【PODCAST書き起こし】名人:三遊亭圓朝について語ってみた(全6回)その5
【PODCAST書き起こし】名人:三遊亭圓朝について語ってみた(全6回)その5
(「いらすとや」さんの画像使用:https://www.irasutoya.com/)
【和田】ちょっと、アトランダムに話してもいいですか?
【三浦】はい、もちろんです。
【和田】やっぱり落語の中で、これは私、筑摩書房の本に書いた事なんだけど、目の見えない人が出てくる話っていうのがいくつか、っていうかいくつもあるんですけれども……『景清』っていう話があるんです。
【三浦】『景清』ありますね。
【和田】あれはもともと関西の話で、それをこっちに、東京に持って来たわけなんだけれども。あれはどういう話かっていうと、目が悪くなってしまった職人がいて、それが観音様に……清水(きよみず)様ですね、清水様に願掛けをするわけです。「目を開けてください」と。「私も仕事もしたいし、母親もいるんで」って。で、いろいろあって最後に雷が落ちてバーンって気絶するんだけど、そこからフッて立ち上がると見えるんですよ。要するに清水様のご利益で目が開いたという奇跡っぽい話になって終わるんです。それが落語の『景清』。で、(三遊亭)円朝がやった……これまあ、一応円朝作とされてるんですけど『心眼』という話があって。
【三浦】ああ、『心眼』、はい。
【和田】これは、似たようなシチュエーションなんですけど、梅喜(ばいき)さんという目の見えない人がいて、奥さんもいるんだけど、当時のことだからね、あんまさんをやっているわけなんです。揉み療治の。で、人に教えられて薬師様、薬研堀の薬師様のところに、拝んで日参してごらん、願掛けしてごらん、あそこはご利益がとってもあるからって願掛けするんですよ。そうすると目が開くわけ。で、目が開いて、やった、ありがとうございますお薬師様と言って、浅草に行ったりするんだけど、その時に一面識あった芸者に、ちょっと逆ナンパみたいな感じで声をかけられて気持ちが揺らいで、自分の奥さんもいるのに、その芸者と遊んじゃうわけですよ。で、連れ込みみたいな所に行って待ち合いに行くんだけど、そうするとそこに奥さんが聞きつけて乗り込んで来て、「お前は私というものがありながら」って、「目が開いたとたんにこれか」って言って首をぎゅっと絞められる。そうするとそこでふっと目が覚めて、夢だった。
【三浦】夢だった。
【和田】全部夢だった。それで、要するに目が開いたのも夢だった。
【三浦】目が開いたのも夢。
【和田】夢だった。で、家で疲れて寝てるちょっと一睡の間だったと。で「不思議なもんだなあ、寝ている時だけよく見えやがる」っていう落ちなんですよ。
【三浦】ああ、なるほど、いいサゲですね。
【和田】で、これはさっきの『景清』と決定的に違うのは、背景が明治なんです。明治で、明治の前半、だから円朝のまさに時代。その時に彼は、例えば横浜にいる自分のお兄さんのところに、ちょっと何か仕事ないかなって訪ねて行って、そんなものないって断られて帰って来るとかそういうふうになっているんですよ。
【三浦】なってますね。
【和田】で、汽車に乗るのもお金がかかるんで、「遠いところ歩いてきたよ」とかって言って……。
【三浦】苦労して行き帰りをこう。
【和田】そう、してる。
【三浦】してますね。
【和田】で、これは僕は江戸じゃなくて東京ね。江戸じゃなくて明治っていうのが、なんかすごく僕は重要な事だと思うの。
【三浦】もうこういう時代感になっているという。
【和田】そう。要するに近代になっている。
【三浦】なるほど。
【和田】『景清』と決定的に違うのは、近代というのは、いわゆる「神は死んだ」という。
【三浦】ニーチェ。
【和田】の、その空間なわけですよ。だから昔は、お百度踏んで雷が落ちて目が開いたっつって、それ有りなんです。
【三浦】有り。
【和田】宗教空間であれば。昔であればあるほど有りだと思うんですよ。だけど円朝の時代になった時に、そこにやっぱり「あ、夢だったのか」って、「夢の中だけ俺はよく見えてたんだけどな」って自分で自分を笑うような事をつぶやいて終わるっていうのが、やっぱり東京なんですよね。
