僕の好きな研究室
大学ではあまり居場所がない。
僕の学部の男女比は1:9くらいで、女性が多くてほとんど周りは女の人に囲まれている。そこでのコミュニティは男がマイノリティになる。それに、部活もサークルも入っていない僕にはコミュニティと呼べるものがない。
それだから、大学では落ち着ける居場所がないなと思いながら過ごしている。
好んで訪れるのは、キャンパス内にある図書館の雑誌コーナーくらい。
あそこは無料で新しい雑誌がいくつか読めるので、時々訪れてはペラペラめくる時間を過ごしている。
図書館に来る人はだいたい1人だし、気兼ねなく、誰にも邪魔されずに時間を潰せるので大学の中で好きな場所のひとつである。
もう一つ好きな場所に、とある研究室がある。
学内で僕の好きな先生はそんなに居ないのだけれども、その研究室の先生だけは好きな先生の一人である。
僕はときたま、その研究室を覗いてみて彼がいると「たびたび、ごめんなさい、お話がありまして」みたいな感じでお話をしに行くことがある。
お話の内容はほとんど相談めいたものなのでそこは僕にとって研究室というよりも、相談室に近いのかもしれない。
彼に招かれて、その相談室(研究室)の中に入って話をしていると、相談をしに来たつもりでも、いつの間にか世間話になっていたりする。
もちろん、彼はロジカルな方なので僕の相談にも的確にヒントや促しをくれるのだけれども、それ以上に、僕は彼とのその他愛ない会話に満足して研究室を後にすることが多い。
そういうことを繰り返す度に、僕は彼に相談がしたいのではなくて、単純に彼と会話がしたいし、自分を知らせ、彼のことを知りたいのだろうなと思う。
なぜなら、僕は彼が好きだから。
福祉系の学部の中にはヒューマニズムや慈善的なことを説いてくれる先生が多いのだけれども、彼は至ってシンプルにドライに社会問題と向き合い、そして人の気持ちをそこに足した形で対人援助というものを考えていると僕には感じる。
人を支援するという福祉系の学部で、そういう価値観はあまり共有されるものではないはずだけれども、彼はそういう教え方をする。
それは学部内では異端であり、少し冷たさを感じる人もいるのかもしれないなと予測する。
でも、僕は彼からそういう福祉観や社会の捉え方を教えてもらった。それは僕の大学生活の中で重要な意味を持つし、なによりも僕が彼のことを好きな理由はそういった部分にもある。(対人援助には、きっと人を思いやる気持ちは大切です。それに前者の先生たちも教科書通りに教えないといけないので、そうなるのだろうなとも思う)
そういう学部内では少し変わった考えを持つ彼に僕は惹かれていったし、次第にどんな人なのだろうかとか、この人は何を考えているのだろうかというのが気になるようになっていった。
初めて、彼の研究室を訪れてみたとき、その研究室のドアが開いていた。
彼に聞くと「誰にでも入ってもらいやすいように」と言っていた。僕はそれまでそんな理由で研究室のドアを一日中開けている先生を見たことがなかった。
研究室のドアにも彼らしさが滲んでいた。
そういう異端さは誰とでも相容れるものではない。それを嫌いな人もいるし、よく分からない人だなと感じて喋りかけない人もいる。
それは金属バットのお笑いを面白いと思う人もいれば、つまらないと思う人もいるのと同じことで、僕の中ではそんなに重要なことではないと思っている。
少なくとも、僕は大学の中で小さな安全地帯を見つけた。
それはあの研究室であり、あの先生そのものでもある。他のどの先生の研究室もピタッと扉は閉じられているのに、彼のそれだけは違うように。ヒューマニズム的な感情論のみでは語れない部分まで踏み込んで、それを学生に伝えようとしているように。
その異端さを、僕は単純に好んでいるし、それに傾倒しているだけだと思う。
それでも、僕の中ではキャンパスという"学校"の中で限りなく自分のことを話せる場の一つが彼の研究室である。
大学内にコミュニティを持てず、一人っきりな気分になることが多い僕を包み込む彼の異端さ。
ゼミ生でもなく、あまり関わりのない僕を毎回招き入れて1時間は話し込んでくれる彼のいる研究室は本当に安全地帯だなと思う。
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