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雑誌ムーの現在地

最近、用事で地方に行くことが何度かあった。

そのうちの一つが島根県だった。
名古屋からは新幹線と在来線を乗り継いで5時間くらいの場所にある、地方都市の中でもとりわけ地方だと思う。島根県は人口が日本で二番目に少ない県。お隣の鳥取県は一番少ない。
その二つの県に住んでいる人を寄せ集めても、山形県に劣る。つまり、それくらいに、そこは地方だってことだ。

島根県の中心部にあった定食屋さんでお昼を食べた。

県の人口は少なくても、店内は混んでいた。
みんな何かしらの仕事をしていて、お昼になったので立ち寄ったと感じの雑多な感じがあった。そこにはもちろん多くの仕事があって、僕はその一つの入ろうかと考え、島根県に来たのだった。

喫茶店のように、本棚があったので覗いてみると、雑誌の『ムー』があった。初めて読んだけれども、思っていたよりもちっぽけで、少しがっかりした。

そういえば、僕は高校生の頃に『陰謀論』にはまった時期があった。

そのときの僕は、数学や古文は好きではなかったけども、政治経済だけは好きだった。社会を知るということは、社会という実態のないモノの中で生きていかないといけない自分自身を知ることでもあった。だから、おもしろかった。


でももっとおもしろかった理由は、社会が、国が法律やシステムだけを頼りにして動いているのが可笑しくてたまらないことだった。

法律の条文にしても、そこに書かれている内容を照らし合わせることでしか、事件や事故の有罪無罪を断定できない。憲法の条文にしても、その中の言葉一つ一つをやけに慎重に議論する。
それが僕にはすごくシンプルすぎるように思えた。
それらを使って真剣に、社会というものを動かそうとしている”社会”が可笑しく思えた。本当に可笑しいこともあるけども、そのいくつかはすごく重要なことなのだろうなと今なら分かるのだけれども。

ただ、いくら政治経済を勉強しても、”社会”のことが分からない僕はいつしか『陰謀論』で社会を読み解こうとしていたのだと思う。

あのときの僕は『陰謀論』がすごく理屈っぽく社会を切り取っている言説だとばかり思っていた。コメディアン的なおもしろさよりも、そこに言論を求めていた。

けど、次第に現実的な部分に目が行くようになり、現実を目の当たりにして、次第に『陰謀論』から離れた生活を今は送っている。

あのときのように、社会を漠然としたものではなくて、実態として感じてしまうようになったのはいくらか寂しいことではある。でも、僕の社会への見方の発端にいくらか『陰謀論』が関わっていたことは間違いないと思う。

田舎の島根県で見た『ムー』が、僕の中にかつてあったはずの社会の見方みたいなものを思い出しくれた。それは少し酸っぱいことでもあった。
ただ同時に、久しぶりにそういったデタラメで、確からしくない情報を鵜呑みにしたい自分がいた。けども、それはもう難しい。

その食堂の『ムー』は全部で10冊くらいはあったのだけれども、2021年の夏以降の雑誌は置かれていなかった。
毎月のように買って、読み終わった店主が食堂の本棚に押し込んでいた。そういう彼の習慣だったはずなのに。彼はそれを数年前からやっていない。

すこしだけ、社会が、国が、島根県がおもしろくなくなったような気がした。
そんなつまらなくなったような店主の出すハンバーグとひれかつはとてつもなく美味しかった。






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