるものに予算は投入されるべきだ。(中略)そういう公正明大で確信に満ちた会計の声に僕らは反論することが難しい。
「ただ、いる、だけ」の社会的価値を僕らは語りづらい。終の棲家になったデイケアが社会にもたらす経済的価値をどう語っていいのかわからない。(p320)
当事者以外の第三者による評価は結局、数値化可能な一部分の側面でしかなく、変わりばえのしない本書でいう円環時間を生きる当事者のすべてを会計のものさしでは測ることはできない。むしろ会計のものさしでは測れないものにこそ、(当事者にとって)存在価値があるのではないか。
成長主義・効率性という錦の御旗をひとまず下げて有限の時間をぼんやり過ごしてみる。僕が今、手書きで文章を書いているのもコスパや特定のメリットがあるから実行するといった枠組みから離れて自分自身と向き合いたいからなのかもしれない。
注)この読書録は過去に個人の読書ノートに記載したものを加筆修正したものである。