自閉症と、圧倒的な個人差
私の勤める特別支援学校は、脳神経の発達遅延がある子どもたちのためにデザインされたプログラムで、生徒の9割近くが自閉症の子どもたちです。
私は過去に通常学級やインクルーシブ学級で勤務していましたが、特別支援学校は今回が初めてです。とは言えこの環境の転換から一年半が過ぎました。あっという間です。このスピード感は学校で得る学びの量がすごいからだと思うのですが、毎日が発見で飽きることがありません。
その学びの中でもガツンときたのはファンダメンタルな部分での気づきかもしれません。それは自閉症という枠の中に圧倒的な「個人の違い」が存在することです。そしてその違いを無視しての支援は不可能なこと。
私を含め、自閉症コミュニティの外側にいる多くの人がそうだと思うのですが、私たちはすべての自閉症児たちを「自閉症」という一つのカテゴリーにまとめがちです。そして自閉症という症状について一括して語り、一括した方法でアプローチする傾向にある。
でも気づいたのは、自閉症という特性を一括するのは無理があること。10人いれば10通りの特性があり、100人いれば100通りの発達と必要な支援があり、1000人いてもその中に全く同じコンディションを持つ人は誰一人としていないんだなと。
例えば自閉症に多いとされる聴覚過敏、
そして皆んなに共通する点は自閉症です。快適に外出できる方法が全く違うのです。
これもほんの一つの要素を取り上げただけであって、他にもたくさんの特性や発達が複雑に絡み合い、それぞれ個人が存在しています。
個人の違いを無視した療法やアプローチは、全く意味をなさないんだと。
私の学校が全力で取り入れているDIRフロアタイム。DIRの"D"はDevelopmental(発達)、"I"はIndividual-differences(個人の違い)、そして"R"はRelationship-based(関係性)に基づき、遊びをベースにアプローチします。
なるほどこの療法がhumane(人道的)と評価される訳だなと。子どもの個性と能力をリスペクトし、個人の発達や興味に合わせてアプローチを変える。
アメリカに「One fits all」というフレーズがあります。「一つで全てに合う」という意味です。教育に関しては一斉教育がまさにそれ。実際には障害のあるなしに関わらず「one fits all」な教育は存在しないし、ただ利便性を求めて一斉教育は存在しているだけなのですが(そこはまた別の投稿での議論になりますが)、そう考えるとフロアタイムで個別のアプローチを受けている子どもたちはラッキーだなと思ったりします。