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考え事#6 死に様のデザイン

こんにちは。
割と振り切れたタイプの人間なので、毎日とか定期的になにかを続けることが苦手です。なんでnote始めたときに毎日更新なんて考えていたのでしょうか。無理は良くない。

さて、今日はちょっと、最初に書いた考え事#1の続きを書いてみようかと思います。まだお読みになっていない方は是非。

この記事では、生きる、とか人生とか、
割とベクトルが伸びていくようなお話を書かせてもらっているのですが、
今回はそのベクトルの終着点について書いてみようかなと思います。

僕の家系の話

僕、よく周りの先輩方から「生き急ぎすぎ!」と言われるんです。
まあ、そうなんですけどね。ちょっとは休みなよ、とか声を掛けていただくたびにありがたいと思う反面、いつも思うこと。

うち、早死に家系なんですよ。

祖父は38歳で、父は51歳で亡くなっているんです。
等差数列で考えたら僕の寿命は64歳という計算になるなぁと。
今年(2020年)で僕は30歳になります。
なので、ざっくり計算してみて今ちょうど自分の人生の折り返し地点にいるんだと日々考えているわけです。

人生を50%終えた今の自分と、ここから先の50%を生きていく自分を俯瞰した時に、自分が何か成すことができるとしたら、気力も体力も充実していて、独身で時間を完全に自分のために使える今こそ頑張っておくべきなのだと考えています。だから、僕は生き急ぐ。そう決めています。老後?余生?僕にとっては魅力の欠片も感じない空虚な言葉です。刹那主義なんでしょうね、多分。

あ、これはあくまで僕の話なので一応補足しておきます。
よくこういう話をすると否定されます。あなたの考え方はおかしい!間違っている!と。どうも、僕がこういうことを主張すると「自分の考えが否定された」と感じる人がいるらしいのですが、全然そんなことはありません。
「老後や余生に魅力を感じる人」はその人にとってそれが哲学で、僕にとってはそうではない、というだけの話です。僕はどなたの哲学も否定しません。人それぞれで良いものだと思います。

この先も、僕の世界観で論を進めますので、嫌な気持ちになりそうな人はどうか読まないでください。

29歳が考える自分の死に様

若者が何を言っているんだ!とか言われそうですが、
仮に90歳で亡くなる方が60歳で終活を考え始めたとして、残余の人生という視点で見たら僕はその方と同じ土俵で考える必要があるわけです。ここまでの経験値ももちろん大切ですが、経験値が圧倒的に少ない僕に残された時間が長い訳ではないので。

さて、教室では生徒によく、「目標と振返りをしなさい!」と声をかけています。目標は3つのパターン(状態目標・結果目標・行動目標)に分けています。これについてはまた別の記事を書きたいと思います。

今回僕が考えるのは、「自分の死に様」について。
一番大事にしないといけないのは「状態目標」な訳ですが、

自分が死ぬときにどんな状態でいたいか。

難しい。非常に難しくて面白い問いですね。人生を懸けて考え抜くべき問いの1つだと思います。
僕が尊敬する故人を思い浮かべてみます。例えばスティーブ・ジョブズさん。死に様まで含めて格好良いなぁと感じた記憶があります。ほかにも枚挙に暇がありませんが、あえてここで挙げるとしたらこの方かなぁ。

自分の理想像を見つけるためには、自分が魅力的だと思う人から学ぶのが一番です。どんな死に様を自分は魅力的だと感じるのか。

僕の答えはこうです。

人生が不飽和な状態での死

これが僕の理想の死に様です。
スティーブ・ジョブズさんがこの世を去ったとき、僕は悔しい気持ちでいっぱいでした。今後、"あの人が生きていたらこの世界はもっと良くなったに違いない!と思うことが何回もあるんだろうか"と思ったうえに、生きている自分に、亡くなった人よりも力がないことを思い知って、自分の無力さを痛感したからです。悔しくないですか?だって僕らまだ生きているんですよ。それなのに、過去の偉人よりも影響力が小さいんです。

その時に思ったことは、
自分が死んだときに、誰かに惜しまれる存在でありたい。

ということだったのですが、この時の僕はまだ20歳そこらで考えがペラペラですね。ちょうど10年たって今考えてみると、”自分が死んだ後の誰か”なんてことは考える意味がないということに思い至りました。だって死んだ後に"誰か"のことを観測できない(と僕は思っている)ので、検証のしようがないですもんね。そこで今回この考えをアップデートすると、

自分が死ぬときに、自分が「まだこれとこれとこれと、後これをやってない!あ、そうそうあれも来年からやろうと思ってたのに!もう!」って思えるのが理想だなぁと今は思います。おいおいマジか。今かよ!って自分に突っ込みながら死ねたらとても幸せな気がします。

理想の死に様のために今すべきこと

理想が言語化(やや幼稚な表現ではありますが)できたので、そうすると僕が今すべきことが明確に見えてきます。

究極ですが、もし今日この記事を書いた直後に自分の人生が突然終わったとしましょう。うーん。そんなに悪くないですね。今本当は他にやりたいことがあったんですがその途中でこれを書こうと思って中断している最中なので、理想の死に様が体現できそうです。

つまるところ、常にやりたいこと、知的好奇心を爆発させている自分を創り出すことが、自分が理想とする死に様につながるということになりそうです。

勝手にすっきりしました。
皆さんも自分の理想の死に様、考えてみませんか?
「死」というのは古来から忌み嫌われるテーマのように思いますが、
本来生物として必ず通る道の先に君臨している、だれも逃げられない現象です。「自分の死」について考え、それに備えていくことは悪いことではないと思います。

一応注意しておきますが、
僕は自殺志望者ではないですし、自殺肯定派でも推進派でもありません。そんなことを考えるのはやめてくださいね。

僕がこんなにも死について考えるのは、なんとなくですが、
死について考えることで今の自分を改善できるからです。

上にはああ書きましたけど、
今死ぬのは絶対いやですよ。だってまだまだやりたいこと、挑戦してみたいこと、たくさんありますもん。

でも逆にいえば、そういう「やりたいこと、挑戦してみたいこと」がなくなってしまった人生を生きるのには耐えられない。

そんなことを考えた、土曜日のお昼でした。

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