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自閉症と社会のルールやマナー

自閉症の子どもたちは社会のルールやマナーとどう付き合っていくべきか、学校スタッフにとって日常的に悩むところです。何がベストで何が適切なのかはその時の状況や本人の状態によって変化するし、信じるアプローチや療法によっても違うし、はたまたその土地に根付いた文化も考慮したいし。いろんな要素が絡んでなかなか一筋縄ではいかないものです。

先日、ルールやマナーについてどう対応するか同僚と話していたのですが、それが興味深かったのでここに書き留めておきます。関心のある人は多いんじゃないかなと・・・


その1 「エレベーターの割り込み」

極端な負けず嫌いの個人の話。何事も一番でないと気が済まず、ゲームや競争で負けると怒り出し、すぐに手をあげてそばにいる人を叩きます。

この手の話はプリスクールや幼稚園でよくあるかと。昔プリで働いていた時も負けて癇癪を起こす子どもは毎年一人や二人はいました。

しかしここで話す個人は見上げるほど大きな体を持つ青年で、中重度の自閉症があります。

ゲームで負けるのが悔しく癇癪を起こすのが問題であれば、ある程度のコントロールは効きます。ゲームをする時は大抵クローズドの環境の中なので、周りを気にせずに色々なアプローチが試せ、本人に合う形で少しずつ参加できるように促せます。

チャレンジ度がアップするのは外へ出る時です。

何事においても一番を望む彼は、エレベーターでも同じ。たとえ先に何人待っていても、彼は一番先に乗らないと気が落ち着かないのです。

これは複雑です。学校内であればなんとかなりますが、一歩外へで出たら全く理解してもらえない行動です。また他人とのトラブルを抱えるリスクがぐんと高まり、安全問題にもつながります。

さてこれにはどう対応するか。一般的に考えると「順番を待って次のエレベーターに乗ろう」という声がけです。先に待っている人が優先であるという社会のルールを知り、それに従う。

しかし彼にこの対応を取るとどうなるか。確実に感情を乱します。なぜなら一番に乗ることを阻止されるのです。手に持っている自分のスマホは叩いて壊し、怒りの感情を表すでしょう。目の前の人を叩き始めるでしょう。ルールを守ろうと促すことにより、瞬時に周囲にいる人間の怪我のリスクが高まります。

ここで考えます。彼のゴールは何か。

青年である彼のゴールは可能な限りの自立と、卒業後に社会やコミュニティーの一員として生きていくことです。そのためには今の彼に何が必要か。それは自己調整するスキルを身につけ、それを安定させ、生活に必要なスキルを習得しながら社会のルールやマナーを身につけることです。

つまり彼の場合、社会のルールを学ぶ前にまずは自己調整スキルであると。その基盤があってこそ次の学びと繋がる。それがなければ全てがぐらつく。基盤のあやうい家は地震があればすぐ倒れるのと同じで、まずは基盤をしっかりさせる。そしてここで言うのは発達の基盤です。そこ無くして社会のルールを教えようとも今の彼には難しいのです。

実際問題として今、高層階に行く時はどうするかという課題は残りますが、可能であれば階段を使う(エクササイズだと思って!)、混雑する時間を避けるなど工夫をしていく。 その間、自己調整できるようにサポートにサポートを重ねていくと。

なるほどな話でした。


その2 「テーブルに立つ」

私の学校は遊びの学校です。カリキュラムはあるのですが、まず遊びありきのスタンスです。真面目な話、スタッフは常に遊び方を学んでいて、自閉症の子どもたちが「外の世界も楽しい」と思えるような遊びができるように年間を通してトレーニングを受けています。

今の学校で勤務一年目のある日、私のメンターが私と一対一で遊びのコーチングをしてくれる機会がありました。私は早速生徒を一人連れ、メンターと小部屋に入り、遊びのセッションをすることに。

その部屋には大きめのテーブルがドンと一つあったのですが、部屋に入るなり私の生徒(小学低学年)はテーブルの上によじ登って立ち上がりました。

私の開口一番は「下に降りよう」でした。それまで勤務先で染みついた私の反応で、無意識に口から出てきました。するとメンターは即座に「なぜ?」と。瞬時に気づいたのですが、私たちはつまらないルール・フォロワーなゆえ、子どもの遊びたい好奇心を無意識に潰しているのです。

この学校で大切にしているのは「子どもの好奇心に従う」ことです。視線はどこにあるのか、体はどこに向いているのか、何をしているのか、興味はどこにあるのか。そこに注目し、彼らのリードに従う。

