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【PODCAST書起し】精神分析家でアマチュア落語家の藤山直樹さんに聴いてみた。4、漫才の変化から藤山さんの落語と演劇

【PODCAST書起し】精神分析家でアマチュア落語家の藤山直樹さんに聴いてみた。4、漫才の変化から藤山さんの落語と演劇


【和田】漫才ってあるじゃないですか。漫才というジャンル。あれは、ダウンタウンが一番の象徴なんだけど、ダウンタウンが漫才師になった時って、1980何年だ、80年代の頭だったんですけれども、その時に、寄席でね、それまでの師弟っていうのは、漫才の師匠がいて、漫才の弟子がいるわけですよ。そうすると、舞台袖で、お茶持って待ってて、師匠が、降りてくると、はいお茶って言って、あとハンカチ渡したりして、汗拭いたりして、それを松本人志さんが袖で見てるときに、これなんの意味もない、こんなことやったって漫才うまくならないって。

 

【藤山】それはね、それは、ホリエモンがあれですよ。あの寿司屋で、なんて言うの、なんとか寿司学校で、2週間やれば握れるようになるのに、寿司屋の修行なんて意味ないって、ほぼ同じ。

 

【和田】ロジックですよね。

 

【藤山】そうなんですよ。

 

【和田】当時吉本興業が、学校を作ったわけですよ。

 

【藤山】ああ、芸人の学校。

(※吉本総合芸能学院:吉本興業が1982年に創立した、主に新人タレントを育成する目的で作られた養成所。通称はNSC。)

 

【和田】芸人の学校。それの一期生がダウンタウンなんですけど。あと、トミーズとかなんですけど。つまり、どういうことかと言うと、師匠なしでいいんだと、もうこれからは。その代わり学校で先生が来て教えるから、面白かったら劇場出す、つまんなかったら使わないよっていう学校。今も続いてますけど。

 

【三浦】むしろ厳しいのかもしれないですね。それって。

 

【和田】だから、厳しさなんかは、違うでしょ。その、師弟間修行がない訳だから。

 

【三浦】あ、そっか。学校だから、修行じゃない。

 

【和田】そう、どうなったかと言うと、そこから約40年経って、今は99パーセントの漫才師が、もう師匠なしです。

 

【藤山】師匠がいないんだよね。

 

【三浦】今、そうなんですね。

 

【和田】今、そうなんです。今師匠なしで、でもそのおかげで、めちゃくちゃ裾野ってか、分母はでかくなったから、M1とかって予選だけで5000組とか受けるわけじゃないですか。だから、あそこまでなったわけですよ。

 

【三浦】みんな、芸人になれると、勘違いしちゃうっていう。

 

【藤山】別に、なれる。

 

【和田】なれる。なれる。

 

【三浦】なれるんだ。

 

【藤山】可能性はおいてあるわけだから、だれでも。

 

【和田】それで、そういう、お茶持って立ってたり、ハンカチ差し出すのはやんなくていい、あとは、面白かったら売れる、つまんなかったら使われないよってだけなった訳ですよ。それで、それがじゃあM1とか、今の漫才がなんていうかな、隆盛になってるのも、やっぱり僕は背景だと思うんですよ。

 

【藤山】なるほど。

 

【三浦】裾野が、広がった感じ。

 

【藤山】そうなんですね。

 

【和田】そう、裾野が広がった、さっきのホリエモン的な。

 

【藤山】落語は、まだ採用してないわけですもんね。

 

【和田】そう、そういうことです。だから落語とか、古典、まあなんというかなほかの講談とかさ、それはやってない訳でしょ。

 

【三浦】やってないですね。

 

【和田】つまり、学校出ました、今日から高座出ますって言うのはないから。

 

【三浦】日本の伝統芸能って基本的にやってないですよね。そういうのね。

 

【和田】やってないと思う。

 

【三浦】もちろん。

 

【藤山】だって基本的には、弟子から金もとってない訳だよ。談志。談志は、だからそこで初めて、近代の教える側に、金を出せって言うの、初めて持ち込んだ人なんだよ。

 

【和田】そうですね。

 

【藤山】だけどまあ、だけどまあ、そんなにドライかっていうと、結局普通のその学校じゃないですよって、いきなりそんな。

 

【和田】月謝じゃないですよね。

 

