「選択と集中」。外資製薬企業No.1の実績を持つ中谷真史の「どん底からトップになるための営業戦略」
「私の未達時代」では第一線で活躍するセールスパーソンを訪ね、失敗をしていた過去から売れるようになった現在までのストーリーを紹介していく。
今回は、営業の(株)マツリカのBizDev責任者ならびにコンサルティング事業を行うSales Science Lab,Inc.CEOの中谷真史さんに取材。彼は、これまで営業の現場やマネージャー、第三者として営業組織へのコンサルティング、セールステック導入の支援、営業の調査・研究と、様々な角度から「営業」に関わってきた。
本記事では、そんな彼が営業と出会った頃にまで話を遡る。新人時代にぶち当たった壁や、その壁をどのように突破していったのか、またいかにトップセールスになっていったのかなど、これまでの営業人生について探ってみた。
富と名声を得る人になるために、営業スキルを磨く
——まずは中谷さんの新卒時代についてお伺いさせてください。もともと営業職に就きたかったのでしょうか?
そうです。就職活動をする頃から、漠然と「将来は起業したい」という気持ちがあって。起業するための一歩として、まずは「売上を作る」スキルを養いたいと思い、営業職を志望していました。
——学生の頃から「社長になりたい」という夢があったんですね。
そうですね。
けど、もともとは小学生の頃からプロのサッカー選手になりたかったんです。お金を稼いで、有名になってチヤホヤされて……そんな生活を夢見ていました。
ただ大学生になり、技術的にも体力的にも厳しさを感じ、自然と就活する道を選んでいましたね。そこで、プロサッカー選手と同じように名声を得られる仕事は何かと考えた時に、「経営者だ」と思ったのです。
——社長になるために、なぜ営業力が一番大事だと思ったんですか?
いつか会社を立ち上げる時に、最初から参画してくれるメンバーはせいぜい一人か二人くらいでしょう。そんな中で、そもそも「売上を作る」力がないと、会社は成り立ちませんよね。逆に言うと、営業力さえあれば食いっぱぐれないだろうという思いも根底にありました。
また「営業」と一口に言っても、実際は様々な業界や業態がある。僕はその中でも、誰よりも多く場数を踏みたい、スキルをつけたいと思って、世間から「きびしい」と言われる、外資製薬会社のMRをファーストキャリアに選びました。
——そもそもMRってどういう仕事なんでしょうか?
MRとはMedical Representativeの略で、日本語にすると「医療情報担当者」のこと。製薬会社に所属し、医師や薬剤師など医療関係者に対して自社の薬剤の情報を提供しています。
顧客である医師は、40〜60代の方が多く、僕よりも人生経験も長い方たちばかりでした。当然、実務を経験されていますし、難関な国家資格にも合格しているのでIQが高い。顧客の方が情報を持っている状態でしたね。
他の業界を見てみると、基本的には顧客より営業の方が相対的に情報を持っている状態が当たり前です。つまり、営業は情報格差を利用することが成果をあげるために重要な要素になります。
しかしこの業界は、営業とクライアントとの情報格差が存在しておらず、むしろ顧客の方が情報を持っているため、ただ情報を伝えるだけでは売れず、営業としてのピュアなスキルが求められる業界だと感じました。
「きびしい」と言われる業界の、全国最下位の地域に配属
——未経験で営業職に就いた中谷さん。どのような新人時代を過ごされたのでしょうか?
配属先は、全国の売り上げが46番か47番目、ほぼ最下位の富山県でした。実は最初の配属希望で自ら人事に頼んだのです。「一番きついところに飛ばしてください」と。
しかし、いざ行ってみると、案の定全く売れず、きびしい環境下で成果を出せずに去る社員も多い。自分で選択したにもかかわらず、「あ、詰んだな」と思いました(笑)。
——想像以上にきつい環境に入れられてしまったと。
はい。MRって新規に営業をかけるよりも、すでに取引のある既存顧客に向けて、既存製品の取引拡大と新製品の市場開拓を主とする「ルートセールス」なんです。顧客との信頼関係は、過去の担当者がこれまで築き上げてきたもをベースに成り立っているので、自分の介在余地は、新規営業と比べると少ない。
つまり、売れてるエリアに配属された人は、(比較的)誰でも売れる。逆に売れないエリアであれば、どんなに頑張っても売れないということが多い世界だったのです。
——なるほど(笑)。けど、もともとはそのような環境を望まれていたんですよね?
