【PODCAST書き起こし】名人:三遊亭圓朝について語ってみた(全6回)その6
【PODCAST書き起こし】名人:三遊亭圓朝について語ってみた(全6回)その6
(「いらすとや」さんの画像使用:https://www.irasutoya.com/)
【三浦】まだまだおそらく語りつくしていないことがたくさんあると思うとは思うんですけど、だいぶ出たかな? という気もするんですけど、山下さんいかがですかね?
【山下】はい、本当にありがとうございました。圓朝さんって、僕もこれをやるためにいろいろと読んだんですけど、江戸時代に30年・明治時代に32年生きているっていう、時代が凄く変わったときに江戸落語を子どものころから見ていて知っていてやっていて、明治維新が起きていろんなことが変わっていって、そこで山岡鐵舟つながりでいろんな人たちと知り合っていって。それと彼はアーティストみたいなところがあったと思うんですけれど、その様子がルネッサンスみたいな感じが凄くしていて、ルネッサンスって、時代が変わってパトロンが井上馨とか渋沢栄一みたいな人が付いていて、その人は芸術家だけれど、薩摩から来た人、山縣有朋さんとかもそうですけれど、あまり江戸のことを知らないわけじゃないですか。江戸って文化の集成が300年間おこなわれてきたところがあるので、それを「じゃあどうやったら僕たちもそこに入れるのかな?」って多分思ったと思うんですね。そのときにじゃあ圓朝さんにいろいろ聞くとわかりやすくしてくれるから、それで彼は昔の漢語とかいわゆる読み書きの言葉を近代口語に変えていった人じゃないですか。そうするとむちゃくちゃわかりやすいですよね。するとやっぱりみんな寄ってきて、「教えて、教えて」ってなって、圓朝さんはそういう性格だったからかもしれないけれど、それを「いいですよ、いいですよ」ってやりながら、それと並行して創作者・クリエイター・アーティストとして新しいものをどんどん作り続けようかなってっていうのと、がないまぜになって、うまく時代とハマっていったんじゃないかな? しかも録音が残されていないからどんどん神格化されていって、カリスマ化したというようなこともあり、たくさんお弟子さんもいるからその人たちがやっぱり……。
だから、まったく話を変えちゃいますと、キリストとかマホメットが生まれてお弟子さんが伝えていくわけですよね、マタイ伝とかで。その行動、また、釈迦がいて弟子がその教えを伝えていくというような構図が、圓朝さんにもあったんじゃないかな? っていうふうに思うんですね。
それを例えば昭和に置き換えると、これは僕の仮設なんですけれど、立川談志さんっていう人もそういうところがもしかしたらあったのかな? だから今、立川流のおもしろい人たちがいっぱい出てきているんじゃないかな? じゃあそれはどういう時代の変化によって……、もしかしたら落語協会を脱退したことかもしれないし、なんかそういう仮説がいっぱい出て来てですね、凄く知的刺激を受けたんですね。
【三浦】だからそういう時代精神を自分で体現して、生きていった圓朝っていう人と、さっき和田さんが正雀師匠と話して受けた「やっぱり芸人だったんだよ」っていう側面。こういう二重性がとっても人間的でいいですよね。能力・才能はもの凄くあると思うんですけれど。
【山下】だから割と神格化されて、飾り立てられているけれど、もしかしたら光の奥には必ず影があるので、そこはもしかしたらさっきの親子関係以外にも何かもしかしたらあったのかもしれない。
【三浦】影というか庶民性であるとか、そういう部分。あるいは何度も出ていますけれど、仏教に対しての1つの信仰的な敬意っていうのはもちろんあったんでしょうね。
【山下】でも人間って両方ありますもんね。
【三浦】ちなみに三遊亭圓朝を主人公にしたドラマみたいなものって今まであったんですか? 映像的に言うと。
【和田】どうだろうな、主人公は僕の知る限りはないような気がします。
【三浦】今すっと和田さんとかと話していて、それこそ井上馨とか山岡鐵舟とかが出てきた時点で極端なことを言うと大河の主人公にして、この時代を1839年に生まれて1900年までを、圓朝の目線・圓朝の暮らし・圓朝の生きてきた人生を通して描きぬくっていうのはかなりおもしろいんじゃないかなと思うんですけれど。
【山下】宮藤官九郎さんに書いてもらいたいです。
【三浦】いや、別に……、宮藤官九郎さんだと全部クドカン節になってしまうので、まあ誰かはわからないですけれど。和田さんに書いていただいて……、なり。山下さんが自分で汗を垂らしながら書くとか。
【山下】クドカンが……いいんですが…。
【和田】圓朝は、山下さんがおっしゃったように談志さんとね……、今で言ったらっていうのでおもしろいなって思ったのは明治20年頃に「私はもう寄席には出ない」っていう宣言をして、そのあと実際には、ちょろっと出たりはしているんですけれど、原則出なくなってその代わり活字分野の発表は凄くするんですよ。
【山下】作家になっていかれたんですよね?
