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IQテスト、自閉症者の知能はどうやって測っているんだろうという素朴な疑問

IQテスト。人の知能の測るテストだけど、実際のところはどうなんだろう。

初めてそこを疑問に思ったのが、何年も前に東田さんの「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」を読んだとき。ものすごい衝撃だった。私達のように思考があるのに、それがスッと出せない。肉体ってある意味、意識とか魂の服のような感じに捉えているんだけど、その服がちゃんと機能してくれないというか。もしくはみんなと機能の違うマシンに入ってて、デフォルトとマニュアルが違うから全然思うように動けないような。自分でなんとか考えて、試行錯誤を繰り返した周りとコミュニケーションを図る。なんたることだ。

とすると、周囲で起こることを頭で100%理解しているかもしれない。そして自分では一生懸命伝えているんだけど、マジョリティにはそのコミュニケーションが通じないがために60%しか理解していないと誤解され「この人は低知能である」とラベリングされる。これ絶対にあるよ・・と東田さんの本を読んで思ったわけです。

そんな風にコミュニケーションの壁に閉じ込められている人の思考にアクセスして測る知能テストなんてあるのか。

ないだろ。


それは横に置くとしても、やはりIQテストが好きではないです。使い方にもよるとは思うのですが。

IQテストの問題点はいくつかあると思うのですが、いくつか挙げると:

・テストは特定の人がその人が育った文化や受けてきた教育を反映して作られていて、それとは異なる文化で育った人には不利。

・測られる能力が断片的。多様な知能を理解して評価するにはIQテストだけでは限定的すぎる。

・これが一番の弊害だと自分は思うのですが、これを受けた子どもたちには低知能、高知能などラベルがつき、周囲の大人による選別などで伸びたかもしれない能力が開花しない可能性が多いにある。固定観念を生む。人の価値を決めるかのような行為にも受け止められる。

アメリカの場合、学習障害が疑われるときに行われるエバリュエーションでIQテストを受けることが多いです。またはIEP (Individualized Education Program) を持つ生徒に4年ごとに行われるエバリュエーションでも私の息子は受けていました。マストではないらしいのですが、子供の成長を知る手がかりとして。

これを書きながら昔の書類を見返しました。Wechsler Intelligence Scale for Children や Stanford-Binet Intelligence Scales, Woodcock-Johnson? 等を受けていました。そのうちの一つにはテストを試行した人のメモに「鼻声だった」とあったので、息子は風邪でも引いていたんだと思います。つまり彼のベストじゃない時のスコアで学習プランが練られていたのか・・ちくしょーと思うと同時に、そんなもんよねとも思う。いちいち気にしてたら先に進まんですからね。

世のIQテストは、特にコミュニケーションに困難を抱えている人に対してどこまで知能にアクセスして測っているのか。知りたいな・・・


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