自己紹介note - Bradley Tanaka
~始めに~
みなさま、初めまして。Bradleyと申します。
今年、アメリカから帰国しました。日本と行き来しつつアメリカに長期滞在していましたが、数年前、日本出張中に恵比寿の小籠包をかじりながら(ストックマークの社外取でもある)旧友とのキャッチアップの際に誘われ、日本のスタートアップ企業(グロース企業)にジョインし、昨年は米国よりフルリモートでお手伝いを開始、今年帰国致しました。
先日、最初のジョインから1年が経過し、様々な方と名刺交換をする機会も増えたため、自己紹介とともに、私の考え方やプライベートでのパーソナリティを含めて幅広に共有すべく、noteにて発信するに至りました。
~目次~
①自己紹介(学生時代~現在に至るまで)
②日本xスタートアップの魅力
【1】自己紹介
「国際派を目指し、海外に進学」
(京都時代)
学生時代、進路を真剣に考え始めたきっかけがありました。当時、「中国の高成長」と「日本の失われたXX年、就職氷河期時代」というコントラストが日々報道されており、当時の私は、世界が急速に変化する中で、日本も成長するためには世界との連携が鍵となる、と漠然と考えていました。
調べると、日本は国交戦略を成功させる事で成長してきた国であるということが分かりました。日英同盟、日米通商航海条約、GATTへの加盟、プラザ合意や日EU経済連携協定を始めとした戦略的な国交や、1972年の日中国交正常化に関する合意書への調印も、米国ニクソン大統領の中国訪問を含め米中関係の改善を推進した流れと協調して当時の田中角栄総理が実行するなど、国際的な連携が日本の経済発展に重要であると感じ、国際的なキャリアを志しました。
(大学生時代)
進学先は、米国の大学を選びました。言語別GDPランキングで世界最大シェアの英語や、人材採用や組織作りに欠かせない文化面やお作法も世界基準を学びたいと考えたからです。また、経営の世界共通言語は「ファイナンス」ですから、大学では経済・ファイナンスを勉強。米国式の授業であっても、アメリカ人には絶対負けたくないと思い、クラスでは一番前の席を確保し、ボイスレコーダーで授業を録音、帰宅後に授業を聞きなおし、次の授業前には教授に質問をする、という日々のルーティンをこなしていました。唯一の課外活動だったビジネス・フラタニティ(*フラタネティのネットワークを駆使して企業経営者を招待し、学校でのスピーチをアレンジする等のビジネス系の部活)以外では遊んだ記憶があまり無いものの、充実した学生生活でした。
(MBAを経て、シリコンバレーの投資銀行に)
米企業でコーポレートファイナンスの仕事に従事し、子会社の超大型($12billion程度)の事業売却案件(当時、ゴールドマンサックスやリーマンブラザーズをFAとした)を目の当たりにし、ファイナンス知識やキャリアを高度化するためMBAに進学しました。
入学試験の成績で決まるメリットベースの奨学金(返す必要のないもの)も受領できたため、コーネル大学に進学し、MBAを取得しました。MBAインターン先である外資系投資銀行の日本オフィスの2社(米系、欧州系)より内定をいただきましたが、当時、米国金融の本場と日本市場では天と地の差がある事を思い知らされていたため、2社からの内定を辞退し、再度米国で就職活動を再開し、シリコンバレー現地の投資銀行への就職を選びました。
しばらくして、米現地の日本投資ファンド(約3千億円の運用)より声がかかり、投資家として多くのベテラン経営者と関わるキャリアを開始しました。ファンド時代に関わったMBO案件の投資担当者の一人として、毎月日本に出張し、投資先の取締役会のオブザーバー(*コロナ前なので対面開催)や、複数の米国企業(電子機器企業やソフトウェアスタートアップ企業)への投資・M&Aの買収契約書の交渉から、子会社化やPMIの実行などに携わり、同時に、ファンドのメイン事業である上場株のエンゲージメント投資の担当者としても、多くの上場企業の経営者と膝詰めで議論するなど、充実したキャリアでした。しかし、経営課題に日々触れる中、黒子である投資家としてではなく、より深い経営の現場を理解したいという思いが強まりました。
(起業家・経営者時代~現在)
思い立ったら行動する性質のため、30才を超えてファンドを退職後、Gloners Capital LLCを創業。米国で起業し、日米クロスボーダーのM&Aや事業連携、米企業による日本進出のGTM戦略を担うコンサルティング事業を開始しました。
初期顧客獲得のため、ラスベガスCESに乗り込み、米企業のブースに飛び入り営業をし、4日で100枚の名刺交換(約15分で1社と交換)と資料配布を行い、最終日は完全に声が出なくなるほどのベガス倒し営業(?)を行った経験は良い思い出です。米企業数社からのアドバイザー案件受注にもつながり、充実感がありました。
また、当時はまだ新しいコンセプトのM&Aプラットフォーム企業が増えていた流れを見て、プロダクト開発企業と連携して米国投資やクロスボーダー特化型のM&Aプラットフォームである teasercloud をリリースするに至りましたが、特にコロナ禍において日本の事業会社による海外投資が消失するなどのハードシングスが重なり、事業を閉鎖。シリコンバレーと比較すると、日本の事業会社による意思決定が圧倒的に遅い事も、大きな学びでした。
ハードシングスを乗り越え、トップレベルのテック企業経営を学ぶため、米国のテック企業で勤務していた頃、ストックマークの社外取を務めている友人より声がかかり、現在に至りました。
【2】なぜ日本xスタートアップを選んだのか
「日本xスタートアップ」の大きな魅力
「日本のスタートアップで何がしたいのか?」という質問はよく受けます。米国の高い給与水準やシリコンバレーの活気あるテック環境を目指したい人が圧倒的に多い中、なぜ日本に戻ったのか、と不思議に思われる事もあります。しかし、私には「日本が抱える課題」には、巨大なチャンスが眠っていると確信しています。
日本のマクロ課題は、OECD諸国の中で最大のデジタル赤字国であり、低金利かつGDP成長率も低迷、少子高齢化も進む中、低い報酬水準などの理由で高スキル人材の国外(外資系)流出問題もあります。しかし、これこそが日本にとっての歴史的なチャンスです。日本には大学や研究機関で生まれる革新的な技術、世界トップレベルの技術力を持つ研究者、そして「高品質」というブランドイメージがあります。個人としては微力ながら、この日本の潜在力を引き出し、さらなる成長を実現していきたいと思っています。
私の経験と知識を活かし、皆様と共に挑戦を続けていくことを楽しみにしています。日本人としてこの環境にいるからこそ、シリコンバレーにはない、変革と実行力の交差点である「日本xスタートアップ(そして x 海外市場)」は、大きな魅力を持っていると確信しています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
引き続き、よろしくお願い致します。
Bradley