そしてまたゴールについて考えます。彼のゴールはどこにあるのか。

彼のゴールは外の世界と繋がることです。一人遊びが大好きな彼は、彼の中で世界が完結しています。しかし私たちた生きていく上で、社会性は必要です。私たちはコミュニティーの中で生きる動物だからです。

そのために私たちができることは、遊びを通して彼との関係性を築くことです。そして彼の世界で双方コミュニケーションの輪を繰り返し、徐々に外の世界も楽しいよと連れ出してくる。

関係性を築くきっかけになるのは、彼の一人遊びの中にいれてもらうことです。しかしそれは意外と難しい技。一人で十分楽しく遊んでいるところに、なぜ他人を入れる必要があるのか。ないんです。だから入れてもらうために、大人はその入り口がどこにあるのかを見極める必要があります。よって「子どもの好奇心に従う」ことが重要になってくる。そこに彼らの世界への入り口があるからです。

私の遊びのセッションの話に戻ります。

このケースでいくと、彼のその時の興味は「テーブルの上に乗ること」でした。そしてそこに彼の世界への入り口がある。

コーチの「なぜ?」の一言で頭を切り替え、私は生徒をテーブルに立たせたまま「さてどう遊ぶかな」と考えました。私のコーチは天才です。彼女の助言で私もテーブルの上に乗って一緒に遊ぶことにしました。

長くなるので詳しいところは端折りますが、この遊びは驚くほど彼の関心を惹き、私は汗だくになるほど夢中で遊びました。かくれんぼのような遊びでしたが、私を見つけた彼は大喜びで抱きついてきたりしました涙涙

それにしてもテーブルの上はちょっと頂けないと思う方のために簡単に説明しておと、①教室ではなく個室だった、②裸足だった、という状況もこの遊びを後押ししています。確かに教室だったらやっていないかも?ですが、そのあたりの判断は臨機応変に。

というわけで、マナーやルールを気にしすぎると意外と本末転倒になり、子どもの最重要な発達ゴールを遠のけているのかもねという話でした。


その3 「マーカーで全身を塗りまくる」

カラフルなマーカーや絵の具が大好きな個人の話です。あまりに大好きで、大人の隙を見ては腕、足、顔、お腹に色を塗りたくります。

幼児であれば可愛いで済むのですが、この個人は青年です。かなりの塗りっぷりに、それを初めて見る大人はひるみます。当初は「これで帰宅して大丈夫なのか?」と心配したものですが、さすがアメリカ?なのか、全く問題にはならず。

そんな感じで迎えた翌年、ある問題が出てきました。外に散歩に行ったり電車に乗るトレーニングの時間があるのですが、彼が全身をマーカーで塗りまくって外出すると道ゆく人に警戒されてしまい、非常に外に連れ出しにくいと担当者。あーー!確かにと思いました。そりゃそうだ。

色を塗る行為自体はアート的な要素もあって自己表現いいんじゃない?と思えるのですが、実際問題、外に出たら話は別です。警戒されるのは普通です。世の中の暗黙ルールとして、全身をマーカーで塗りまくったままコンビニにはいきません。しかし彼の創作意欲は尊重したく、さてどうする。

ここでまた彼のゴールは何だったか思い出します。

それは可能な限り自立し、社会やコミュニティーの一員として生活し、その中でルールやマナーを身につけていくことです。彼の個性を尊重しながら。

そこで出た軌道修正はこうです。マーカーや絵の具で体に塗りまくってもいい。その代わりに外出時には全て洗い流すこと。帰宅時も同じ。もしかしたらマーカーは綺麗に落とせないかもしれない。そうしたら本人にどの画材だったら水と石鹸で綺麗に洗い落とせるのかを調べてもらい、それを買いに行ってもらう。もうこれだけで次の学びに繋がるのでwin-winですよね。

前からそうしておくべきだったのかもしれませんが、こうやって私たちも日々学んで軌道修正です。


最後に

これらの対応は全てバラバラに見えるのですが、一貫しているのは個人のゴールに沿っていることです。それぞれの発達をサポートし、その上でルールやマナーも視野に入れる。

そして大事なのは、そのゴールをチームのスタッフが全員把握していることです。そうすれば全員の対応が自然と同じ方向を向くので、子どももスタッフも混乱を避けやすい。難しいですが可能です!

日本社会は特にルールに厳しいので、みんなが肩の力を抜いて、リラックスして生きていけたらなぁと思います。


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