【藤山】そうなんですよね。上納金ですか。

 

【三浦】上納金。

 

【和田】そこに、修行ちゅう物をなんかね、僕この三人は、分かんないんだけど、意味があるんでしょうね。

 

【三浦】あるんでしょうね。

 

【藤山】あると思いますよ。いや、それがやっぱり落語って言うものは、だってよく考えたら落語のネタを、着物を着る必要があるのかとかさ、そんなこと言い出したらさ。

 

【和田】まあ、確かにね。

 

【三浦】そうですよね。

 

【藤山】でもね、やっぱり落語はね、着物を着た方が、僕はねあのね、マダガスカルに行ったときにですね、あの下痢したんですよ。ものすごい、信じられないぐらいの下痢。その時に、一緒にツアーで行ってた知らないお姉さんがね、いろんなものくれたんですよ。それですごい楽になって、ああなんかお礼しなきゃいけないなとか思って言ったらね、そう、知り合いもいたんだけど、何だ、言ってお礼しなさいよとか言って、何がいいですかとか言って、じゃあ落語やってあげたらいいんじゃないとか、わけわからないこと言うんですよ。な、な、何言ってんだ!とかって、でね、落語そんなもん聞きたくないですよねって言ったら、聞きたいってお姉さんが言うからやるのかやるのかって思ったら、そこに、あのね、ゴールデンウィークだったんですよね、日本の。だから日本人のガイドたちつまり現地の、日本語のガイドたちの現地人の、日本語がしゃべるマダガスカル人たちが、まあその保護区には何人もいてですね、ツアーにアテンドしてて、それが、みんなそいつが来たんですよ。だから……。

 

【和田】聞きに。

 

【藤山】聞きに。だからね日本人が3・4人いて、あとなんか、マダガスカル人がバーっといてね。それで僕はTシャツでね、あれですよ、あの『野ざらし』やったんですよ。もうね『野ざらし』だけがね、なんとかこれはなにもネタ帳なくてもさらえるだろうと思ったネタだったんですよ。

 

【和田】すごい。

 

【藤山】やったんですよ。受けたんですよ。結構。受けたんだけど、写真に撮ってたりしてみると、単に怒ってるおじさんがいるだけ(笑)。怒って怒鳴ってるおじさんがいるようにしか見えないんだな。

 

【和田】Tシャツだと。

 

【藤山】うん。Tシャツだと、これで、ああそうなんだな、いかに着物に助けられてるのかって思いましたよ。こんなふうにしか映らないのかって。あれはね、おそらくマダガスカルでは、さすがに落語家もまだ行ってないんじゃないですか。

 

【和田】そうかもしれないですね。

 

【藤山】俺が日本で、世界に、日本に最初に行って落語をやった人なんじゃないかって思っているんですけどね。あれは、あの下痢はひどかったな。

 

【和田】どういうとこでやったんですか、それは。

 

【藤山】だから、そのホテルのなんかみんなで泊ってるところのなんか。

 

【三浦】ロビーみたいな。

 

【藤山】ロビーみたいなところで、一緒に集めてやりました。

 

【三浦】机の上にこう。

 

【藤山】ちょっと立てて、こうやったんですよ。それで一応、日本語をやってるガイドたちだから、日本語は一応分かるし、日本語の文化に興味はあるわけですよ。落語っちゅうのは、ちょっとなんかそういうのがあるって聞いたことがあるっていうやつもいた。

 

【三浦】あることは知ってるんですね。

 

【藤山】日本に行ったことのあるやつもいた。その中で、マダガスカルという世界で一番貧しい国の一つなんですけど、あそこは。

 

【三浦】ああ、そうなんですか。

 

【藤山】本当にすごい貧しいんですよ、あそこは。

 

【三浦】天然記念物の生物とかたくさんいますよね。

 

【藤山】いや、だから、もうキツネザルがうじゃうじゃいるんですよ。いろんな木に。特殊なこと、横に飛ぶような……(笑)。

 

【三浦】離れてるから、そっから守られてるってとこですよね。

 

【藤山】そうそう、それでね、もう最後の日に保護区じゃない、首都のね、首都の一番いい四つ星のホテルに泊まったのにね、ホテルの水が真っ茶だったっていう。え、これですかみたいな、そういうとこですから。それはもう下痢しますよね。でも下痢はしてもね、抗生剤をポンと飲むとね、ピタって止まっちゃう。まったくね抗生剤に抵抗性がない菌なんですね。

