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【PODCAST書起し】精神分析家でアマチュア落語家の藤山直樹さんに聴いてみた。3、子どもの頃から落語をやってみて「生きる意味としての落語」

【PODCAST書起し】精神分析家でアマチュア落語家の藤山直樹さんに聴いてみた。             
3、子どもの頃から落語をやってみて「生きる意味としての落語」
【三浦】幼稚園のときに、一番最初に覚えた落語はなんですか?

 

【藤山】覚えてないけど『時そば』はできましたね。

 

【三浦】はああ、幼稚園で。

 

【藤山】うん。それからあと……。

 

【三浦】そばすするところとかも。

 

【藤山】(三遊亭)金馬の『道具屋』を聞いて覚えた気がしますね。

 

【三浦】金馬。

 

【和田】はいはい。『道具屋』『孝行糖』とかね、入ります、入り口ですよね。

 

【藤山】そうそうそう。

 

【和田】金馬の『孝行糖』。

 

【藤山】金馬はよくNHKの『放送演芸会』というのがありましてね。

 

【三浦】ラジオですか?

 

【藤山】『ラジオ寄席』ちゅうのもありましてね。それをなぜこう言っているかというと、僕は寝ていて、ラジオがこのへんにあって置いてあるんだよ、棚の上に。それを聞いてこうやって、で、終わって、それ聞いて寝ていたんですよ。で、次の日に……。

 

【三浦】それは別に親御さんが聞いてたっていうんじゃなくて、自分でみずから?

 

【藤山】一応親父が好きだったと思うんだけど。

 

【三浦】ああ。

 

【藤山】うちの親父、好きだったような気がするんだけど。落語聞くのが好きだった。

 

【三浦】ふうん。

 

【和田】落語家っていうのは、どこかの時点で落語家になろうとしてなるわけじゃないですか。

 

【藤山】そうですね。

 

【和田】今、二世とか三世っていますけど、あの人たちとちょっと別にして。たいていは高校行くんだか、大学行くんだか、サラリーマンやってる中で、そっちへ行くわけでしょ。でね、結構僕おもしろいと、例えば三遊亭萬橘っていう友人がいて、今優れた落語家だと思うんだけど。彼なんかは落語が救いだったと言うわけ。

 

【藤山】救い。

 

【和田】彼は法政大学に行ってたんだけど、なんか行かなくなっちゃって。もう全然単位とかもない。かといって別にアルバイトとかそういうのでもなくて、なんかごみ部屋みたいなところに暮らしていて。でもそのときに落語を知って。

 

【三浦】そのときまで出会ってないってことですか? 落語に。

 

【和田】まあ厳密にいうと落研だから、どっちが先かあれなんだけど。でもその時期に落語っていう。だからちっちゃいときから馴染んでたわけじゃなくて、大学のときに馴染んで。特に(古今亭)志ん生が自分にとっては救いで。これを選ぶしかなかったと言ってるんですよ。

だからそういう、なんだろうね、簡単な例えを出してしまうと「薬」のように使ったっていうのか。

 

【藤山】いやあ、それは分かりますね。

僕が今、落語を毎年やってるんですよ。最初のころはある若い人と二人でやってたんだけど、その人は大学院に行った人なんだけど、とにかく大学院にずいぶん時間がかかって、なかなか論文書けなかったりした時期に、もう大学辞めちゃおうかと思ったころに、ずっと(桂)枝雀ばかり聞いているんですよ。その人も関西の人で。

それで枝雀、もう弟子入りしようかとか思ったらしいんですよ。だけどそれで、どうしようかどうしようかって思ったけどやめて、一応普通の仕事をしてるんだけど。

そういうの分かりますよね。落語は今のお笑いにはそういうのない気がするな、そういう感じのところは。

なんかこう、落語はたった一人の人が一人で語っている孤独さってのがあるじゃないですか。

 

【和田】はいはい。

 

【藤山】(立川)談志なんかでも一般社会にいたら、友だち少ないと思いますよ、きっと。いい落語家って、そういう人が多いんじゃないの?