【三浦】「現実を見つめるとそんな事は起きないぞ」っていう時代になっているわけですね。
【和田】いわゆる沈黙みたいな主題が出てくる。それがやっぱり円朝作とされて、これも元のオリジンがあるのかもしれないけど、一応『心眼』円朝のものとされているんですけど。
【三浦】そんな長くない、そんな長い話じゃないですよね。
【和田】いや、あれは20分くらいですよ。
【三浦】そこによく込められてますよね。
【和田】そうです。
【三浦】時代精神が。たいしたもんですね。
【和田】はい。っていうのが、やっぱり横浜まで行って来たとか、ああいう背景と僕はすごく合致する感じがするの。近代というかな。
【三浦】話も聞くとこうちょっとしみじみしますよね。
【和田】しますね。ま、スパンと終わるからなんとも言えないんだけど、結局、その……。
【三浦】何も変わんないわけですもんね、実情は。
【和田】変わんないわけです。変わんないわけだし、たぶんあの話の終わったあとに梅喜という主人公は奥さんとの関係性をいい……肯定的な意味でやっぱり捉え直すと思うんですよ。
【三浦】そうですね、もちろんそうでしょうね。
【和田】奥さんも「どうしたんだい? ずいぶんうなされていたんじゃないか」って言って心配してくれてるわけですよ。だからそこに、その奇跡が起きるんじゃなくて何も変わんないんだけど……。
【三浦】何も変わんないけどいい事だという。
【和田】でも救いがあるっていう、うん。
【三浦】ちょっと変わったということですもんね。夢の中とはもう変わった関係性を。
【和田】そうです。だからそういうのかなあと思って。
【三浦】そこはなんかとても名人芸を感じますね。
【和田】そうですね。ちなみにこの『心眼』は、音で聞くんだったら八代目桂文楽さんの一択です。この人のを聞いてほしいです。
【三浦】『心眼』。
【和田】はい、これはもう文楽師匠で聞いてほしい。
【三浦】はい。
【和田】これがもうぶっちぎりの良さですから。他の人もされますけどね。
【三浦】はい。……あ、そうか、さっき出た『双蝶々(ふたつちょうちょう)雪の(子別れ)』、これも円朝なんですか?
【和田】そうです。
【三浦】そうか。
【和田】だから、僕はその円朝の家のストーリーと、なんか二重写しだなあと僕は思ってるんです。
【三浦】そういう事か。大変失礼しました。これはその、はからずもこう書いたっていう感じなんですか?
【和田】いや、だからこれの書かれた時期を僕は詳しく知らないんですよ。だから朝太郎の困ったせがれだなあっていうのがあってこの話を成立させたのか、なんか逆なのかちょっとよく僕は詳しく知らないんだけど、書いてありますか? 成立時期とかって。
【三浦】いや、これは梗概(こうがい)しか書いてないです。時期は書いてないですね。『双蝶々』は。
【和田】必ずしも新聞に載った時期とイコールではないんでね。さんざんやっていたものをあとで新聞に載せるってこともありますんで。分かるのかなあと思って。私は特にあの親子関係は、円朝家ととても絡んでいるような感じがします。あと、例えば円朝全集なんかで、たぶん円朝さんって、さっきも言ったけど、普通の芸人っぽいところはすごくあったとおそらく思うんで。
例えば、『明治の地獄』っていう話があるんですよ。
【三浦】『明治の地獄』?
【和田】うん、これは岩波(書店)の円朝全集に入ってますけど、これは今やる(桂)米朝さんとかがやる『地獄八景(亡者戯)』とかと同じ話です。それは要するに明治になって地獄というものもものすごく開けました、と。
【三浦】ああ、面白いですね。
【和田】開けましたって。昔はね、三途の川とかいろいろなんか死出の旅とか言っていたらしいですけど、ここにはなんかステーションができまして、とか言って。ここがなんか針の山はすごく開発されて宅地になってございますとか、そういう名所図会みたいなやつなんだけど、それも、そういうもう割となんかしょうもないような。
【三浦】タイムリーなものを。
【和田】そうそう。時事ネタっぽいのもやってます。それ僕すごい読んで、すごい好きなんだけど、そっちも別に普通にあった。
