考え事#30 非暴力内部テロとは
前回の記事で、非暴力内部テロという話を書いた。
今回は、この非暴力内部テロリズムについてもう少し掘り下げてみようと思う。そもそも、このネーミングで良いのか?というところも含めて。
以下、前回記事のリンクと、内容からのリンクを掲載しておく。
非暴力テロリズム
まず、テロリズムや非暴力テロリズムについて簡単に見てみる。
テロリズムというのは、以下のような概念だ。
従って、非暴力テロリズムとは
何らかの政治的な目的を達成するために、暴力や脅迫ではない手段を用いる事
ということになるだろう。
その意味ではアナーキズムとも近い意味合いになるが、アナーキズムはより広範な権力全体へのアンチテーゼ感がある。
僕は別に、ここで定義する言葉を使って暴力をふるいたいわけでもないし、全ての権力構造を覆したいわけでもない。
なので、割と非暴力内部テロリズムは悪くないネーミンに思える。
内部の意味合い
内部というのは言葉そのままだが、非暴力内部テロリズムにおける内部という言葉は、僕のニュアンスとしては擬態や寄生という意味合いである。
前回記事に書いたように、
完璧に、仮面と同じ素顔を形成してしまう
という部分は自分が所属する組織のルールや仕来りを完璧にこなすという話だ。ただ、これだけだと単にその組織文化の中で王道ルートを通る優秀な人と何ら変わらない。ここで大事になるのが、内部で擬態している感覚だ。面従腹背を極めるということだ。
とにかく、先輩や先人が言ったことを誰よりも完璧にこなす努力をすること。そして、その努力は自分の仮の姿である事を忘れずにいる事だ。
また、その努力の過程で感じた違和感をとにかく考え抜くことも重要だ。他者が違和感を無視していたり、そもそも違和感を感じていない場合も自分の違和感を信じ抜くことだ。
違和感を考え抜くというのは、その違和感をなくすためにどんな方略があるかを考えるということだ。その違和感の原因が突発的なヒューマンエラーなのか、慢性的なシステムエラーなのか区別しておくのも大事なことだ。
内部で擬態を極めた状態
先輩や先人も、結局は人だ。
もちろん組織によってその割合の多寡はあるだろうけど、本気で完璧を目指してきた人は実はそんなに多くないものだ。多くの割合の人は惰性でそこにいる。
したがって、そのレベルを超える熱量で本気で取り組むと、案外その理屈の綻びを見つけることは難しくないように思う。理屈の綻びが見えて来る頃には、自身が完璧にシステムの下僕のように周囲に見られているだろう。周囲から歩く辞書のように扱われるようになる。
面白いことに、ここまで来ると自分自身が元々あったルールや仕来りの上位概念であるかのような構造が出来上がる。
綻びや違和感の爆発
ここでようやく擬態を解く。
いままでこれでやってきたけど、ここはおかしくないか。これは本当に必要か。目的と手段が入れ替わってないか。
もとの仕来りやルールを大事にする人ほど、
自分よりも仕来りやルールをしっかり守れている人の言動には素直に従ってくれるものだ。
非暴力内部テロはこうして成立する。
アイロニーに富んだ面白い手段だと思うのは僕だけだろうか。
非暴力内部テロとは
最後に、非暴力内部テロという言葉を改めて端的にまとめておきたい。
非暴力内部テロとは
自身の感じる違和感を信じ抜きつつシステムの歯車として擬態し、完璧な歯車として振る舞いながら、完璧であるが故の回転数の増加によってシステム構造を内部から違和感のないカタチに書き換えることだ。