見出し画像

最終面接前夜の情熱もいつか冷める

僕は就職活動で地方新聞社をたくさん受けていた。これは、そのうちの一つの最終面接の前夜の話だ。


その会社の最終面接へはわざわざ電車と飛行機を乗り継いで本社近くのホテルに泊まっていた。つまり、自宅からはだいぶ遠い場所だった。
そのホテルの客室で面接ではあれを話そうとか、ああ答えようとか考えていた。ふと、その新聞社についてTwitterで検索してみたら、その新聞社の夕刊が近々、廃刊する見込みだというネットニュースを目にした。

御社の衰退だった(もしくは、戦略的撤退か)。


僕は新聞業界というものが斜陽産業であることも分かっていたし、息が絶え絶えみたいな経営をしていることもいくつかの面接官と話していて理解をしていたつもりだった。

どこの面接でも「これからの新聞社はどうするべきなんですかね?」みたいなことを聞かれていた。それもあっってか経営も、営業も、販売も知らない僕だけども、”新聞の価値”みたいな概念的なことを考えてみたりもしていた。

新聞を読んでいることはインテリを主張するみたいでわざわざ周りには言っていなかったし、新聞社に入りたいというのも違う畑の僕が声高に言うべきではないと思っていたから少数の人にしか伝えなかった。
最近とある動画の中で”あのちゃん”が「新聞って、まだあったんだ」と言っていたのに代表されるように、若い人にとっての新聞は骨董品みたいな扱いなのだろうとも思った。彼女は年齢不詳だから若い人なのか定かではないが。


それでも新聞というものは僕の中では、ある程度の価値がある読み物だったし、そこの中で働くということにある一定の誇りを持てそうな気もしていた。だから、ジャーナリズムも、メディアも学んでいなかったけども、沈み書けた船にベットするように新聞社で就活をしていた。


最終面接の前夜は、どんなそれであったとしてもそれを体験した人には分かると思うけど、気持ちが盛り上がっている。それが入りたい会社であればあるほど、その高揚は心臓を脈打ち、気持ちを膨張させる。

そんなときに僕は、勝負を仕掛ける明日の御社の衰退を見てしまった。

それは、これからなろうと決めた職業に対しての価値を誰かから否定されたようなひどい気分になった。新聞は、新聞記者は社会に必要ないのではないかという気持ちが今度は心臓を脈打ち、不安を膨張させた。
”あのちゃん”が言っているようにすでに化石化した産物なのだろうかと。




結局、その新聞社の最終面接は落ちていた。
僕は美味しいスープカレーを駅前で食べて、甘いバターサンドをお土産に買って帰ってきた。ただただ、充実した食を手に入れた。


就活が終わった今でも、なにが正しかったとか、何が成功失敗だったかとかは全く分からないし、努めて考えないようにしている。

6月になって、スーツ姿でマイナビの袋を携えた男の子を地下鉄で見た。あれは合同企業説明会というやつの帰りっぽかった。おそらく、インターン募集が始めるらしい25卒だろうと思う。

社会はずっとずっと回っているのだなあと思うし、僕が落ちたことで代わりに誰かが幸せになったのだろうなと思う。幸せのゼロサムゲーム、または奪い合いの循環。

あの夜の情熱と冷静の間の気持ちはもうない。
僕の御社の最終面接前夜の情熱は覚めて、もうかなり前に冷たくなっている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?