約13年の音楽活動を経て、ひよっこビジネスパーソンだったつつみさんが、ヴィジュアル系インサイドセールスとして活躍するまで
「私の未達時代」では第一線で活躍するセールスパーソンを訪ね、失敗をしていた過去から売れるようになった現在までのストーリーを紹介していく。
今回は、IT企業で営業をしながら、自ら「ヴィジュアル系インサイドセールス」として、イベントやメディアで営業ノウハウの発信を続ける、つつみ(堤 貴宏)さんに取材。
約13年、音楽活動を続けたつつみさんが、営業に出合ったきっかけとは。また売れなかった苦悩の2年間や、そこから乗り越えてトップセールスになった過程を本記事で語っていただいた。
32歳、ミュージシャン。音楽を続けるために営業と出合う
——現在のお仕事について教えてください。
世界中のビッグデータアクセス権を保有・分析し、主にSNSマーケティング支援を行う、株式会社ホットリンクでインサイドセールス部のリーダーをしています。インサイドセールス歴としては、今年で7年目になります。
また、「ヴィジュアル系インサイドセールス」を掲げ、元ヴィジュアル系バンドマンとして、取材や社外のイベントにフルメイクで登壇し営業のノウハウを語ったり、コラムを連載したり、ITmediaで執筆したりなど、積極的に対外的な発信を行っています。
——Twitterで拝見していました。なぜ「ヴィジュアル系インサイドセールス」と名乗っているのですか?
もともと高校卒業してから32歳まで、ヴィジュアル系バンドのギタリストとして活動していたんです。
ヴィジュアル系インサイドセールスを名乗りはじめたのは、ホットリンクに入社して1年半ほど経ってから。きっかけは、Salesforceが開催するイベント「インサイドセールス分科会」に登壇したことでしたね。
もちろんそれまでは、周りの人と同じように短髪の黒髪で、スーツを着て、営業をしていました。
——どうしてミュージシャンを辞めて、営業へ転身したんですか?
正直に言うと、最初はお金が一番の理由でした。
当時31歳でバンドをやっていた頃、音楽では食べられないほど、生活は苦しくなっていました。しかし音楽への気持ちは強く、まだ諦めたくなかった。あくまで音楽活動を優先しながら、できるだけ多くの給料が得られるアルバイトを探そうと思ったんです。
そこでたまたま見つけたのが、電話営業のアルバイトでした。
——高時給のアルバイトを求め、そこで偶然出合ったのが営業だったんですね。具体的には何を売っていたんですか?
SEOですね。例えば、楽天市場などのECショップに出店している方々に、「御社の商品を検索結果の1ページ目にあげませんか」と営業をしていました。
当時は、営業は初めての経験だったにもかかわらず、ものすごく売れて。全部で40人いるなかで、2ヶ月で2位になって、それからはずっと上位1〜3位のあいだにいました。
——すごいですね、入社2ヶ月で上位に登りつめたんですか?
ほんとうに家賃も払えないほど苦しい状態だったので、インセンティブをとにかく獲得して、他の営業には絶対に負けないぞという気持ちを強く持っていました。
なので当時の僕が持っていたのは、気合と根性、行動量、押しの強さのみ。しかし、そんな強い気持ちを持っていたおかげで、誰よりも売れていたように思います。
「ゴリ押し営業」で信頼を失った、苦悩の2年間
——当時は、どのような営業トークで売れていたのでしょうか?
恥ずかしいですが、相手の逃げ道を塞いでいくような強引な営業をしていました。
相手から断られた際には、何回も「何故ですか」を繰り返したり。ガチャ切りされる前に、いきなり「1分だけください、1分でいいんで」とお願いしたり。
「そんなお金はない」と断られた時はあとは相手の生活や趣味を聞いて、例えばお酒が好きだと言われた際には「じゃあ、お酒をやめましょう」と。「もしそのお酒をやめたらお金が生み出せますよねと。このまま続けてるんだったらやめた方がよくないですか。家で飲むときは僕が付き合うので、やめましょう」と言っていました(笑)。
——すごい。その押しの強さで、トップ営業になったんですね。
はい(笑)。
当時の顧客は小規模な会社の経営者だったので、とにかく押せば「やってみよう」と思ってくれる方も多かったのかもしれません。
——営業として好調なスタートを切ったつつみさん。その後について教えてください。
その後、BtoBの法人営業として転職をしました。
売る対象は大企業がメインになり、1社目とは商材も相手もガラッと変わり、僕の強みだった「押しの強さ」も逆にうざがられてしまうように。以前売れていたのが幻だったかのように、売れなくなってしまったんです。
——押し切るのでは、営業は通用しないことが分かったんですね。
はい。ロックのミュージシャンで、社会に対して少し反抗的な気持ちもあって生きてきて。そのなかで、いきなりトップセールスになれて、なめちゃっていたんですよ。「やっぱり社会人って大したことないじゃん。バンドに命をかけた僕の方がすごいじゃん」と。
また1社目での成功体験が、逆にネックになってしまったんです。そこにすがってしまい、「取れるはずだ」というマインドがしばらく抜けませんでした。
しかし、当然ながら全く売れずに、結局2年ほど空回りし続けて。30歳を過ぎてから初めて自分の無力さを痛感しましたね。自分は何もできないんだなって。どんどん周りからの信頼を失い、会社に居場所がなくなって、逃げるように会社を辞めました。
ビジネスのスキルを蓄え、質の高い商談ができるように
——そこからホットリンクに入社。ぶち当たっていた壁をどのように乗り越えていったのでしょうか?
