ラーメンマンによる狂気的な愛
昔話と今日のお話。
高校の同級生に「ラーメンマン」と呼ばれていた人がいた。
僕の周りしかそう呼んでいなかったのか、学年全体もそう呼んでいたのかは覚えていないけども、いずれにしても紛うことなきラーメンマンだったことには間違いない。
ラーメンマンの外見は高身長で顔は良い、生粋のスポーツマンって感じ。男子の僕が見ても顔が良質だなと思うし、パッと見ても好青年。
僕は彼と2年、3年と同じクラスだった。
1年の時からそれなりに目立っていた彼に幾らかの”畏れ”を持っていたし、それに加えて微量ながら白い目で見ている自分がいた。
それゆえ、僕と彼が上手く混ざり合うことはないだろうと思っていたし、事実そうなった。
実際に近くで観察していると、先生に立腹している時もあれば、部活の後輩とじゃれている時もある。宿題を完璧にこなしてくる時もあれば、授業中顔を机にうずめて寝ている時もある。
怒っていたり、笑っていたり、驚いていたり、しょげていたりと色んな顔をしていた。
クールなのか、無邪気なのか、真面目なのか、偏屈者なのか、一目では判別できない。
その時、その時で顔が違う人って感じ。
悪くいえば、周りを伺っているようにも見えた。
ただ、ラーメンが異常なほど好きで、週3とかで食べてるんじゃないかってくらい食べていた。いや、事実食べていたと思う。
それを全て”麺スタグラム”と呼ばれるアカウントで記録していて、年間100杯を目指すとも言っていた。
僕はここで初めて人に狂気じみたものを感じた。
僕の高校は、パッとしないという言葉を具現化したみたいな高校だった。
そこにいる人もモノもその土地、どれをとってもパッとしない。
良くも悪くもない、あらゆることの平均値を足し合わせてグチャグチャにしたら僕の高校になるんだろうなと思う。
それだから、文化祭なんて披露できたものではない。
各クラスがそれなりのテンションで作った催し物を生徒たちがそれなりのテンションで見て回る。
PTAの模擬店はファミリーマートのレジ横のホットスナックを並べたもの。それを「暴利だ、暴利だ」と騒ぐ男子生徒。1階の隅の教室では囲碁・将棋部がひたすら碁盤の目とにらめっこしいてる。
そんなことをかれこれ5時間くらい続けたら、様々な人たちがそれなりの努力で作っていたモノたちが全てごみ収集車の中へと捨てられる。
その1日はガヤガヤとしているものの、誰も心の底から湧き上がった情熱を大声で放出することなんてない。
あるとしたら、机とカーテンとで作られた真っ暗な教室で、ゾンビか幽霊役の生徒が他の生徒の感覚神経を物理的に威嚇して、咄嗟に出させた叫び声が聞こえるだけ。
そんな微妙な1日を作るために精を出してくれる生徒なんて極小数。だいたいの生徒は部活やら、勉強やらを理由にしてそれなりの手伝いをするだけ。
でも、彼はそういう時になぜだか率先してやってくれてた。
僕含めたクラスの生徒たちが気後れしてしまうくらいに率先していた。クラスの企画から人員の割り振り、当日の流れの整理とかもやってくれてたんじゃないかな、確か。
当たり前にそれはいい事なんだけども、高校生にとっていい事が必ずしも褒められることとは限らない。
僕含めたクラスの一部分と彼との間に少しばかり分断が見えたりもした。
これだから男子高校生は憎たらしい。
そんなこんなで僕と彼は近ず離れずみたいな関係性となり、ただの同級生でありクラスメンバーとなるだけだった。
よく覚えてることがある。
2年の文化祭が終わった直後、僕が疲れきってせいせいしていた時に彼は僕含めたクラスの男子たちにヒラヒラっと宣言した。
「来年の文化祭、おれラーメン出店するわ」
威勢が良いこと、この上ない。
当時、文化祭で飲食を振る舞うことをしていたのはPTAのおばさん達と1年生の数クラスのみ。
そもそも、軽音部や囲碁・将棋部、1年4組とか3年7組とかのクラス、生徒会など一定規模の団体しか出し物をしていなかった。
彼はそれを個人単位で出店すると言っていた。しかも食べ物を扱うし、包丁も火だって使うだろうに。衛生面や環境のことを考えても到底不可能だろうと僕は思った。
それに僕はその2年の文化祭で軽音部の部長だったこともあり、それなりに出し物を運営する側だった。
