見出し画像

「国」は「都道府県」のようになる

これ↓の続きです。

とても長文になるので、最後の「まとめ」だけ読んでいただいても大丈夫です。


国の存在意義

そもそも国ってなぜ存在するのでしょうか。

国には主に2つの目的があると思います。

①相違性の排除
②既得権益の維持・拡張

この2つについて詳しく考察していきます。


①相違性の排除

人間は異質なものを恐れ、同質なものに共感します。

人種、言語、思想、文化など、共通項があると仲間意識を持ちます。

かつては、地理的に近い人間同士の方が多くの共通項を持ちました。

この集合体が国です。

逆に、違っていると恐怖を感じ、分断を生みます。

そして、分かり合おうとすることができないと争いにも発展するのです。


しかし、時代は変わりつつあります。

広大だった世界が、交通手段、通信手段の発達により、実質的に狭くなっています。

全く未知だった異国人と、今では会おうとすればすぐに会うことができます。

言語も瞬時に翻訳可能です。

違うところを、お互いに分かり合おうとすることがしやすい状況になっています。

この流れは今後ますます加速していくでしょう。

それに、人類の均質化も進んでいます。

かつては全く共通点を持たないような生活をしていた人たちが、今ではみんなスマホを使っていたりするのが代表的な例です。

これからの時代はこういったことが教育レベル、生活レベルの向上に伴ってもっと加速していくでしょう。

つまり、

・相手のことを知りやすくなる
・同じ地球人であるという意識が芽生えやすくなる

こんな社会になっていくはずです。

小さくなる相違性を分かり合おうとせず、排除する必要があるでしょうか。

昨今、「多様性」「グローバル化」が叫ばれています。

私が定義する、国の一つ目の目的に疑問符が出る社会はもう目の前かもしれません。


国家の持つ3つの権力(既得権益)

