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考え事#18 矮人もやがて巨人の心臓を貫く ①

今回は、たまには物理学の歴史に触れながら、高校3年生の最後のあたりの授業で話した雑談を掲載してみる。

巨人の肩に乗る矮人

この言葉、ご存知だろうか。
西洋で発展してきた科学というジャンルに携わる人ならば、きっと一度は聞いたことのある言葉だ。物理に限らず、多くの学問の歴史というのは基本的にはこの積み重ねであり、古代からスタートした自然哲学の歴史は常にこの言葉の通り発展してきたといえる。

巨人とはつまり、過去の偉人のこと。
偉人が人生を賭けて考えてきたことを学び、さらにそれを発展させ、より深い領域に言及したり、新しい領域を切り開いたりした人が次の世代に偉人と呼ばれるようになる。

現代はテクノロジーがかなり発展しているので、巨人の存在を知らないまま、巨人が構築したシステムの上にいま、僕らは生きていることも多々ある。

身近なところでいえば、多くの人が使っているiPhone。きっと僕の世代の人はスティーブジョブズを知っている人がほとんどだと思う。ところが今の小学生とか中学生あたりになると、きっと知らない人も増えているだろう。僕が言いたいのはそれが良いとか悪いとかではなくて、優れたシステムは、それを形成した過程を時に置き去りにして社会に根付いていくということだ。

数多の巨人との出会い

教材研究をしていてものすごく感じるのは、教科書に名前は載らず、公式や定理だけが掲載されている巨人がなんと多いことか。ということだ。
物理とか理工系の大学で学んだ人はそんなことはないと思うけれど、一般的にあんまり物理に触れないで生きていく人たちは、きっとニュートンやアインシュタインは一般常識として知っていても、マクスウェルやプランクやゴルドシュタインは知らない人も多いだろう。他にも、数えきれないほど多くの科学者の営みが現代の文明を支えている。

それは古代ギリシャの哲学者から、もしかするとそれよりももっと昔の原始的な生活をしてきた人類の祖先からずっと続く、とてつもなく長い営みであり、僕はそこに想いを馳せるとものすごく感情を揺さぶられる。

例えば人類史上、文明の発展に最も貢献してきたと思われる文字や言語というシステムは、開発者または開発した集団が恐らく不明だ。僕らはこれを用いることに対価を支払わなくて良いし、支払うとしても宛先がわからない。

きっと、最初に言語を生み出した人たちは自分の五感が受け止めた何かを何とかして仲間に伝えたいだとか、伝わって共感が生まれたときに自分は一人ではなかったんだと感動したりだとかしながら、いろんな工夫をしてこのシステムを構築してきたのだと思う。”いろんな工夫”とまとめたその過程には想像を絶するほどの時間と労力があっただろう。

そんな名もなき巨人の肩の上に、中世・近世の学者たちは生まれてきたといえる。彼らは、それまでの巨人の肩に乗ることで名前を遺すことを許された世界に、自分の考えたミームを大量に遺していき、彼ら自身がまた巨人となっていった。

巨人への尊敬

いつの時代も、矮人として生まれてくる僕らは、日常の中でたまに、過去の巨人の存在を感じては尊敬し成長していく。自分はあんなにすごい巨人のようにはなれないと思う人もいれば、いつかあの巨人に負けない何かを成し遂げたいと考える人もいる。

おそらく、巨人になれるか否かは、巨人になりたいか否かとは全く無関係の論理で決まる。結局のところ、何かに没頭し発見してしまったものが良くも悪くも多くの人に影響を及ぼした時に、矮人は後の巨人になる。

現代社会においてその過程で起こることは、初めはその分野の巨人から何かを学ぶ場合が多いだろう。そして、学べば学ぶほどそこにはリスペクトが生じる。この巨人は何てことを考えたんだ。巨人はやっぱり考えることが違うなぁ。そう思いながら。

そして、巨人の心臓を貫く矮人が現れる

今回この記事を書こうと思ったきっかけは、マックスプランクやアインシュタインが量子仮説といものを世に送り出した辺りの歴史を改めて学んだことがきっかけだった。

マックスプランクは、1900年前後の人で、物理学史的には、人類で初めて量子という考え方に到達した巨人だ。
こういうと聞こえはいいが、実際の彼の人生はもっと人間臭い。

プランクは当時どうしても現象と理論が噛み合わなかった熱輻射スペクトル(ざっくり言えば、火の色と温度の関係)の解をなんとか見つけようとして、自然科学的な理論を置き去りにしながら数学的な解を見つけた結果、その解が不連続な(量子的な)ものになってしまった。というのが実のところらしい。彼自身、そこまでの科学の手法を拠り所に研究を続けてきたため、自身が導いた結論に困惑したそうだ。

というのも、そこまでの自然科学においては、自然現象は連続的に発生する、というのが常識だった。例えば、人間の身長や体重というのは、ある程度の人数を集めれば連続的な値を取りうる。体重50kgの人もいれば、50.0001kgの人もいる(もちろん、もっと小さい差の人も)。
体重というのは自然現象のなかで発生する量だから、連続的な値を取る、という具合だ。

プランクが見つけた量子的な解というのは、この体重の例で言えば、体重50kgの人の次に質量が大きい体重の人は、55kgになります(51kgから54kgの体重を持つ人は自然現象として起こりえません)、といっている様なもので、現代に生きる我々にとってもやや不思議に思える理論だった訳だ。

プランクの解は、当初は周囲の科学者からもなかなか認めてもらなかったため、彼がほぼ完全に解明した熱輻射の方程式よりも後に、部分的に正しい方程式が開発されるようなことも起こっている。

ただ、プランクの解はとにかく現実の熱輻射のスペクトルと温度の関係を正確に数式にできていた。ここに目をつけたのがアインシュタインだったわけで、そこから少しずつ、世論的には変だと思われていたこの飛び飛びの値の考え方が主流になっていった。(ここまでの歴史のお話は僕が調べたことを繋げたストーリーなので、間違いがあればぜひご指摘ください。おそらく大きな流れは間違っていないと思います)

この歴史の流れ自体がものすごく面白いのだが、このプランクやアインシュタインが作った流れを、一段上の視点から抽象化してみる。

当時の空気で言えば、彼らは、それまでの巨人たちが作り上げてきた手法やシステムに、言ってみれば泥を塗ったことになる。これはものすごい行動だ。発見した事実以上に、その時の体制のルールを破ってしまうその発見を世に出す、というのは一体どんな気持ちだったのだろう。想像してみてほしい。

その時の彼らをを想像した時に、
巨人の心臓を貫く

という言葉が自然と思い浮かんだ。
ここまで積み上げてくれてありがとう。
そう言いながらきっと、矮人は巨人の心臓を貫き、次の巨人になったのではないだろうか。

ー②に続く

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