僕は他の噺家さんと口を利いたことがほとんどないから分からないけど。

 

【和田】この本の最後のところで、(立川)談春さんと対談されてますでしょう。

 

【藤山】談春さんはね。でもこれ大っぴらにやるとこだから、あんまり個人的な気持ちは言えないけど。とにかくおもしろい人だと思いましたよ、僕は、この人は。

めちゃ頭のいい人だと思った。先の先までピピピピピっとこちらの反応を読んでるし。もうこちらの原稿も一応読んできてくれたんですよね。

 

【和田】ああ、それはそうでしょう。

 

【藤山】全部こっちの言いたいことを先に分かられているような気がしてね、駄目でした。もう一回やりたかった。ちょっとね。

 

【和田】談春さんとのコメントの中で「俺はね」俺って談春ね。「これはできないとあきらめた」と。「あきらめて、でもこれはできるんだ」と。「逆に言うと、これはできるんだというふうに、自分の中である種決めたというか、観念したところから道が開けた」と。

 

【藤山】そうでしょう。

「談志みたいにはなれないんだって、はっきり分かった」って言ってましたからね。

 

【和田】それが藤山さんの受け答えでも、そのあきらめるっていうのが精神分析家としても、すごく大事な要件なんだよってことをおっしゃってて。大事な部分なんだよっていうことを。

 

【藤山】人はなにかを捨てるっていうことがね。捨てるっていうことは、単にごまかしてしまうんじゃなくて、捨てることに対するある種のいろんな心の中のワークをするわけじゃないですか。その中で人は変わって生きると思うし。談志みたいな人のところに出入りしていたら、それは弟子入りしたくなると思いますよ、あんなすごい人は。どこかでこんなふうにはなれないとか、こんなやつとは違うんだとか思わざるを得なくなると思うんですよね。

 

【和田】はいはい。

 

【藤山】そこがやっぱり、僕、精神分析家っていうのは自分が分析家になる前に自分が治療を受けなきゃいけないんですよ。

 

【三浦】へええ?

 

【和田】はい。

 

【藤山】ずっと受けなきゃいけない。それ+(プラス)自分のケースを誰か別のところの人のケースでやっているのを、週4回あるケースと会ってて、週に1回あるケースの、そのケースについてしゃべって指導もしてもらうために聞くっていうことを延々と続けなきゃいけない。だからもうこっちの治療を受けるってことと、このスーパービジョンを受けるってことと、とにかくのべつ幕なしそういう人間関係の中に入んなきゃいけないんですよ。

 

【和田】はあはあ。

 

【藤山】こういう人のとは違うんだとか、ものすごく反発感じたり、いろんなことをする中で、結局自分を見いだすしかなくなるわけだと思うんですよね。

だからそういうところを、修行というのは、みんなそうなんだ。修行というのに興味があるというのもあるんですよ。

僕、寿司屋のエッセイ書いたのも、寿司屋と落語家は、つまり落語家も、最初は落語家で弟子に入っても、いきなり噺を教えてもらえないじゃないですか。

 

【和田】そうみたいですね。

 

【藤山】単にひたすら着物をたたんだりしているだけじゃないですか、最初。だからその文化のベースのところに触れさせるだけで、本筋は教えないじゃない。で、寿司屋も別に握らせるわけじゃないじゃない、最初から。握るのなんて本当は簡単なことなのかもしれないですけど、握るまでの寿司屋としてのありようというか、そのなんていうかね……、その基本的な心構えみたいなものを育てるということは…。いきなり多くの寿司屋は坊主になるじゃないですか。

 

【三浦】そうです。なってますね、みんな。

 

【藤山】僕が行く寿司屋の親方なんか、毎日剃ってるとかいう人いますけどね、親方になっても。

 

【三浦】そうですか。

 

【藤山】だからなんかこう、そこにいて違う。だから寿司屋なんか行って、寿司屋が食いに来ると、もう、すぐ分かるらしいですよ。

 

【三浦】ああ、そうですか。

 

【和田】互いにね。

 

【藤山】同業者が来ると。

 

【三浦】坊主じゃなくても。

 

【藤山】うん、なんか分かるらしいですよ。

ある種の、だってね、ものすごい労働、デボーションですもん、寿司屋の弟子は。だってもう、今、誰もなかなか入り手ないですもんね。それは落語もあんまり住み込みの弟子は減ったのかもしれないけど。

