トランスジェンダーは存在しない



前提のお話


性のあり方には身体的性、性的嗜好、性自認、性表現の4つの要素があるといわれています。各要素について男性・女性を決めることができる「男女差」があるかを考えてみましょう。

1身体的性(Biological Sex)
 身体的な男女差としては体のつくりが違うことが挙げられます。生殖器や第2次性徴による変化は男女差と言っていいでしょう。現在の生物学を参考に身体の特徴として精巣などを持つのが男性、子宮などを持つのが女性と分けてみましょう。結論として身体的性には男女差があるといえます。

2性的嗜好(Sexual Orientation)
 男性が好きなら女性と言えるでしょうか?言えないですよね。男性が好きな男性、男性が好きな女性、女性が好きな男性、女性が好きな女性など性的嗜好によって男性女性を決めることはできません。つまり性的嗜好に男女差は無いといえます。

3性自認(Gender Identity)
 自分が男性であるか女性であるか、何を基準に決めていますか?身体的性によって男性器があるから男性と決めましたか?それとも性的嗜好によって決めましたか?スポーツが好きなら男性、おままごとが好きなら女性と決めていいでしょうか。何をもって性自認を決めるのか。そこに確固とした基準はありません。
つまり性自認に男女差は無いといえます。

4性表現(Gender Expression)
 服装やしぐさ、言葉遣いなどの自己表現によって男性女性を分けられるでしょうか?
スカートを着る。ズボンをはく。着物を着る。人によって好きな服を着て良い。例えば一人称も私、僕、わし、あたくしなど自分の使いたい言葉を自由に使って良いでしょう。性表現によって男性・女性を決めることはできなさそうです。
つまり性表現に男女差は無いといえます。

性のあり方を考える4つの視点から、「男女差」が存在するかについて考えてきました。結果として身体的性のみ「男女差」があると言え、ほかの3つに関しては「男女差」は無いと言えます。
身体的性と性的嗜好、性自認、性表現の違いは何かを考えると、前者は身体的特徴であり、後者は精神的特徴であると言えます。つまり人間は身体的男女差はあるが、精神的男女差は無いと言い換えることができるでしょう。


精神的に男女差は存在しない

性的嗜好、性自認、性表現において「男女差」と考えていたものは何だったのか。それは、「力強い男性」「か弱い女性」等といった男性像、女性像への固定観念ではないでしょうか。
・スポーツが好きだから男性
・花が好きだから女性
・ズボンを好むから男性
・ドレスを好むから女性
どれも因果関係が成り立っているとは言えませんよね?
こうした男性像、女性像は生まれた時から刷り込まれた固定観念ではありませんか?男性・女性を外してもう一度見てみましょう。
・スポーツが好きな人
・花が好きな人
・ズボンを好む人
・ドレスを好む人
どれも各個人の趣味嗜好でありそこに男女差は無いと言えるでしょう。
つまり「男ならこうあるべき、女ならこうあるべき」というのは他人の勝手な押し付けだということです。
本来、人間には精神的に男女差は無いのに、周囲の「こうあるべき」という考え方を受けて「男だから、女だからこう」という男女差を勝手に作り上げてしまっているのです。
どうでしょう、納得いただけるでしょうか。

トランスジェンダーの悩み

「身体は男で心は女」というので悩んでいる人は本来肉体の性にとらわれることなく自分の思うように生きていいにも拘らず「女らしくありたいという固定観念にとらわれている」と言い換えることができます。
この固定観念の内容としては
・女性らしい服装をしたい
・女性らしい見た目になりたい
・女性らしく振舞いたい
といったあたりだと思います。前述の「身体的に男女差はあるが精神的に男女差は無い」を踏まえて考えると、

・女性らしい服装をしたい
 「女性らしい服装」というのがそもそも刷り込まれた固定概念で存在しない。あなたが着たいのは「その服」でしょう?好きな衣装を着たらいい。

・女性らしい見た目になりたい
 「綺麗になりたい」ではないですか?美容ケアすることに男女差は無いです。化粧品を買ったりエステを受けにお店へ行きましょう。
整形や身体を異性のものに変えたいといった場合はよりお金がかかりますが病院で施術してもらうしかないです。すみません。

・女性らしく振舞いたい
 「可愛く」や「妖艶に」振る舞うという感じでしょうか。そこに女性だからや男性だからこう振る舞うべきといった理由はありません。自分が振る舞いたい様に振る舞えばよい。

といった感じで解決すると思います。精神的な男らしさ女らしさというものは存在しないので、肉体の性にとらわれずに好きなように生きていいのです。


トランスジェンダーは存在しない

長々と語ってきましたが、タイトル回収です。
トランスジェンダーとは、
”性別違和をもつ人々の総称。性別違和とは,体の性的特徴,出生時の体に基づいて判別された性別や,その役割に課される性役割,性別表現など,すなわちジェンダーへの違和感である。”(出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 より一部抜粋)
とされています。
「その役割に課される性役割,性別表現など,すなわちジェンダー」とは人間が作り出した「男・女ならばこうあるべき」という固定観念です。トランスジェンダーが持っている違和感は、周囲の人間が無意識に与え当人に根付いた固定観念によるものです。人間が真に自由で肉体的な性差にとらわれず、精神的には男女差が存在しないことを受け入れた状態であれば、肉体の性と精神の性(そもそも存在しない)の差異に苦しむことはありません。
あえて男性・女性を使いますが、男性体で男性らしいことをするのも女性らしいことをするのも良し、女性体で男性らしいことをするのも女性らしいことをするのも良しとされているはずです。
つまり肉体的な性別と精神的な性別の差異で悩む「トランスジェンダー」は本来精神的な性別が存在しない以上、存在しないものなのです。

蛇足な話

残念ながら身体的な性差は存在するので、第2次性徴による男性的・女性的な変化に対する忌避は避けられませんし、男性体で出産したりすることはできません。少し前述しましたが、身体のつくりを異性のものにしたい場合は多額を支払って病院で施術してもらうほかありません。
ですから身体的な男女差による違和は拭い去ることはできません。

そこでこう考えてみてはどうでしょうかという例です。
・肉体的な特徴は遺伝によるものだと考える。
高身長がいいという人もいれば、低身長がいいという人もいます。それらは遺伝によるものが大きいとされています。身長のように遺伝によって男性的か女性的な体つきになると考えると少しは「しょうがないかな」と思えるんじゃないかと。
・理想を目指すにはお金や時間がいる
理想のボディのためにジムやエステなどに行く人がいます。彼らは自分の理想のためにお金と時間を使っているわけです。整形や性転換手術も理想のためにお金と時間を使っているわけです。現在は医療に多額のお金がかかってしまうだけで根本の考え方は同じなわけです。
現状に満足してエステに行かない人と理想のためにエステに行く人。
現状に満足して整形しない人と理想のために整形する人。
どうでしょう。同じことだと思いませんか?

蛇足の蛇足

本記事はトランスジェンダーの悩みを軽くすることを目的としており、悩んでいる人を否定するものではありません。
「男らしさ女らしさ」の固定観念を取り除いた先にあるもので救われる人がいればいいなあと思い書き起こしました。
意味を調べたりはしましたが、分野としては不勉強です。

ご意見・ご感想、ぜひお願いします。
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