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言葉を熟成させる。

10年以上前に書いた日記や読書ノートを加筆修正して公開している。

noteに書くネタがないから苦肉の策で昔の執筆物を引っ張り出しているのかという推測もあるかもしれない。

半分は当たっているが、半分はちょっと違う。

僕は平日会社員として働いており、出勤前の早朝にnoteの記事を執筆している。時間的な制約があるため、すでに文章ができあがっている過去の執筆物を参照するという事情がある。

なので割と週の真ん中あたりの投稿では過去の日記等を参照した記事が出ることが多いような気がする。(疲れが出始めるとスラスラ文章を書けないので…)

過去のノートや日記を見返すと自分の考えが現在とさほど変化していないことに気づかされる。

もちろん当時、読んでいた本や好きだった映画の影響を受けた文体で読みかえすと恥ずかしくて赤面する文章もある。(公開はしないが)

大学生だった20代前半に書いた文章。
30代になった今現在、書く文章。

同じような繰り返しの毎日かもしれないが、10年もの間に様々な人との出会いや別れを通して物事に対する解釈の幅が広がってきた、と思う。

自分の文章に限らず音楽を聴いても歌詞の意味が分かるようになってきた。
話は脱線するが宇多田ヒカルの音楽性の高さに今さらながら気づかされる。

時間と経験によって過去に書いた言葉が熟成されていく。
それは過去から現在の自分自身へのギフトで人生を彩るものなんだと思う。

辛くて涙したことや眠れない夜を過ごしたことも時間が浄化し優しい薬になり、じんわり心を癒す。

今日の僕の言葉が明日、明後日、10年後の自分へのエールになることを信じて、僕は文章をつづる。

先日紹介した白石一文の「どれくらいの愛情」に収録されている「20年後の私へ」という作品のメッセージもこの記事の内容に近いものがあるので興味のある方は参照して頂ければ幸いである。

今日も皆様にとってよい一日でありますように。

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竹内康司
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