とにかく朝早くから起きて、ずっと仕込んで、それで夜掃除する。ちゃんとした寿司屋は掃除が大変なんですよ。油の匂い、魚の油をちゃんと流すまで1時間ぐらいかかっちゃうでしょうね。そういうところまできちっとやって1日が終わるみたいな。

そういうのって、修行って、結局そのスキルを学ぶじゃなくて、自分の心っていうか、パーソナルな内側の部分をさらして、自分だって結局訓練のために分析受けるっていうことは、自分が変わるわけですから。治療されちゃうんですから。自分のなにか深いところに対して、なにか言われるわけですから。不愉快なこともいっぱい言われるわけですよ。

そういうことっていうのを含み込んだなにか、落語の修行もそうだと思うんで。

 

【和田】うーん、なるほど。

 

【藤山】最初からスキルを教えるんじゃなくて、そこにまず入るっていうかね、その。

 

【和田】そうか。だとすると、弟子っていうのは、本当は触られたくない、見せたくない部分も見せ合う関係に1回はならないとっていうことなのかなあ?

 

【藤山】カミングアウトってやつですか?

そう、そういう……。

 

【和田】そうだな。でもまさに談春さんと前しゃべったときに、彼が言っていたのは、弟子っていうのは、地球と月みたいなのがあるとするじゃないですか。月が当然弟子なんだけど「最初から離れて、ずっと離れたまま回っているやつは駄目だ」って彼は言う。

 

【藤山】分かりますね、それは。

 

【和田】1回接近して、例えばやけどみたいな状態になって、離れて、そのあと惑星みたいな感じになるのならいい。

 

【藤山】それはそう思います。それはそうだと思う。

 

【和田】最初の接近自体ができないやつは駄目って、彼は言ってた。

 

【藤山】やっぱり極度にほれ込んでいく必要があるんじゃないかな。

 

【和田】ああ、そうか。

 

【藤山】それで、ほれ込んでが強いと極度に反発したり、極度に憎んだりする瞬間も出てくるんじゃないかな。

 

【三浦】接近しすぎてぶつかったりすると、それで終わっちゃうんでしょうね、きっと。

 

【藤山】終わっちゃう人もいるけど、そこを持ちこたえるカップルもあるでしょう。そこを持ちこたえた人が生き残るんじゃないの?

 

【和田】そう、1回の大接近がなきゃ。

 

【三浦】最終には衛星になるんですかね、やっぱり。

 

【和田】そうそう。

 

【藤山】最後は衛星になるんじゃないの、それは。

お互いどちらも自立した存在として引力圏の中にいるわけだけど。やっぱり最後まで好きなんじゃないの? 好きなんだろうけどね。

 

【和田】そうだよね。そこがいわゆる就職とは全然違うことですよね。

 

【三浦】違うでしょうね。

 

【藤山】就職とは違うし。だから訓練とか研修じゃなくて、修行なんですよ。

訓練とか研修ってのは、研修ってのは知識でしょ、単に。訓練というのはスキルをつくることでしょ、技を。

でも修行というのは人間性を差し出して、いろんなことが起こるってことが含まれてますよ。そこがね、落語のおもしろい、落語家の育ち方というのは、なんとも。

しかもね、結構ふところ、結構くせの強い。談志の一門だってくせの強い人たちばっかりなんだけど、談志が魅力的だからなんとかつなぎ止められるわけですよね。あれ、普通だったら絶対。

 

【和田】そうだね。

 

transcribed by ブラインドライターズ<http://blindwriters.co.jp/>

 

担当者:伊藤ゆみ子

ご依頼いただきまして、誠にありがとうございました。

精神分析家の方は、みずからも長い期間、訓練と治療を受けていらっしゃることを知り、驚きました。だからこそ人に寄り添える存在でいらっしゃるのだなと、とても勉強になりました。

お話の中に、師匠と弟子を地球と月に例えたところがありましたが、やけどをするほど接近してぶつかって、それを持ちこたえて衛星になる。どちらも自立して引力圏の中にいるという、とても素敵なお話を聞かせていただき感銘を受けました。これは師匠と弟子の関係においてだけでなく、日常の人間関係で心に留めておきたい大事なことだと思いました。

またのご依頼を、心よりお待ちしております。

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