【三浦】ある意味、新作落語的な。
【和田】そうです。
【三浦】新作落語的っていうか、円朝さんずいぶん書いてるから、当時の事新作なわけですけど。
【和田】ちなみにね、その「鼻の円遊」って言われる、快作とか『地獄巡り』とかやったりとかって、なんかモダン落語みたいなのをやった人がいるんですけど。その人は(夏目)漱石とかも面白かったって書いてるんだけど、その(三遊亭)円遊も円朝門下なんで、結局、円遊そもそもモダンセンスも、やっぱり円朝の『明治の地獄』とかを読むとたぶんある。普通にある。
【三浦】そこから学んでるっていう事ですね。
【和田】だから円遊が異端だったのではなくて、そのぐらいの幅はおそらくあった。
【三浦】もう師匠にあったっていう事なんですね。
【和田】うん、と思います。
【三浦】話をどんどんすればするほど円朝という人の幅の広さと懐の深さに……。
【和田】ちょっとだから、僕らのとか、後世の研究者がなんか重くしすぎちゃってるのかなあ、という気もするんですよね。
【三浦】そうですね、うん。もっとこう、自然体、ナチュラルにこう受け止めると。
【和田】そうですね。
【三浦】さらに素朴というか、人となりが立ち現れてくるような気がしますね。偶像化しすぎているかもしれないですね。あれを作った人、これを作った人、と。
【和田】ぎりぎり録音が残ってないんで、これが伝説にとってはいいんです。
【三浦】いいですね。
【和田】いいんですよ。(橘家)円喬とかその下の世代だと逆にぎりぎりあるんですよ。
【三浦】ある、ある。
【和田】それが残ってないんで。
【三浦】そうですね。なんか残ってて、「なんだ、全然たいしたことねえじゃねえか」とか思うと、あの……。
【和田】それはだから前、高田文夫先生と話したときに「円朝の音残っていたら、絶対たいした事ないよな」って言ってましたよね。
【三浦】あははは。
【和田】勘でね。それは分かりますよ、言ってる事。
【三浦】なんでも言えますからね、今ね、こっちもね。それがすごかったら、またそれはそれでいいし……いいですね、そういうの。
【和田】なんか作品でありますか?
【三浦】いや、もうあの、そうですね。
【和田】あとは『芝浜』だな。
【三浦】そうですね、『芝浜』。
【和田】一席ものだと『芝浜』ね。これも円朝作と言われているんですけど、これは『窓のすさみ』っていう随筆があって、その中に「落としたお金を正直に届けたらいい事がありました」っていう随筆があるんです。
【三浦】『窓のすさみ』。
【和田】はい。その一話を、だからそれが芝の浜でお財布を拾って、みたいな話なんですよ。それを元に膨らましたのが、たぶん円朝。
【三浦】あれもなんか三題噺って言われてますけどそうなんですか?
【和田】それはだから以前はそう言われてた。だけど、たぶんそれはいろんな本をひもとく人が見たら『窓のすさみ』っていうのはほぼ同じ話があると。
【三浦】だとしたら三題噺はあとで取ってつけたような話なのかもしれない。
【和田】かもしれません。それを……。
【三浦】芝の浜と革財布となんとか、って言いますもんね。
【和田】うん、そうそう。まあだから、すごくちょっとひとり歩きしてる部分があるはあるんですよね。土地の設定が面白いですよね。
【三浦】そうですね。なんかこういう江戸感っていうんですかね、なんか分からないですけど、当時の浜の感じとかああいうのがよくこう香ってくるっていうふうに解説する人もいますし。古典落語の中では名作です、名作ですよね、『芝浜』は。
【和田】そうです。
【三浦】楽しみにしてる人がいるんでしょうね。
【和田】だからあれだろうな、やっぱり円朝作って、今の人の(柳家)喬太郎さんとか(春風亭)一之輔さんとかに至るまで、やっぱり優れた古典がそうであるように、いろんな解釈が成立する話、ネタなんだと思うんですよ。だからいろんな人がいろいろにやってみたい、っていう事だと思います。
【三浦】ちょっとあの『芝浜』の話で聞いてみたい事あるんですけど、『芝浜』っていろんな人もちろんやってるじゃないですか。調べていたら(三遊亭)円生さんにはなくないですか?