生徒会との会議や先生たちとの交渉、他学年へのお願いとあれよこれよとやり終わったあとの僕は「本当に何を言っているんだこの男は」と思った。
生徒会や教師がどんだけ鉄壁な壁であり交渉が困難か、どんだけリスクがあるものを嫌うのか、どんだけ前例踏襲が正義であるのか、学校が如何にして平穏無事な文化祭を成し得たいかを知らないのかと呆れに近い感情が襲った。
それゆえに、僕は「絶対にムリだよ」とだけ嘲笑気味に吐いたと思う。それに彼がなんて答えてたか、答えてもなかったかは覚えてはいない。
それから1年後。
3年になった僕は彼の性格上の独特なクセにも慣れていたので、それなりに仲良くやっていた。
やっぱり人間関係って慣れだよねと思いながら過ごしていた。
みんなが受験勉強に本腰を入れ始めるとともに、高校生活最後の文化祭が近づく。
クラスで劇をしたり、部活の最後のステージをしたりと各々がそれなりの文化祭に向けて準備をしていた。
その傍らで、彼は去年言っていたことを有言実行しようとしていた。ラーメン出店の企画書を作り、それを生徒会長に手渡していた。
文化祭の運営主体である生徒会の権限は大きい。だけども、その分責任も大きい。
僕が生徒会長なら困った顔をした上で、検討した振りをして、やんわり断ると思う。
当時の生徒会長がどんな反応をしたかは分からないけども、最終的に企画書は通った。
そして文化祭当日、彼は家庭科室の鍋で作ったスープと通いつめているラーメン屋から仕入れた製麺を使って、自分特製のラーメンを振舞った。クラスの協力してくれた男子たちと一緒にワイワイとやっていた。
彼は分かりやすい程に輝いていた。
そして、その光景は本当に祭りだと思った。
それを遠目で見ていた僕はなんだか自分がとてつもないことをしてしまった気分になった。
自分ができないことは他人もできないと考えて、人のやっている事をバカにした。彼は僕が1年前バカにしていた事をそのままやってしまった。
あまりにもそれが衝撃的で、感動的で、罪悪的だった。
あの時の文化祭は僕にとっても大きな衝撃波として残り続けている。
そして、彼のことを応援したいという気持ちが強くなった。それは懺悔とかではなくて、浪漫的ななにかに動かされたものだと思う。
そして、どうやら僕も彼も大学生になったみたい。
彼は滋賀の大学で、1年次よりラーメンサークルを自ら立ち上げて100人以上を取り仕切る人となっていた。加えて、自身のバイト先のラーメン屋をたまに借りてサークル名義でラーメンを出している。
今年の年始に彼と会ったっきり、僕は「食べに行く、食べに行く」と言い続けてただのならず者と化していた。けれども日にちが合った今日、食べに行ってみた。
実を言うと、彼が文化祭で出したラーメンを僕は食べれなかった。それも少しだけ心残りだったし、何より応援したいという気持ちが前面に出たために滋賀まで飛んでみた。
厨房に立ちラーメンを作る彼と忙しなく盛りつけや配膳をするサークルの仲間たち。
見ているだけで青春を突きつけられてる気分になった。
みんなが和気あいあいとやっている姿は文化祭のそれとまさしく同じであり、そこにあるのはラーメンへの熱量が爆発した青年とその爆発に惹かれている青年たちという、なんとも単純なものだった。
でも、そういうことなんだと思う。
ラーメンに取り憑かれて狂気じみた彼を見ていると僕は嬉しくなってしまう。
もっともっと自分のやりたいことをやって欲しいと思える人に出会えったのは初めてだったし、その出会いは僕にとって幸せなことなんだと思う。
いずれ、自分のお店を出したいという彼。
「彼ならできる!」とか、そんな脳天気な言葉は不要であり、お節介なんだと思う。
彼の場合はただ好きをやっていたらいつのまにか自然と店ができてしまうんじゃないかなと、そんなことを身勝手に思う。
僕は陰ながら応援して、ラーメンを食べることくらいしか出来ない。
ただ、それだけでほんの少しでも彼が頑張ろうと思ってくれるのであれば僕もちょっぴり嬉しくなる。
狂気的な愛はリスペクトなので。
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