 

【和田】めちゃくちゃ効きが良い訳ですね。

 

【藤山】そうそう、ああいうとこで、抗生剤出すと抵抗する菌を作っちゃうからいけないと言うので、僕はもうぎりぎりまで我慢してたんですよ。三日間。でも、三日間全然止まんないから、一錠飲んだらピタッと止まった。その時のお礼に、やったのが『野ざらし』だったんですよ。

 

【三浦】『野ざらし』。

 

【藤山】なんで、『野ざらし』だったんかなあって思うんだけど。

 

【和田】僕はね、林家木久扇師匠と結構お仕事上のお付き合いがあって、まあ木久扇師匠が本を出されてる時に、師匠にしゃべっていただいて、僕が前座したりとかそういうのしたんですけど、勝手にね、僕師匠と共通項を感じてる部分があって、それはなにかというと、木久扇師匠のネタって古典落語もやるんだけど、基本的に彦六師匠がこう言った、僕が子供の時に、うちのおふくろがこんなことをしたとか、日本橋に住んでた時に、こういう眺めが合ったとか、それなんですよ。それを語る漫談というかね一席にして語るのがネタなの。あとは、『湯屋番』とかもやりますけど。

 

【藤山】やるんだね。

 

【和田】うん。その僕がね、すごく感じたのは、人間ってね、すごく何十年も前に起きた出来事を、体験した出来事とか、うちの母がこう言ったなみたいなのを、何度も何度も反芻する人と、昔は昔って言って、刷新していくというか、前進していく人がいるとするじゃないですか。そうすると、木久扇さんって言うのは、明らかにリピート型なんですよ。

 

【藤山】そうだね。

 

【和田】彦六さんはこう言った、うちの母はこうだったっていうのを、もうその異常なまでに反芻する訳ですよ。

 

【藤山】しかも、反芻するたびに、なにかいろんな気持ちになってるんですよね。

 

【和田】そう。

 

【藤山】ミクロには絶対っていう。

 

【和田】なんか、僕もなんかそういう人間なんですよ。なんかそういうふうな反芻癖のある人は、反芻癖があるゆえに、今を良く生きられるみたいな気が僕はしてるの。ただこれ正解かどうか全然分からないですよ。なんかその精神分析家的なこと言うと、よく最近ね、辛かった出来事がフラッシュバックするみたいな現象ってよく聞くじゃないですか。そのある瞬間にパっとつらい出来事が蘇っちゃうとかそういうのありますよね、そういう現象が。でもそれを言ったら、僕なんかもう1年365日それなんですよ。そのなんか、蘇りが異常にあるの。なんかその中に生きてるから、僕にとっては、なんか……。

 

【藤山】だからそれは、フラッシュバックする人たちはそういうものをそういうものに、本当の人間的な意味なことが情緒的な意味みたいなのが、ちゃんとできないでただ圧倒して来る苦しみみたいなんだけど、和田さんはそれをちゃんとそれを味わえたりしてるからいいよね。過去のことが出てくるっていうことは、その過去のことを処理する本当の意味で処理消化して、自分の肉にするために、やってくれてることなんですよね。心が。それをやってくれても、なかなかもう持ちこたえきれないほど苦しいと、そこを排除しようとするから、そうするとまた永久にまた、こう一回こう一回黄泉の国から出てきたものをまたこう何も話を聞かないでもう一回ボンっと、あっちにも繰り返すからまた出てくるみたいな感じで、よく話を聞いやればもう出てこなくなるのに、そんなに苦しくならない、なるのにっていう感じってあると思うんですよ。まあ、話を聞いてゆっくりやって、そうすると今度は、おそらく出したい時に、出せるようになってきたり、思い出とこう一緒に、思い出をこう味わえるようになってくるわけだけど、それはそれほどもあまりにすごい記憶、もう殺されるとか、そういうような記憶だと排除するしかないってなって、フラッシュバックするしかないっていう状態になってる、本物のPTSDみたいな人もいるけど、もっとミクロな、そこをそんなに大して考えなくてもいいんじゃないかなって思うようなことを処理できてない人っていうのは、やっぱり来た時にちゃんとそれは味わうということをできないんですよね。それを手伝うのがサイコセラピストとかそういう人たちなんじゃないですか。誰かがそばにいて一緒にそういうものを消化してあげられるようになったら良い訳で。