【和田】ああ、円生さんやってないと思いますよ。
【三浦】あれ、なんでやってないんですかね? あんまり好きじゃなかったって。
【和田】えーと、つまり今ほど流行るネタじゃなかったから、あの当時って。それ昭和の時代で言うと……。
【三浦】でも(古今亭)志ん生さんは。
【和田】志ん生さんは一応やってる。
【三浦】やってますよね。
【和田】一応やってますね。あと(桂)三木助がやって。
【三浦】あ、三木助はだって十八番って言われていますよね。
【和田】そうです。それから……いや、だからそんなに、逆にみんながみんなやるネタではないんですよ。
【三浦】あ、そうじゃなかったんですね。
【和田】文楽もいっときやってたとか言うんだけど、僕は聞いた事がないし。
【三浦】文楽いわゆる鉄板ネタじゃないですもんね。
【和田】鉄板ネタじゃないです。だからいっとき、やってたらしいって聞いた事あるけど、僕はちょっと知らないし。
【三浦】やめたんですね、きっとね。
【和田】あと、(柳家)小さんもなんか、いっときやってたらしいんですよ。
【三浦】小さんはやってない……。
【和田】まあ、やってないと言っていいと思います。要するに持ちネタにしなかったということだから。
【三浦】なんかいかにも三遊亭だから、やってんのかなあって思って一生懸命探したんですけど見つかんなかったんですよ。やらなかったんですね、
【和田】うん、あれは。
【三浦】自分としてはやっぱ、やる話じゃないと思ったっていうことですね。
【和田】そうです。
【三浦】っていう意味で言うとちょっと今『芝浜』持ち上げられすぎですね(笑)。
【和田】そうそう。だから『芝浜』は持ち上げられっていうか、だからすごく流行るネタになってますよね。
【三浦】ああ、そうですね。なんか年末になるとみんな『芝浜』やりますもんね。
【和田】うんうん、確かに。
【三浦】あ、そうそうそう、『第九』と『芝浜』に。
【和田】あのね、だから昔って割とネタがですね……例えば『野ざらし』っていうのがありまして。
【三浦】『野ざらし』、はい。
【和田】あれも、柳好、春風亭柳好、春風亭柳枝とかやるんですけど、円生さんもやんないし、文楽、これもなんかいっときやってた説があるんだけどやんないし、三木助やんないし、(三笑亭)可楽もやんないし、そういう感じなんですよ。(林家)彦六もやんないし。
【三浦】あ、そうですか。
【和田】だからあれだけ『野ざらし』面白いって柳好の代表作で、あるいは柳枝の代表作と言われてるんだけど、じゃ他の人がやるかと言ったらやんないんですよ。だから今は割とそうかもしれない。それがあんまり関係なくなってる。
【三浦】そうですね。
【和田】うん。
【三浦】『野ざらし』も結構、今、高座かけられる事増えてますもんね。『芝浜』ほどじゃないけど。
【和田】だから要するに誰がやってもいい感じにはなってますよね。
【三浦】ええ。
【和田】あとなんだろうなあ。例えば円生さんの代表作の『包丁』なんていうのは、あれは彦六さん、小さんさん、可楽、三木助はみんなやんないです。
【三浦】ああそうか。
【和田】やんないです。あれは円生の専売特許です。
【三浦】あの人の得意ネタはやらんとこう、みたいなのが不文律としてあるんですか?
【和田】だと思います。
【三浦】やっぱりそういうのあるんでしょうね。
【和田】だから今よりもたった数十年なんだけど、古典化が進んでないんで。つまり歌とかと一緒なんですよ。あの人のネタだからっていう事なんですよ。
【三浦】ああ、そうですね。
【和田】古典化が進むとみんながやっていいネタになるわけです、当然。っていうことで合ってると思います。『黄金餅』なんて志ん生さん以外やってないですよ。
【三浦】あ、そうですね。
【和田】うん。円生、小さん、三木助、彦六……。
【三浦】確かに。
【和田】……可楽、誰もやってない、『黄金餅』なんて。志ん生さんだけですよ。で、あれ(立川)談志さんが志ん生さんから稽古受けないで覚えてやっちゃって。
【三浦】やって。
【和田】やっちゃって、あと(古今亭)志ん朝さんとかやりますよ。子供だからね。そのへんからやって広まった、みたいな感じですよね。
【三浦】そういうちょっとネタの、誰がこう得意にしていてとか、そういう話もとっても面白いですね。
【和田】そうですね、昔はだからそれがすごくはっきりしてて、あと、やっぱりなんか無断でやっちゃうのは原則やっぱりよくないというのがあって。
【三浦】次回はそういう方向で行きますね。
テキスト起こし@ブラインドライターズ
(http://blindwriters.co.jp/)
担当:木村 晴美
いつもご依頼いただきありがとうございます。
こちらの音源を担当するたびに、お話に出て来た演目を聞くのが楽しみのひとつとなっています。今回、目の見えない方がでてくる落語ということで、とても興味を持ち、『心眼』をいち押しの文楽さんで聞かせていただきました。
見えるようになって、奥さんとその辺りをすれ違う女性とどちらが綺麗か一緒にいる方に確認してみたり、鏡を見て、人力車を見て驚いたり、これは何か、これは誰か、と興味津々で聞いては、見えることに喜んでいる様子が、こっけいに、うれしそうに伝わりました。夢から覚めて、夢の中では良く見えると落ちで終わり、お二人はその後の夫婦の関係性についてお話されていますが、とても納得できました。笑いの中に考えさせられる人生も含んでいて、落語の奥深さを改めて感じました。毎回、文字に起こしてから落語を聞いて納得する、という楽しい作業をさせていただいております。ありがとうございます。
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