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智辯和歌山へ入学

こんちには✨

今日は智辯和歌山への入学への経緯

感じたこと

この2つについて話していきます!

まず1つ目の入学の経緯です。
智辯和歌山は当時1学年10人の少数精鋭でした。
さらにそのなかから和歌山県民が8人県外から2人と決まっていました。
僕は大阪人なので、県外の2人の枠に選ばれなければなりません。さらに、その2人のうち1人は中学野球界のスーパースターと呼ばれた野○君がもう決まっていました。
ちなみに彼は僕らの代のキャプテンになります。

ということは残り1枠です。
僕は当時PL学院に行くことが決まっていました。
そのため智辯和歌山という選択肢はなかったのですが、ある日の練習試合で和歌山のチームと練習試合をしました。
相手の1番バッターの子を高嶋監督が見に来ていました。
その時に僕が投げていて、全く知らなかったのですが裏であいつ誰や。ってなっていたらしいです笑

しかしPL学院が決まっていたため話は流れましたが、よくよく考えると少し当時のPLは問題点が多いような気がして、声をかけてくれているのならということで、智辯和歌山へ連絡したところ今度もう1回実力を見せてくれと言われました。

後日和歌山にいくと、僕以外に2人選手がいました。おそらく県外の子達で、このなかから1人決める感じなんだなと思いました。

その中の1人はめちゃくちゃでかいしゴツい笑
僕は170センチ73キロぐらいだったので野球人の中では小柄です。
ただ、なぜだかわかりませんがまったく緊張もしなかったですし、どうせ選ばれるの俺やろって生意気ながらずっと心で思っていました。

練習が終わり後日、智辯和歌山に入学することが決定しました。
嬉しかったというよりは、より一層やってやるぞ!という気持ちになったのを覚えています。


最後に感じたことです。
ここからが重要なので是非最後までお読みください。

おそらくいま、あの時のように3人の中から1人選ばれる試験みたいなものがあったとしたら、あの頃みたいな勇気は持てるかわかりません。

人は歳を重ねるにつれて失敗や恥を恐れ、臆病になることに気が付きました。
なぜだろう。だんだんと身体は大きくなり力もつく。なのに心は弱くなる。
じゃあどうすればいいんだ。

僕が常に心掛けているのが、もし今挑戦して失敗してもそんなものは10年後には笑い話になる。
ただ挑戦すらしないことは、話の話題にもならないし、もしそれが本当にやりたいことだったのであればとてつもない後悔だけが残るだろう。

そんな人生は望んでいない。
挑戦して失敗して後ろ指をさされ笑われたとしても、それは前に進んでいる証拠。
後ろ指を指すやつは人の後ろしか走ったことがないんだ。そら先頭に走っていれば風当たりも強くなる。
ただ先頭には限られた人にしか立てないはずだ。

みなさんもやりたいことがあるなら今、今すぐに行動しましょう!!

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