32歳までバンドをしていたので、例えば経済のニュースを見るなど、今までビジネスの勉強を一切してこなかったんですよ。事業会社や代理店、卸しや小売店があり、その先に消費者がいることなど、そういった商流とかも分かっていませんでした。
日経新聞や専門的な本を読む。ビジネス系のテレビ番組を毎週観る。基礎的で当たり前のことですが、それらを毎日ひたすらにやり続けました。
またホットリンクのメンバーの助けも大きくて、彼らにはズバズバとフィードバックをしてもらい、必要な勉強方法も教えてもらって実践しました。
——ビジネスを理解できていなかったことが、一番の理由だったんですね。
そうですね。当時は、相手が何か懸念点を言っていることは分かっても、言ってることはよく分からない。けど、分からないまま、強引に売りにいっちゃっていたんですよ。
BtoBの営業、かつ大企業の方に対しては、そんな営業は通用しないので。
——確かに相手がロジックを持って決裁者や社長に共有できないと、受注は難しいかもしれません。
もちろん上司に同席してもらっていましたが、フィードバックでいつも言われてました。「つつみの営業はうざいよ」と(笑)。
——ビジネスパーソンとしての当たり前のインプットを習慣にしてから、何か成果につながりましたか?
アポイント率自体はそれほど変わっていないかもしれませんが、質が上がってると思います。
お客様と話して、抱える課題も理解した上でフィールドセールスにパスができるようになって。例えばアポイントが取れそうでも、ホットリンクで力になれないだろうと思った場合は取らないという判断もできるようになりました。
過去の経験を活かし、自分らしい姿で成果を出す営業へ
——他に何か行動したことはありましたか?
会社に入社してから間も無く、インサイドセールスの立ち上げを任されたんです。任されたものの、社内にノウハウを持っている人がいませんでした。
そこで、外部に情報を取りに行くしかないなと思い、スケジュールが許す限り、社外のセミナーにはとにかく行きまくりました。そこで得た情報をもとに自社で試す。成功や失敗を繰り返しながら、ホットリンクに合うインサイドセールスのかたちを見つけていきました。
——もともとは社外のセミナーに行きまくっていたつつみさん。今では自らが登壇し、営業のノウハウを伝えていますね。
いろんなセミナーを見ているうちに、ミュージシャンだったこともあるのか、いつしか「自分も登壇する人になりたい」と思うようになったんです。
冒頭でも少し触れましたが、ある時参加者としてよく行っていた、Salesforceのイベント「インサイドセールス分科会」が、登壇者を募集していたので、応募しました。晴れて登壇者としてイベント出演が決定。登壇者になりたいという夢を叶えました。
——そこからイベント登壇の話も増えていき、今のつつみさんが出来上がった。
そうですね。セミナーに参加する側から自分が登壇する側になり、登壇する以上、人のためになる情報をお伝えしたいと思っているので、より幅広くインプットするようになって、結果自身のセールススキルが上がっていきました。
また「ヴィジュアル系インサイドセールス」と、一見ふざけてると見られかねない活動をしている以上、この状態で社内の成果がズタボロだと信用されなくなってしまう。なので、この活動をやる以上、ちゃんと成果を出すことにこだわるようになったんですよね。
——ミュージシャンの経験を活かしながら、自分らしい姿で活躍されているんですね。
自分のスキルアップと責任感が重なり、目標の達成にこだわるようになりました。これからも、自分の個性や強みを活かし、楽しく働き続けながら、同時に成果も出し続ける営業でいたいなと思います。
ライター:フジカワハルカ
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