 

【三浦】来ちゃってるけど、呼んでるのは自分なんですよね。

 

【藤山】まあ、そうでしょうね。しょっちゅうそういうのが出てくるんですか。

 

【和田】僕はもうしょっちゅうですね。ただ、おっしゃるように、自分がじゃあなんか1秒後に殺されるとか、そのレベルはないですよ。そういう経験はさすがにないんだけど。飛行機が落ちてる中に自分が乗ってたとかそれはないんだけど、でもなんだろうな良いことも思い出すし、いわゆるなんか辛かったこととか、それも、それがものすごい僕はもうその中に生きてる。

 

【三浦】今年の記憶、過去の記憶。突然現れるんですか。

 

【和田】そうです、そうです。

 

【三浦】ふっと思い出す。

 

【和田】ふっと。だけど、じゃあなんかそれって、今のお話でもあったように、もう自分がそういうふうに、その呼び出しているわけだから。

 

【三浦】無意識に。

 

【和田】うん。かなと、思うんですよ。だから、これをなんか全部消去してあげるよって言われたら、なんか僕はそれはしないでいいですって。

 

【三浦】呼び出さないとやっていけないですよね。

 

【藤山】だから、やっぱり消去したら、人生のその手ごたえ減っちゃうでしょ。

 

【和田】と、思います。

 

【藤山】と、思いますよね。どう考えたって。それはそうですよ。

 

【和田】うん。

 

【藤山】僕も昔、その10年ぐらいアンダーグラウンド演劇をやっておりまして、20歳ぐらい。

 

【三浦】ここにも書いてありましたよね。ずっと演劇やられてたって。

 

【藤山】それで、なんかえらい借金して稽古場作って、いろいろ作って頑張ってたんだけど、まあなんか劇団がつぶれちゃったんだけど、あの時のことは今でもしょっちゅう、しょっちゅう思い出しますね。思い出すというか出てきてほしい。裏切られた気持ちとか、自分が至らなかったこととか、それはすごく自分にとってはね、あれがあったから今は分析家になったと思ってるし、あれは大事な体験だったし、本当に思い出すんですよ。山手線に乗っているとよく思い出す。思い出すこと多い。どうしてかというとですね、辛くてね、ずっと山手線でね、何周も何周も何周もした日が何日もあったんですよ。じっとして、もう何も考えたくないみたいな、日曜日に暇な、日曜日、そのときは、もう仕事はしていたから、普段の日は仕事で忘れられるんだけど、なんもないからね、日曜日は。外に出ると、なんもする気がないから、とりあえず電車に乗るとあとじっーとしてるみたいな、あの時のこと、すごく思い出すんで。ああいう記憶っていうのを思い出すって言うのは、自分のね、いつもと座標軸みたいな原点みたいなの一応確認してる気はしてますけどね。そっか、そんなしょっちゅう出てくる。

 

【和田】しょっちゅう。木久扇さんの話に戻すと、僕は彼をすごくなんていうのかな、優れてる落語家だと思うんだけど、本当は、彦六師匠のところで修行中の話にしても、もっと前の子供時代の話にしても、そのネガティブちゅう辛いのも半分ぐらいはあるはずなの。だけど高座で話すときは、そこを濾過して、こっちを提出してるんですよ

 

【藤山】なるほど。

 

【和田】それを多分編集作業としてやって、これは自分の中で、自分の部屋で味わえばいいんだっていうふうに、やってらっしゃる人だと思う。お客様には、こっちの滑稽なっていうか楽しい部分を見せるっていうのが僕からすると見えるんですよ。だからそこがすごく良いなって、この思い返し方がいいなって気がしていて。

 

【三浦】それができるっていうことですよね。

 

【和田】うん。

 

【藤山】自分を差し出しては、自分を笑いの種にできるってことですね。それは大事な能力だと思いますよ。自分を笑いの種にできない人は、子供っぽいですよね。って僕は思う。

 

 

transcribed by ブラインドライターズ<http://blindwriters.co.jp/

 

担当: さくら

ご依頼ありがとうございました。

起こしていて、漫才などについて学ぶことができました。

次回も、どうぞよろしくお願いいたします。

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