【インサイトキネシオロジー】できてもできなくても経験
インサイトキネシオロジー ブレインジム®インストラクター
原裕子です。
桜も満開のピンク色から、緑の葉っぱが伸びてきましたね。
同じように服を着ててもこの人は今年から社会人なんだろうな、この子は新入生だろうなって大体わかるの、あれなんなんでしょうね。
毎年不思議に思います。
知り合いのお子さんも今年中学生になり、あまり気負わず楽しく過ごしていってほしいなと思います。
春は特に人の入れ替わりや移動も多い季節。
新しい環境での勉強や仕事は不慣れや緊張もあると思いますが、できるだけリラックスして取り組みたいですね。
今日は気づきのエピソードをひとつ。
学生時、私はフランス料理店のアルバイトをしたことがあります。
家族経営のお店でしたが、いざ入ってみると人手不足と仕事量の多さからピリピリと殺気立っていました。覚えることや手順も多く
初日から
「これくらいできないのか?」
「同じことを言わすな。前にいた同じ大学の子は言われたらすぐにできていた。」
「アンタがさっさとできないから子供を迎えに行けない。」
余裕がないんだな、そこに何もわかってないのが来たんだからさらに大変だよね…でもそれでも採用したのはそっちじゃないの?
と思いつつ、それ以上にめちゃくちゃへこみ、できない自分を責めていました。緊張と委縮で無意識に口呼吸になっていたらしく、そのことすら
「口開けっ放しでアホに見えるわ」
自分の一挙手一投足を監視され、全てがダメだと言われてるようで余計に身体が動かなくなり。まかないが出たけど味がしない。口に入れはするものの食感も味もぼやけてよくわからない。結局2日行って辞めてしまいました。
あなた方のお役には立てませんと言って。
お給料が手渡しだったのですが2日分のお金よりも顔を合わせるストレスの方が強く取りに行けませんでした。
私がキネシオロジーやブレインジム®に出会えてよかったと思うことはたくさんあれど、
できる・できないに優劣をつけない。
できた・できないというそれぞれの経験をしているだけ。
両方の事実に対するフラットな見方を知れたことも大きいです。
当時「できた方がいいに決まってる」という価値観に縛られすぎていて、
そういう自分の思い込みや信念に疑問と待ったをかける経験だったのではないかと、今ではそう感じています。
昨今そういう風潮は少なくなったように見えても、未だ根付いてるものはあると思うんですね。
やってみてできなかったとして、
1できるようになりたいけどできないのか?
2本当はやりたくないからできない(できなくてもいい)なのか?
3それを自分がすべてやる必要があるのか?
では違いますよね。
起こる出来事からいくつか原因は考えられますが、私はこの場合1。
できない自分の価値や能力は低い、そのせいで人が悲しんだり迷惑をかけてはいけない、できなければならないという思いが強かった。
はたして本当にそうなのか?
ならば赤ちゃんの頃の私と今の私は価値が変わるのか?どちらも私じゃないのか?
人に頼む(頼ったり甘えることをOKする。お互いさま)
自分のしたいことに時間とエネルギーを注げる
できることのメリットがあるなら、できないことのメリットだってあるわけです。片方だけより両方知ってたら、その時に応じて自分の好きな方を選べる。選択肢が広がります。
一見しんどくてあまり思い出したくなかったり、失敗に思えることも見方を変えれば新たな視点を持てたり力になります。
今ではあの時を思い出しても
・ストレスかかると本当に食事の味がわからなくなるんだ、身体ってすごいなぁ。
・無断で辞めずにもう行きませんと連絡したあの時の私偉かったわー。
・前にいた〇〇さん?私はその人じゃないしご期待には沿えません。
・あの人達ももしかしてできなくちゃ、やらなくちゃでしんどかったんかな?知らんけど。だからと言って私の問題でも責任でもありません。
・2日で済んでよかったー!
わははー!ものの捉え方の幅を広げられたおかげですね。笑
できない自分もOK、できる自分もOK。
新しい季節、色々な経験。緊張や恐れを超えて一歩を軽く進んでいけたらいいですね。
気になる出来事やもやもやすることは、自分の力になったり可能性を広げるヒントがあるよ!っていう身体からのお知らせです。
自分が深いところで訴えていることはなんなのか?
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