プノンペン→シェムリアップ
夜行バスに乗る前の夜が、僕の中ではとっておきの自由な時間だ。そのバスに乗ったら、起きたときには自分の行きたかった場所に運んでくれている。気づいたらだ。
プノンペンからシェムリアップまでは夜行バスで行くことにした。カンボジア国内を大きく移動する。けど、僕にとっては違う場所であり、違う国のようなものだ。
プノンペンの真夜中。あと1時間ほどでバスに乗り込む。そしたら、気づいたら違う場所に僕はいる。
もしかしたら、二度と来ないかもしれないここを出るときの気持ちは幼い頃に遊んでいたおもちゃを捨てるときに似ている。そこには切なさがあるとともに、これからの自分への期待のようなものもきっとあると思う。
真夜中に近づくにつれてプノンペンでは、信号の役目も眠ってしまうようで、みんな各々に交差点を通過する。青色も、赤色もそこでは意味を持たない。ビュンビュンだ。
男女の二人乗りの原付バイクがときどき交差点を横切る。彼らは高速 早い速度を出していて、概して笑っていた。夜の11時。今からどこかへ行くのだろうか、どこかへ帰るのだろうか。
僕はなぜだか、彼らが前者であってほしいなと思った。
プノンペンの若者も僕と同じように自由そうだった。
バスが来るまでの間、バス会社のオフィスで待っていたら濃いオレンジ色の服に包まれた人が入ってきた。僧侶だった。
彼は僕の席の隣に座るなり、クメール語でなにやら話しかけてきた。現地の人が通訳してくれた内容は「おまえのFacebookのアカウントを見せて」とのことらしかった。
裸足で街を歩いている僧侶たちも当たり前にSNSをするのである。それは彼らにとっても生活の一部であるのである。仏陀とともに。
彼は仕事で首都プノンペンに来ていて、夜行バスで地元の田舎町まで帰るらしい。僕はハードワークだなと思った。
ただ、彼にとって今はオフなのである。出張帰りの新幹線グリーン車みたいなものだ。
オレンジ色の服を着ていても仕事が終わったら一人の地元民に戻る。日本のサラリーマンと変わらない日常なのである。職業はその人の多くを映すけど、全てではない。
そうして、僕は不思議な体験をしたあとでシェムリアップへと向かった。いくつかの不思議をそのままにして、また新しい不思議が待っている場所に。