僕はどちらかと言うと、まずは感情を排除して、論理で意思決定するタイプの人間。なので、もちろん「こんなところいやだ」という気持ちはありましたよ。
しかしロジックで考えたら、「厳しい環境だとしても自分にとってはチャレンジングだし、きっと誰とも被らないユニークな体験ができるだろう」と。そう思ったので、あえて自ら辛い環境を選びました。
「新製品」に狙いを絞り、その分野でナンバーワンをとる
——厳しい環境の中で、どのように試行錯誤していったのでしょうか?
全ジャンルで一位を目指すのではなく、評価品目の中で特にリソースをかける製品を「新製品」に絞り、「この製品の売り上げだけはナンバーワンになる」という決断をしました。
例えば売れる薬が5種類あったとしても、会社からの評価は全製品均等に20%ずつ評価されるのではありませんでした。時期によって注力品目が変わり、評価のウェイトが変わります。期待の新製品は売上評価が全体の50〜60%を占めていました。だからこそ、その新製品だけは一位を取れるように、早くて半年前から戦略を練っていました。
この戦略で売り続けていると、2年目で晴れて全国トップ3%に入ったんです。周りからは、「トップ30に富山県のMRが入っているなんてあり得ない」と言われていました(笑)。
——戦略的に営業活動をした結果、売れるようになった。
そうですね。僕自身、営業がめちゃくちゃ得意かと言われるとそうではなくて、どうしたらより良い評価を獲得できたり、効率良く売れるようになったりするのかと分析し、ルールをハックするのが得意だったんです。
——すごい、どこかゲーム的な要素を感じますね。
全ての商品において上手く売ろうとするのは非常に難しいです。全部売ろうと頑張って、結果、中途半端になり「並みの営業」になってしまう方は多い。そこで大事なのは、どこに的を絞るのかだと思っていて。僕は捨てるものをはっきりと決めていました。
——「全部売ろうと頑張る人は『並』の営業にしかならない」という言葉は、多くの方に刺さりそうですね。そう思うきっかけは何かあったのでしょうか?
ありますね。
まさに社内で表彰式が行われるパーティーでのこと。期待の新製品売上で全国ランキング上位3%の成果を出していた僕は、「今日は絶対名前を呼ばれる」と期待をしていたんです。けれども名前は呼ばれることはありませんでした。本当に悔しくて、パーティー中に号泣しました。
そこで気づいたのは「優秀」では評価されないということです。「最優秀」をとらないと認めてもらえない。そこから、自分が狙った商品以外の他を全て捨ててでも、その分野で一位をとるのに振り切ることを決めました。
トップセールスは「ゴール」ではなく「通過点」
——どん底の環境からトップセールスになっていった中谷さん。営業スキルを学びたいと入った会社で、当初の目的は達成されたのでしょうか?
継続的に成果を出し、評価がもらえるようになって、「世界シェア一番の会社で、日本で一番になったな」と感じました。一旦、目指していた場所にはたどりついたなと。
しかし、自分の目指していたところに到達したと実感したと同時に、いつこのトップセールスの座を奪われてしまうのだろうかという「恐怖心」はありました。なぜなら、僕は自分自身は大した営業スキルもなく、ただルールをハックしてトップにのぼりつめた営業だから。いつかは他の誰かが僕と同じようにハックして、追い抜かれてしまうことが何よりも怖かったです。また、なぜか虚しさのようなものを強烈に感じたのを覚えています。
——トップになった嬉しさとともに、怖さを感じたと。
はい。正直にいうと、「トップセールスであり続けなければ」というプレッシャーを抱え、営業を続けることに限界を感じていました。
そこで改めて、「トップセールスであることの価値って何だろう」って思ったんです。日本の人口が約1億2000万人いる中で、僕が担当したエリアはたった20万人ほどの都市。
僕がその範囲で1位をとったとしても、その影響力って大したことないじゃないか。世の中に対して何かを与えているとしてもごくわずかなのではないか、と考えるようになりました。そこでようやく、トップになることよりも、トップになった後自分がどうしたいのかを見つけることが重要だと気がつきました。
——なるほど!トップセールスになったからこそ、自分の現在地に気がついたんですね。
そうですね。なので、世の中の営業をしている方々にアドバイスしたいのは一つ。
トップセールスを目指すことも間違いなく悪いことではありません。その経験があることは、実績として誇れるものになりますし、その人の代名詞になると思うので。
ただ、そこでトップセールスになることが人生の目的になってしまってはいけません。その経験は、叶えたい未来のための通過点でしかないからです。トップセールスになった後、自分はどんな人になりたいのか、どう世の中に影響を与えていきたいのか、考えることを忘れないでくださいね。
ライター:フジカワハルカ