オルタナ旅行、華倫変再見
京都・大阪に一泊二日で旅行をした。オルタナ近畿旅行である。本来オルタナ近畿と呼称すべきは和歌山なんだろうけど、寺とかほとんど行ってないし、行ったのは本能寺だけだ。その一面だけとってもオルタナと呼んで遜色はないと思う(オルタナに対しての大雑把な認識)。
朝からやっている銭湯でピアスがめちゃくちゃ開いてる若い町おこしの人たちに接客されたり、二人でずっとネトストしていた京都市動物園のシロテテナガザルに会いに行ったり、ギリ人が眠れないくらいギラギラ金メッキのアラビアン・ラブホテルに泊まったりした。めっちゃ美味しいもつを食ったり朝から普通に酒飲んだりして、最終的には彼女も俺も、本能寺で人を待つことができたので、もうzazen boysを名乗っても良い。
なんやかんやあって二日目の昼くらいに大阪の画廊モモモグラに向かった。華倫変の没後20年展示が良きタイミングで行われていたので、さすがに行かなければと二人意気込んで向かう。
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俺が生まれて二年後に自殺しているので、当然華倫変はリアルタイムで追えるはずもなく後追いだったけど、初めて読んだ時から徐々に世界が彼の描くような世界になっていることを二人で話していた。原画、設定資料などが置かれている場内では、ずっと戸川純の『さよならをおしえて』が流れていた。自分のいる現在が、原画の中で小さくまとまっているような浮遊した感覚を覚えた。
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旅行から二週間以上経って、『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』を改めて読んだ。読んでた時、すごい辛かったなーって新鮮に思い出した。今もずっとその苦しみと地続きで生きているはいるものの、彼女と旅行に行って素直に楽しくて幸せで、自分は曲がりなりにも正直に生きてこれた。そんな気がする。
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