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考え事#5「失敗を勧める」ことの間違い
こんにちは。お久しぶりです。
まだまだ誰も読んでいないブログだと思いますが、それをいいことにサボり癖が付き始めました。というか、、時間が足りなかった。なぜかって?
高校物理の学習用のプリント置き場を建設しました!
https://sites.google.com/view/phystail/home
Googleさんすごいね。めっちゃ簡単にサイト構築できました。よろしければご覧ください。
さて、本題です。今日は大人がよく若者に言う、「失敗を勧める」ことについて、ちょっと違和感を覚えたので自分への戒めも込めて、書きます。
失敗を勧める指導は間違っている
僕も、教え子たちになんども勧めてきました。失敗。
大人たちはなぜ「若いうちに沢山失敗したらいいよ!」言うのか。
それは間違いなく、
「失敗の体験」による「自己のアップデート」を人は「成長」と感じるからでしょう。教師に限らず自分より若い人に何かを語り掛ける時、人って不思議と「教育モード」になります。これは仕方がないことです。だって人類は、体の強靭さで生き残ってきたのではなく、自分の体験・経験を同世代に共有することで生存競争に勝ってきたんだから。
だから、いわゆる「先輩の話が長い」とか「同じ話何回も聞いた」って思った時、僕は勝手に「あ、人類が生存競争に勝ち残っている証だ!」と、聞きながら嬉しくなったりしています。いや、もともと先輩方の話聞くの僕は好きなタイプなんですよ?今後も楽しみに生活します。
今回は話がぶれます。なぜなら、読者を僕の「後輩世代」と「先輩世代」の2パターン想定しているから。でもね、みなさんの回りにも「先輩世代」と「後輩世代」がいますよね。だから、お付き合いください。
さて、話を戻しましょう。
そんな「意味のある失敗」、最近は失敗学なんて言われ方もしますけど、僕の経験上、「若いうちに沢山失敗した方がよいよ!」と伝えた生徒が失敗に突っ走ってくれたことは、ありません。これはつまり、「失敗に大きな価値があることに気付きながら、失敗のさせ方を指導していない」という状況な訳で、お恥ずかしいながら教師失格ですね。そんなことに気付かせてくれた、あるエピソードを紹介したいと思います。
SNSでの「高校生同士の学びあいの場」との出会い
2020年5月、Covid-19の大混乱のなか僕もYouTubeに動画をアップロードしていく流れの中で、ある高校生とWeb上で出会いました。その高校生は、
「SNS上で、高校生が無料で学べる塾を開きます!」と発言していて、まず僕はそれに感動したんです。それと同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。高校生目線でみたときに、大人が頑張っていないことの確固たる証拠だと感じました。賛否あるかもしれないのですが、僕は非常に応援したいと思いましたし、その旨をお伝えしました。協力してもらえないか?とも声をかけていただいたのですが、本業とのバランスでここは断ってしまいました。様子を見守って、補助的なことはできると思います、とだけ伝えました。
彼らはSNS上でライブ配信にてそれぞれ教科・科目ごとに担当を立てて授業をする!という計画のもと、先生役の高校生の募集にはじまり、教えてもらう側の生徒の募集も含め、とてもきっちり計画を立てて動いていました。高校の枠を超えて、ですよ。すごくないですか?見ていて自分のやる気がとても上がる取組でした。
数日後、無事に授業が始まり、YouTubeの更新作業等をしていた僕としてはもはや「脅威」だなと感じていました。だって高校生同士で学び合えるんだったら大人が動画配信したって勝てないよ!面白そうだもん!