①では、国家は同質な人間(文明が未熟な頃は必然的に地理的に近い人間)で構成されると述べました。

しかし、完全に同質な人間は一人としていません。

例えば、「騙すのは良くない」と考える人も「騙される方が悪い」と考える人もいます。

こういう場合、衝突は必至です。秩序が必要になります。

国家には、何万、何億もの、一人一人異なる人々を束ねることが求められるのです。

言い換えると、国家には「まとめ役」が必要不可欠なのです。

この「まとめ役」の選出法は王制であったり、民主制であったり、時代と共に変遷を遂げてきました。

しかし、変わらないことがあります。

それは、

国家の「まとめ役」は強大な権力を持つこと

です。

具体的には、

法律という名のルールを作る力
人を裁く力
大金を動かす力

です。


②既得権益の維持

私は、これらの権力を持つことが悪いと言っているわけではありません。

❶、❷は秩序を保つため、❸は国家の発展のために必要です。

しかし、これらが国の既得権益となって、「0→1」を生み出すことを抑えてしまっているのです。

考えてみてください。

上記の❶〜❸のとてつもない権力をあなたが手にしたとすると手放したいと思いますか。

国の「まとめ役」も私たちと同じ人間です。

国を良くしたいが、既得権益は維持したい。

これが本音ではないでしょうか。

何度も強調しますが、こう思うのは自然なことで悪いとは言い切れません。
誰しも自分の居場所を確保したがるからです。

一方、国を良くしたいのなら「0→1」で新しいものを生み出すことが必要なのも事実です。

ネット選挙、MMT、仮想通貨など、「0→1」のアイデアはすでに生まれています。

これらにより既存のシステムが破壊され、既得権益が崩壊してしまうかもしれません。

それでも国を良くしたいなら、新しいものに耳を傾けようとはするべきです。

もちろん、全てを取り入れなければいけないわけではありません。

ただ、聞かなかったことにして封じ込めようとしていてはいけないと私は思います。


②’既得権益の拡張

歴史を振り返ると、国家の「まとめ役」は既得権益を拡張しようと、時に暴走もしてきました。

代表例が戦争です。国土を広げ、既得権益が及ぶ範囲を拡張してきたのです。

これは、人間の根源的な欲求である「もっと」を国家も求めたというのもあると思いますが、単純に広義な意味での資源を求めたのだと思います。

国土が広い方が、資源(人的資源含む)も多く、より多くのお金を生み出し、そのお金でさらに国家が繁栄するからです。

この既得権益の拡張は自国さえ良ければいいという人間のわがままな性が根底にあります。

「外に共通の敵がいると内は団結する」という集団心理もうまく利用されてきたとも言えるでしょう。


まとめ

国の存在意義は2つありました。

1つ目の「相違性の排除」は、今後「相違性の受容」に転換していくと考えられます。

2つ目の「既得権益の維持・拡張」は、国家の繁栄を目的とするも、権力の集中を生み、それがしがらみや暴走を生むという負の側面があるといえます。

国家の既得権益とは具体的に3つあり、それぞれについては以下の通りです。

法律という名のルールを作る力

ルールは秩序を保つために必要です。

しかし、これは国家独自の巨大権力ではなくなり、権力は縮小すると思います。

要するに、ルールもグローバル化し、世界共通となっていくのです。

理由は2つです。

1.世界中で価値観が均質化されていくため。(これは上記の通り)

2.世界規模の問題に対応するため。
環境問題を例に取っても、国という枠組みを超えたルールが求められるのは自明の理です。

今後、外国に行くのが県外に出るくらいの感覚になるのが想像できます。

国独自の法律は、現在で言うところの「条例」のような存在感になるだろうと私は考えます。


❷人を裁く力

現在の日本は世界的にみると凶悪犯罪は少ない方だと思います。

それは比較的豊かな国だからです。

貧困に苦しむ人は、生きるか死ぬかの苦しいときに、ルールを守る余裕がないことも想定されます。

それに対する抑止力が「人を裁く力」です。

例えば、死刑制度は賛否両論ありますが、大きな抑止力になっています。

しかし、この抑止力を日本にいて意識するでしょうか。

「信用」を損ねることが社会的な死につながる。

この抑止力の方が大きいのではないでしょうか。

世界がもっと豊かになり、教育も行き届くと、物理的な死よりも社会的な死がリアルになっていきます。

つまり、「世界総監視社会」のようになり、国家の「人を裁く力」も存在感を失っていくと私は考えます。


❸大金を動かす力

国が豊かになるには、多額のお金が必要です。

社会保障や公共事業など、莫大なお金がかかります。

しかし、国家なら、国民全員から税金として少しずつお金を回収することで、一個人、一企業にはどうにもできない額を賄うことができます。

それに、国家は通貨の発行権という反則級の力も持っています。

要するに、国家の経済に対する影響力はとんでもないということです。

しかし、需要と供給のバランスで成り立っている市場経済に、需要と供給を度外視した巨大な国家が介入するとどうなるでしょうか。

当然歪みが生じます。

詳細はまた別の機会に書こうと思いますが、国のお金に関する超巨大既得権益も、今後は縮小していくと私は考えます。


以上をふまえると、次のことがいえます。


かつては日本国内で藩主が力を持っているような時代もありました。

国内で争いも絶えず、バラバラだったのです。

方言にも名残があるように相違性がありましたが、均質化し、まとまりました。

都道府県という弱い枠組みになったのです。


現在、地球内はバラバラです。

しかし、いずれはまとまります。

国という弱い枠組みになります。

そして、技術革新によって、しがらみや暴走を生み出す権力は分散されます。

ブロックチェーンがその皮切りになるでしょうか。


人と同じで、社会も失敗をしながら成熟していきます。

何年、何百年先かは分かりません。

よりよい社会を追求した先に、国がなくなるという「0→1」が生まれるといえるでしょう。


以上です。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?