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「最適」という言葉の語弊

昨日の投稿「還流」で、

だから次にバトンを手渡す現役世代として、自分にとって最適ではなくて将来世代を含めたステークホルダー全体にとって最適な行動をとった方が望ましいと僕は考える。

と書いた。

別段おかしなことを主張したわけではないが「最適」という言葉を使ったことに少しモヤモヤしていた。

経済学部を卒業したから「最適解」、「効用最大化」、「利潤最大化」といった言葉をついつい使いたくなる。個人的には「ナッシュ均衡」が好き。

あくまで個人の感想だが「最適化」に若干違和感を覚える。
英語で書くとoptimizationだ。

語源を調べると

optimizeの意味は「最適化する」で、語源はoptimus(最善)に由来します。optimizeは資源の活用や財務状態、パソコンの状態などが最高のパフォーマンスを発揮できるように改良するときに使われます。

とのこと。

「最善」という言葉中に、そこはかとなく欺瞞を覚える。

複数の選択肢の中から何らかの基準をもとに比較した結果、選ばれるのが「最善」first-best。対比される言葉はsecond-best「次善」だ。

物事を比較検討するために「何らかの基準」は必要だとしても、その基準から測れないものもある。僕の感じた違和感はその削ぎ落されたものの中にこそ最善を支えるファクターが存在するのではないのかなということ。

例えば市場を介さない家事労働(無償労働)はGDP(国内総生産)の算出に含まれない。

しかし上記の内閣府の試算によれば賃金換算すると年143兆円になるそうだ。ひぇ~。

ステレオタイプな昭和ドラマで
誰が食わせてやってると思ってるんだ!

と言ってちゃぶ台返しするシーンが見受けられる。

何とかフラグを立てた人の暴言は、もしかしたら貨幣換算できるものの最適化、最善の基準でしか物事を捉えられていないのかもしれない。

お父さんが最適化できるために無償の家事労働があるし、子どもたちは、そんなモラハラ野郎にも「はいはい」と笑顔で受け流すお母さんの優しさを見てすくすく育つのだと思う。

今日も皆様にとって良い一日になりますように。

今日も明るく安全第一。


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竹内康司
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