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伸びきった心と縮むやる気
僕の心は伸びきってしまったのかと思うことがたまにある。
それは中華麺が伸びきってしまうとまずくなるように、僕の中ではネガティブなこととして捉えている。
ストレスについて説明するときに、人の心を”ゴムボール”に例えられることがある。指でゴムボールを上から押すと、ボールはぐにゃりと形を変える。けれども、指にはボールのもとに戻ろうと反発する弾力を感じる。この指を”ストレッサー”として、ボールの弾力を”ストレス耐性”とすることが多いんだと思う。
これで言うと、僕の心が伸びきるとはゴムボールの空気がスーッと抜けていってしまい、ぺちゃんこに近い形になったときに似ていると思う。そういう状態象のことを僕は心が伸びきってしまっているという。
こうなってしまったら、自分でもどうすれば良いのかが分からない。僕の心にあるはずの”弾力”はどこに行ってしまったのだろうと思う。
何に対してもやる気が出ない。
もういっそのこと、どこかへ飛んで行ってしまおうかなと思う。そういう気持ちで、今年の3月にはアジアへ行ってみた。それも、もうこりごりですという気持ち。傲慢にも生きて帰ってきてしまったのだから、ここで頑張って生きていきますという気持ち。
せっかくなので、追記で最近すっごく嬉しかったことを書いて中和させておく。
僕は読んだ本の感想を書いているインスタのアカウントがあるのだけれども、そこではここよりももっと手軽に文章を書いている。
もはや散文的でもあり、感想文なのか疑問になるときもあるけども、自由に好きな量の文を、誰に気兼ねすることなく、書き流せられる場所になっている。登下校の道の端にあった下水道の臭いがする水路みたいな。
そこで最近読んだ『限りなく透明に近いブルー』という本の感想を投稿した。すると小、中学と同じだった友だちから「知らないことがあるって素敵だなと感じました。」とコメントが来ていた。良いことも書いていないし、それを読んだからといって彼に良い影響があるわけでもないのに、読んでいてくれているのが少し嬉しかった。
久しく彼には会えていないけれども、また会いたいなと一瞬にして思った。彼や僕の周りの人間たちはけっこう僕に優しい。そのことに僕はきちんと気づけているのが救いだなと思う。