【和田】そうなんです。そこらへんの大看板であるのに、多分出ればお金ももらえるのに、そういうのではないポジションをわざわざ作っていくとか、そういう気難しさとかはおもしろいなと思いますね。
【三浦】談志師匠も積極的に活字にはしていますもんね。
【和田】そこのみんなと混ざる存在じゃないよっていうのをわざと打ち立てたような感じもするし。
【三浦】一線引くっていうことですかね。
【和田】あとは圓朝を描いた絵っていうのは鏑木清方の絵がいつも引用されるんですけれど、座布団に座って、縦長の構図のやつがどの本を見てもそれが出てくるんだけれど、あれはよく圓朝を知る人は「よく表しているね」って言っているんですよ。つまり、噺家なんだけれど、高座上の愛想っていうのがほぼなくて、笑い顔みたいなのもほぼなくて、気難しい雰囲気があったと。「その錦絵はよくとっているね」って、これは描いたのはもっと後だと思うんだけれど、清方のほうが年下ですからね。
【三浦】そうか、だから清方も……、絵師もいたっていう、さっきちらっと話した国芳が出てくるっていうのがちょっと驚いて。
【山下】歌川国芳さんね。
【三浦】国芳の門下にいたんだ。でもいい絵ですよね、それね。
【和田】そうですね。今の噺家にはない……。
【三浦】それ、お茶を飲んでいるんですよね?
【和田】お茶を飲んでいますね。ろうそくを置いてね。これも、今の人だったらもうちょっと愛想がありますよ。高座の雰囲気がね。「昭和5年の帝展に出品され」ってあるから、相当あとに描いたんですね。でも記憶で描いたわけですよ。清方のお父さんっていうのが圓朝と親しかったから清方も当然記憶にあったんでしょう。ちなみに歌舞伎で『牡丹燈籠』をやったときに、圓朝の役っていうのが1つ付けられて、今の猿之助さんが役をやったの。この絵を凄くマネをして気難しい感じで出てきて「毎夜毎夜ありがとうございます」みたいな感じでやったのが結構おもしろかったですね。
【三浦】要はこれを書いた人物として出てきたということ? 原作者として。
【和田】多分、猿之助さんが圓朝を演じるにあたってこの絵をヒントにしたんだと思う。愛想なしの。ちなみに亡くなった勘三郎さんは名優だったと思うけれど、圓朝の役をやるときは、完全に現代の噺家みたいなめっちゃ愛想がある感じで、「ありがとうございます」みたいな感じでやって。
【三浦】それはちょっとイメージが違うかもしれないですね。
【和田】だから多分実像と結構違う感じの、腰の低い感じでやっていましたけれどね。
【三浦】ちょっと圓朝を主人公にしたドラマを……作ってみたいですね。
【和田】だからあれだよなぁ。結局……、僕がおもしろいと思うのは、三谷幸喜さんが書いた『国民の映画』っていう演劇があって。あれって結局凄くパワーを持った権力者がナチス時代にいて、でもその中でレ二・リーフェンシュタールとか、当時の役者とかそういうのが。
【山下】演出家がね。
【和田】ケストナーとか反発する人もいるし「これは利用できるな」っていって、別の考えはあるんだけれどその場だけ、合わせていたりもするじゃないですか。
【三浦】利用するというか。
【和田】利用するところはするとかね。でもそのあとに「10年後に俺は別のことをやるんだ」って考えているとかね。っていうそういう面もありそう。圓朝さんって。
【三浦】そうか、じゃあ脚本化するにあたってはいろんな圓朝さんの人となり、人間性をもう1回研究してみて、どういう側面があったのかをやってみたほうがいいのかも知れないですね。
【和田】でも、特殊な人ですよね。亡くなった人の追善とか法要ってありますけれど、確かに圓朝って毎年8月にやって、みんな集まってね。それを言ったら確かに談州楼燕枝とか三代目小さんとかも、みんな集まってっていうのがあてもいいような気もするんだけれど、それはないですからね。だからやっぱり特殊な……。
【三浦】やっぱり相当、尊敬・崇拝されている人っていうことですよね。
【和田】そういうことですよね。まぁ、そういうアイコンなんだな。
【三浦】アイコン。非常にいい。わかりやすい。
【山下】シンボルなのかもしれないですね。落語界のね。
【三浦】というようなことで……。
【山下】
そろそろお時間で、今回はこれで終わりにしたいと思いますけれど、8月の11日に三遊亭圓朝さんが亡くなられて圓朝忌が今年もあると思いますが、それに向けて、編集してアップしていきたいと思います。BRAIN DRAINではこれを文字起こしにして、noteというものにあげているんですが、毎回文字起こしがあがってきて、それを初見で最初の読者になれるのが凄く楽しいというですね。さっき圓朝さんの口述筆記の速記本のって話があったんですけれど、これもしゃべり言葉じゃないですか。僕も自分で文章を書いたりするんですけれど、書いている言葉じゃなくて、しゃべっている言葉ってこんなにわかりやすくておもしろいんだなって、毎回感じているんですね。文字起こしをしたやつを見ていて。「あ、しゃべり言葉と書き言葉って全然違うんだ」と。それが明治でそういったことが、速記本でおこなわれて、坪内逍遥が二葉亭四迷に「ちょっと行って聞いてみろ」みたいなことをね、やっていたっていうのが本当に……。
【和田】1つの分岐点ですもんね。その一言が。
【三浦】「ちょっとお前行って聞いてみろよ」っていうのが世の中を変えているわけですもんね。
【山下】そうです。日本の近代文学史には必ず出てくるじゃないですか。
【和田】歴史を変えたひと言。
【山下】そう。ということで、圓朝さんは歴史を変えた人で、これから三浦さんがドラマの箱書きをお考えになると思いますけれど、また次回もよろしくお願いします。
【三浦】ありがとうございました。
【和田】ありがとうございました。
【山下】じゃあカメラに向かって、さようならー。ありがとうございました。
テキスト起こし@ブラインドライターズ
(http://blindwriters.co.jp/)
---- 担当: 榎本亜矢 ----
今回のお話は圓朝さんの特別さがわかるお話で、噺家ファンの方々がとてもリスペクトされているのが伝わってきました。素敵なご縁をありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願いいたします。