でも、そのわずか後、代表の高校生は「閉鎖」を宣言しました。
なぜSNSでの「高校生同士の学び合いの場」が閉鎖したのか
理由を聞いてみたんです。そしたら、「著作権のこととか、全体の管理のこととか、様々な細かい点について考えて管理しきれないと判断した」とのこと。なるほど。確かにそれは大切なことかもしれません。自分で広げた風呂敷をきっちり畳む判断、そしてスピード感もとても素晴らしいと思いました。でもさ、なんというか、今の日本の構造って高齢社会な訳で、基本的に年齢が若ければ若い程不利な世の中じゃないですか。個人的な感覚としてですよ?あくまで個人的な、感情論的な感覚として、高校生がこうやって頑張ろうとしているんだから、「それくらいよくね?」って思っちゃったんですよね。もちろん、自分の学校の生徒がそういう動きをしていたら、何かしらの指導はせざるを得ないんで難しいところではあるんですけど、僕が言いたいのはその細かいところ、ではなくて、もっと大きいスケールの話なのです。そもそも、こういう取組を「悪用する奴」が悪い訳ですよね。めっちゃむかつく!ってなって、そこから様々なことを考えて、この記事は書いています。一応、この話の高校生には書いていい?って聞いたんですけど、嫌な思いになったら記事はすぐに非公開にしますので、教えてください。
「○○だからだめ!」って議論、多すぎない?
さて、話を勧めます。
今の日本の社会ってこの意見に止められてしまう事象が多すぎるんだと思うんです。チャレンジしようとしても事前に止められてしまう。それを乗り越えて、チャレンジし始めたとしても、クリアすべきハードルが多すぎて途中で周りにブレーキをかけられてしまう。ブレーキをかけている多くの大人が通ってきたように、"自宅で、一人でコツコツ受験勉強に励む"ことにはチャレンジする意味があって、それ以外の様々な活動へのチャレンジは、リスクがある!と言って止められてしまう。なのに、僕も上述した通り生徒には失敗を勧めてきました。
無理ですよね。こんな環境で失敗ってどうやったらできるんでしょうか?無難な人生を歩めるように無難な選択肢の幅のなかでどうやって失敗するの?もちろん、もともと勉強が大好きな”性質”をもって生まれた人はいいよ。だって"社会がそれを大事"と認めていることと"自分の好きなこと"がたまたま一致しているんだから。そこを限定しておいて、"失敗をしろ"なんてよく考えたら笑っちゃいますね。いままで言ってしまったみんな、ごめんなさい。
大人は「失敗」ではなく「挑戦」を語れ
失敗は挑戦と表裏一体です。「挑戦」の結果の失敗だから成長するんです。ある意味、僕がここにこうやって、「教員」を名乗りながら好き放題書きたいことを書いているのも自分の中では「挑戦」です。今はまだあんまり読まれてないけど、この画面の右上の「公開」を押したら、もしかしたら「なんだこいつ!」って思う人の目に触れて、ボロクソに叩かれるかもしれない。それは僕にとっても、やっぱり怖いことです。嫌なことです。
でも、そんな「恐怖心」よりも、「やってみて、訪れた結果」をきちんと自分の人生に積み重ねたいと思うから、こうして書いている訳です。同時に、「この記事はだめだ!」っていう頭ごなしの批判は無視するということも心に決めています。じゃないとメンタルが持たないから。でも、「この記事のここはこういう配慮があった方がより多くの人に正確に伝わるのでは?」というご助言は大切にしたいです。
今後は僕は、自分より若くて経験が少ない人が何かに「挑戦」しようとしたときに「ダメな理由」を言うのではなく、「それを達成するために必要なこと」を言える人を目指したいと思います。
おわりに
今、読んでくれている学生さんの中には、きっと「挑戦」したいことなんてないよ!って人もいると思います。そんな人に、今の日本の学生さんがすべきこととして伝えたいのはやっぱり、「学校の勉強」です。知識の内容自体を将来使わなくても、「概念」「相関関係」「問い」を多くの人が同じテーマ(教科)で学べる環境は効率が良い面があるからです。勉強が嫌いな人は、知識の中身よりも、その論の裏側にある「構造」をつかむ練習に意識を向けると良いでしょう。将来、必ずあなたの力になります。
いま、「挑戦」したいことがある学生さん
あなたは、だれよりも「普通の人が頑張ること」を頑張らないといけません。多くの大人が「リスク」を持ち出します。そこで一番大きな武器になるのが、「普通のことは余裕でやっています」という切り返しです。
それに、大人になってから何かに挑戦し続けることは学校の勉強よりも、もっと大変で手間がかかります。学校の勉強くらい余裕でこなして、そこに+αでなにかに挑戦する練習をしておけば、大人になってからも挑戦しつづけることができます。常に、10年後どんな自分になりたいかです。その準備が早いにこしたことはありませんからね。
長かったですが、お読みいただきありがとうございました。